まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

ミッシング

2024-05-26 | 感想
映画ミッシングを観てきた。
理由は、妻が青木崇高さんのファンだからだ。
突然、行方不明になった子どもを捜す親を描いた映画で
ストーリーの切り口はおもしろい感覚に思えた。

主演は石原さとみさんで、セリフにTHE 虎舞竜が出てきた時にはドキッとしたが、
重いテーマのことを考えると、彼女くらいの美人でなければ
とても観ておられないほどの内容だと思える。
これまでさまざまな境遇の方々に出逢ってきた私も
映画のようなストーリーの方には会ったことはないが
実際にはもっとえげつないどろどろした人間模様があるのではないかと想像される。
それは決して批判的な意見ではなく、
観客の精神状態を加味するとそれなりに脚色されてなければ恐怖映画になってしまい
映画が描きたかった内容とはかけ離れてしまう可能性があるんじゃないかと思うのだ。

適当な表現がみつからないのでうまく書けないのだが
子どもが行方不明になったニュースもよく目にするが
残念ながら命を落とされて見つかることもよく目にする。
とても比べられるものではないが、
行方不明の状態の方が収束がみられない分、
いつまでもずっと地獄を引きづっていかなければならないとも思えるが
悪い結果に終わったからといってとても忘れられるものでもなく
やはり甲乙付け難い。
いずれにしても両親やその家族ではなく
悪意のある犯人が悪いことだけは言える。

私たち夫婦には子どもがいないので
親としての愛情には到底及ばないものがあるが
親戚に若くして子どもを亡くされた夫婦がいる。
その時の葬儀のことが頭から離れない。
親しくしてきた夫婦にどう声を掛けていいのやら言葉が見つからず
居ても立ってもおられなくなり、
葬儀のあとの初七日法要が終わると、最後の解散までは残らずに帰宅して
その日のチケットを買っていたライヴ会場へと足を運び
ラストの2曲だけを聞いて帰った。
「あの時、なにも出来ないまでもせめて最後まで居てあげた方がよかったじゃないか。
せめて寄り添ってあげた方がよかったんじゃないだろうか?」
という気持ちに、この映画を観て再び襲われている。
夫婦はどのように思われたのか定かじゃないが
こちらの心の傷がえぐられるような気がしながら
私の中で自分を責め続けている。

明日からどうしようか

2024-05-25 | 反省
もう余裕がなくなった。
一時は3週間分くらい先まで書き貯めていた
当ブログの記事もいよいよ在庫切れになった。
ほかに仕上げなければならない用事が立て込んでいたり
体調がイマイチ優れなかったりして
のんびり構えていたらとうとう在庫切れとなった。
とりあえず今日の分として埋めているが
明日からの目途がまったく立っていない。

3週間分も余裕のあった頃は、
タイムリーな話題を優先させたり、
1日に2本アップしたりということもして
記事をぞんざいに扱ってきた罰が当たったようだ。

まあこれが執筆者としての性(さが)というか
漫画雑誌にもよくある、編集者に追われてひねり出すみたいな感じ
こそが毎