短くても、1本の映画として感想記事を書いておきたかった「ひとこと感想」その5。(なあんて言いつつ、タイトルだけ書いて去年の5月から下書きファイルに放り込まれてた(^^;)
予告編とこの邦題から「誰が観ても大丈夫」で、ちょっと文科省推薦?みたいな作品を私は勝手に想像していたけれど、実際に観た後は、もっと違った印象が残った。(高知では、オフシアター上映でしか観られない種類の映画だったと思う)
エストニアを舞台にした映画を観たのは多分初めてで、その歴史も映画を観るまで知らなかった。「ナチスの方がマシだった」という人もいたというほど、酷かったソ連統治時代(1950年代)の実話が元になっている物語・・・とのことだけれど、暴き過ぎず、語らせ過ぎない上品さ、奥ゆかしさのようなものも感じさせる作りになっていたと思う。
主人公は、ソ連側に眼をつけられて身を隠すため都会を離れ、辺地で教師をしている有名なフェンシングの選手。元々子どもが好きじゃない彼は、成り行きで子どもたちにフェンシングを教えることになったものの、気が進まない。そもそも目立つのも困るのだ。ところが、やったこともないフェンシングに子どもたちは大喜び。満足な道具もないのに、それでも「やってみたい!」という子どもたちに、主人公はだんだん本気で教える気になって・・・
登場人物の中で印象的だったのは、都会を離れて(追放になって?)孫と二人暮らしだった、元学者と思しき高齢の男性。フェンシングの話が持ち上がったとき、経験者で道具を今も大事にしていた彼は、周囲の様子を窺いながら、賛成し支援する側に回る。けれども、そんな暮らしにもまもなく終わりが来て・・・
拉致されるように官憲に連れていかれる直前、祖父は少年に静かな声で別れを告げる。
「お前はもう子どもではない。これからは一人前の剣士として、自分の手で人生を切り開くのだ」
高齢で足元も危うい様子で、車に乗せられ連れ去られる後姿・・・。この祖父の場合はそのリベラルな思想傾向ゆえだろうけれど、映画に登場する子どもたちの多くが、両親が揃っていないように見えるのは、ソ連側が「労働力」を必要として拘束拉致して連れ去ったからだということにも、私は後でパンフレットを見るまで思い至らなかった。
もう一人記憶に残るのは、笑顔より仏頂面(これが可愛い!)の方が多かった少女。働く母親の代わりに妹たちの面倒をみていた彼女が、仲間と一緒に、初めて大都会(試合会場)を目の当たりにする瞬間。試合の山場で見せる、小柄な山猫のような身のこなしと、その瞳の煌き!!
原題の”The Fencer"は、子どもたちの指導者になった主人公、少年の祖父、そして「剣を手に戦う意味」を幼い頃から身に染みて知っていたであろう生徒たち、その全員の中に生きている言葉のような気がして、物思う気分がその後何日も続いたのを思い出す。
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