昔々、ゴルフ場の設計を毎日手伝っていたことがある。
新聞のチラシの「裏が白い」のを残しておいて、それに鉛筆で何段にも横線を引いて、まず「表」の枠組みを作る。そこに「コース・デザイナー」の言う通り、数字を書き込んでいく。
キッチンのテーブルを挟んで向かい合って、私たちは真面目に作業をした。PCも普及してなかった時代。書く方は、速記してる秘書サン気分。言ってる方もなんだか社長サン風に、満更じゃない・・・といった顔をしていた。
「だいいちほーる。よんひゃくごじゅうさんやーど。ぱーふぉー。だいにほーる。さんびゃくにじゅうごやーど。ぱーすりー・・・。」
18ホールまで行ったら、何かの景品で貰った電卓で数字を縦に足して合計を出し、それも書き込む。
そうして出来上がった表(ぴかぴか光る設計図だ!)をデザイナーに手渡すと、彼は満足そうにしばし眺める。
「ぱーななじゅうに。ごーけーななせんにひゃくごじゅうにやーど。」
それから彼は、おもむろに別のチラシを取り出して、その表から出来上がるはずのゴルフ・コースの完成図を、左手で握ったチビた鉛筆で描き始める。航空写真のような俯瞰図が、猛烈なスピードで出来ていく。
口から出まかせのようにとびだしてくる数字と、描かれた「航空写真」は、素人眼にはちゃんと辻褄が合って見えた。それが不思議で、私はいつもしばらくの間、2枚のチラシを見比べていた。
デザインした本人は・・・というと、椅子から下りて、小さなプラスチックのクラブを手に、次は(そのゴルフコースで?)プレイしようとイソイソと出かけるのが常だった。
広くもないマンションの居間で、廊下で、畳の上で、あるいは出勤後の時間帯の駐車場で、時には近所の広い公園で・・・彼はせっせとゴルフをした。
カップの代わりに子供用のキャロット・ジュースの空き缶を立てて、それを目指してプレイする。ボールが缶に当ればカップ・イン。まるで本物のように「カンッ」といい音がする。ゴルフにも子どもと遊ぶことにも興味のない私でも、その音を聞くとちょっといい気分になった。
そのホールが済むと、空き缶を持って移動する。「ここにしよう。」と彼が缶を置いたところが、次のホールになった。それを9回、18回、繰り返す毎日だったと思う。
父親が休みで、家族3人車で少し遠出をしよう・・・という時でも、小さなゴルファーは、クラブと、中空のプラスチックのボール数個と、愛用の空き缶を必ず持っていった。
身近に居合わせた人間は、「つき合いゴルフ」?に駆り出された。孫の顔をはるばる見に来たオバアチャンも、貴重な休みのオトーサンも、機嫌の良くないオカーサンも、はたまた通りかかった同じマンションの住人サンも、なぜか気づいたら相手をさせられていた。
オトーサンもオカーサンも、ゴルフなどしたことがない・・・というのに、彼が3歳にしてゴルファーになってしまったのは、やはりゴルフとは無縁のオバーチャンが遊びに来る際、何気なくオモチャのゴルフセットをお土産に持ってきてくれたのが始まりだった。
本棚にあったオトーサンの「プロゴルファー猿」総集編4冊が愛読書になり、習いたてのカタカナで「アヤコのゴルフ」という文字を新聞のTV欄に発見してからは、毎朝ひとりで正座して見る(なんせ5分間だ。)。
幼稚園への行き帰り、道を歩きながら「つもりゴルフ」(ゴルフしてるつもりで、どんなコースでどんなクラブ使ってどれくらい飛んだ・・・なんてことを、大声でひとりで喋る)に興じる。出まかせを言うにしても、よくネタが尽きないなあ・・・とちょっと呆れていたら、オトーサンが(なぜかちょっと顔を赤くして)「あれで結構、正確なこと言ってるんだよね。」。・・・などなど。
その後も引っ越しを繰り返しながら、いろんな場所で、いろんな形で、ゴルフとの縁は続いた。本物のゴルフ場に行くことはなかったけれど、PCが一般化するとゲームのゴルフが現れたし、アメリカの、ヨーロッパの、試合がTVで普通に観られるようにもなった。
今でも彼は、ゴルフが好きだ。ゴルフ場はおろか、「打ちっ放し」にもほとんど行かないけれど(そもそもそんなお金がない)、「アイデンティティーはゴルファー」なんじゃないかと、私などは思うくらい。
1枚くらい、あのチラシの「設計図」を残しておけば良かった・・・と思ったのは、10年ほども経ってから。自分では、100枚くらいは書かされた気がしているけれど、そんなに多くはなかったのか、もっともっと多かったのかも、今となってはわからない。最後に残っていた数十枚も、引っ越す際にぜ~んぶ、燃えるゴミに出してしまった。
当時は4歳児の相手をして遊ぶ・・・というルーチンの一部に過ぎなかったので、私にとっては何でもない、ごくありふれた日常だったのだ。私自身は、子どもが大きくなるのを待つ、その「時間待ち」のために、彼のゴルフに協力?しただけだった。
それでも、スポーツ一般についてルールもアヤシイ私が、やったこともないゴルフをTVで見てそれなりに楽しむことが出来るのは、小さなゴルファーとの長いつき合いがあったからだと思うと・・・何が幸いするかわからないモンだとつくづく思う。何より、彼とのゴルフを通しての会話は、本当に面白くて楽しい。
最近、2012全英オープンの映像をTVで観ていて、昔のことを思い出した。
直には坐れないほどすり切れたマンションの畳。自転車の前にはオモチャのゴルフ道具一式、後ろには何事かを喋っている小さなゴルファーを乗せて、公園通いをしている自分。そして、そのとき感じた風、空気、木々のざわめき・・・
人生は意外性に満ちていて、ついでに時々、ギャグやペーソス(あるいはハピネス)にも出合う・・・そんなことまで、ふと考えた。
「プロゴルファー猿」懐かしいですね。
ゴルフと言えば、接待ゴルフなどとオヤジなイメージがあるのですが(笑)このお話は、なんとまあ初々しいこと。小さな男の子でもゴルフ場の設計なんて、考えるものなんですね。幼いからこそ考えるのかしら。
見てみたかったですね、その設計図。
ゴルフが好きという事は知っていたけど、そんなに小さい頃からだとは!!
生まれつきと言ってもいいくらいですね(^^)
好みの事を考えると、ホントにみんなまちまちで、それだけ思いは異なっていて当たり前なんだなぁと、当たり前の事に感動しています。
いろんな事を考えているけど、まとまらないので、また、おじゃましますね。忘れなかったら
相変わらずの昔話をしています~(^_^;
(考えてみると、はにわさんがまだ高知におられた頃
既に始まってた話ですね・・・。)
私は、姪っ子のしずしずお茶会に招かれたり
おたくのKくんとはお庭で狩りをしたり・・・と、あちこちに楽しい思い出があります(^o^)。
今思うと、幼い子の想像力っていうのはほとんど魔法で
傍にいた私なんかも、知らぬ間にかかってたんじゃないでしょうか(^_^;
子ども達はその時その時、厳粛?なモノを感じさせるほど真剣で
でもとっても楽しそうなので、なんとなく見とれてつき合ってしまう・・・
そんな風情がありました。
そういえば、息子がよく観るアメリカやヨーロッパのゴルフの試合は
「オヤジ」な感じがあんまりしません。
どっちかというと、クマさん各種(グリズリーだのシロクマだの、はたまたヌイグルミだの)、わりと人間っぽい?ヒト、或いは針金みたいな宇宙人・・・などなどが
入り乱れて真剣にゲームをしてる雰囲気。
年齢・キャリア・国籍なんかを越えて
どこかあの「幼い子」の真剣さみたいなモノを感じさせるというか・・・。
(もちろん仕事で、お金がかかってるんですが(^_^;)
だもんで、TVで観ていると、昔のことまで思い出してしまうんじゃないかと
今初めて気がつきました。
あの設計図、一枚くらいはにわさんに見てもらえばよかったのに
お互い忙しい真っ最中で、そんなこと考えもしなかったのも
今となると懐かしいです(^o^)。
日記に出して下さったこと、全然構いません。
あ、読んでくれたんだ~って嬉しかったです(^o^)。
実はこの数ヶ月、我が家はゴルフ・シーズンで・・・
欧米の大きなトーナメントが1ヶ月に1回くらいはあるので、そのライブ映像とか関連番組とかが
昼間は毎日のように、居間のTVで流れてるんです(^_^;。
でね・・・それをなんとなく目にしていると
いろんなコトが思い浮かぶんです。
昔のことも、今現在のことも。
息子のゴルフ好きは、環境も教育も関係ないし
なぜこれほど長続きしているのかも、不思議と言えば不思議(ほんと「生まれつき」というレベル(^_^;)。
しかも、彼は実際のゴルフはほとんど経験がない(に近い)んですよ。
お金がないっていうのも本当なんですが、それとは別に
彼の「ゴルフ」は、私にとっての「外国映画」に当るのかなあ・・・なんて、ふと思ったりもします。
(私は以前、「映画の方が、自分を取り巻く現実よりずっとリアル」と感じるヒトでした。
日本映画は自分の現実と重なるモノを見せられるのがイヤで
外国映画の方が好きで、それは今も変わりません。)
息子が見ているゴルフも外国の試合が多く
その中では本人も本当にリラックスして、自由に呼吸している?ように見える・・・
何はともあれ、好きなモノがあるというのは
本当に幸せなことなんだな・・・ということだけは、しみじみ感じます。
彼が見ている風景は、世間的に「ゴルフ」という言葉から人が思い浮かべるものとは、多分全然違う・・・
それは一緒にTVを見ながら、喋っているとよくわかるので。
若い間は、生きてくのがとてもシンドイ時期が続くことがままありますが
好きなコトの中で「自由に泳げる」「深呼吸できる」時間があると
なんとか持ちこたえていけそうな気がします。
(意味不明なレスでスミマセン(^_^;。)
例の彼もそう言ってた事を思い出しました。
ともあれ、深呼吸できる場所、時間がある私たちは恵まれているなぁ、としみじみ思います。
あれほど好きなモノがあるなんて、なんて幸せなヒトなんだろう・・・って
ずっと私、思ってたんですよ(^o^)。ところが・・・
今日久しぶりに長い映画(『ダークナイト ライジング』)観に行ったら
なんとクライマックスで突然停電!
短時間で復旧したものの、その後はスピーカーが一つしか働いてない?状態・・・(^_^;。
あらまあ・・・なんですが、でも
なぜかそんなことに、文句言う気になりませんでした。
冷房と香料その他の中で(往復込みで)4時間となると
今の私には正直キツイんですが
それでも観に行けて、ほんとに良かったな~って
そのことだけしか思わなかったの。
それでようやく、自分の映画好きも結構なモンだったんだって
初めて自覚しました(^_^;。
私にとっては、「好き」ってそういうコトなんでしょうね。
結局のところ、いいことだけしか残らないというか。
だから、自分にとって「リアルがとてもしんどい」状況でも
ずっと支えになってくれたんだな・・・って、改めて思いました。
自分のことばっかりでスミマセン。
お友だちのように、(不当に)厳しすぎる現実の中を生きておられる方にも
私のように、ただぼんやり暮らしている者にも
「好きなモノ」って、平等に見つかるんだな・・・って
なんだかちょっと嬉しくなりました。
今でもゴルフコースが書けるのですか? どんなゴルフ場か見てみたいデスネ。
>今でもゴルフコースが書けるのですか?
どうでしょう・・・書けるかなあ・・・。
この20年ほどは書くの見たことないので(^_^;。
最近は(実在する)ゴルフ場の写真集を、コッソリ見てたりするみたい(^o^)。
ケーブルTVのゴルフ・チャンネルでも、時々番組の合間に、外国のゴルフ場の端正で美しい映像(BGM付き♪)が映ります。
私はそういうの見かけると、ふと、あの「チラシの裏のゴルフ・コース」が浮かぶんですよね(^_^;。
鉛筆も上手く握れないような、小さい子の描いた絵で、今見たら、そもそもゴルフ場には見えない?代物だったんだと思うんですが、本人の頭の中ではどんな風景だったんだろな・・・って。
私もあの設計図を、(今度は本人の説明付きで)もう一度見てみたいです(^o^)。
もっと、何と言うか、親に言っても分からないだろうと察知していたり。
親にだけは言いたくない、とか。
親には知られないようにしているみたいなところがあったりします。
なので、あんまりあれこれ口うるさく言わずにやりたいようにさせていたらいいと思うのです。
食事の世話と過ごしやすい環境を整えてやるくらいしか親に出来ることは無いと、たぶん長女が家に閉じこもり始めて3年くらい経った頃に思い至りました。だって、どんな状況になっても親は子を心配するものだし、あからさまにあなたのことが心配なのよと言ってもプレッシャーをかけるだけですよね。親の愛情の押しつけでしかないなと、はっきりそう思えたのは親の会のみなさんとのおしゃべりがあったからでしょうね。
子どもは、それぞれのやり方で確実に成長していくものだな~と、しみじみ思います。
誰もが大好きなことの中でのびのびと自由に振る舞える、そういうものを持っている、見つける、と思いたいです。
小さなゴルファーさんの話ではなくて、そのお友達のことなどで、ふと、思いついたものです・・・いつも、すみません(;^_^A アセアセ・・・
>親にだけは言いたくない、とか。
>親には知られないようにしているみたいなところがあったりします。
これについては、(個人的に)すごーくヨクワカリマス(^_^;。
私の親は、「親としての責任」を非常に強く意識している人たち?だったので
何か知ったら、「子どもの幸せのために」必ず踏み込んでくると(当時の)私は思い込んでいました。
だから、何事によらず親には秘密にしてましたね~。
好きなことや、やってみたいことがたとえあっても、「親にだけは」言わなかったと思います。
(勇気を出して言ってみても、「ソンナコト(苦笑)」のひとことで終わったりするので。)
人にもよるけれど、大なり小なり、子どもにはそういうところがあると、今も思っています。
自分がそういう子どもだったせいか
私は「(本当の意味で)子どもの役に立つ親」っていうのが、実はよくわかりません。
ああいうオトナになりたい・・・というような大人に出会った記憶も・・・無いみたいです。
もう一つ。
私は家から必死で離れようとした結果、「帰るところ(家とか故郷とか)」が無い人間になってしまったので
「帰る家のある人」のことはワカラナイ・・・というのもあります。
だから、結局のところ、たとえ自分の子どもといえども、「よくわからない」ままなんです。
そういう意味では、「ウチの子は○○みたいだ」って言える親御さんの気持ちも・・・実は、同じ「親」ではあってもよくわかりません。
・・・なんだか自分は「何もわからない」人間みたいな気がしてきますが(^_^;。
だからchonさんの仰る、「食事の世話と過ごしやすい環境を整えてやるくらいしか親に出来ることは無い」という言葉は、かえって理解しやすいというか、私なりに「本当にそうだな・・・」と思います。
うちの若いモン2人も、彼らの友人も、自分なりに(たぶん親の全く知らないトコロで)成長していってるんだろうな~と。
ただ、子どもが何をしてもしなくても、親という生き物(自分も含めて)は心配するものなんでしょうね。でも・・・
私自身は、自分が「子どもの成長を(かなり)阻害した親」の1人だと思っていますが
それを取り返す方法は、少なくとも親には無いとも思っています。
自分が子どもの立場で経験したことから思うんですが
子どもは親のやってくれたイイコトも迷惑なコトも、ぜ~んぶひっくるめて
その結果を自分で担いで、歩いていくものなんじゃないかなあ・・・と。
私は楽天的なヒトなので、それでも子どもはなんとかなる(自分でナントカする)と思っています(^o^)。
そして、「好きなこと」はその途中を、ナントカ支えてくれるんじゃないか・・・と。
長々と関係ないこと書いてしまって、私の方こそスミマセン。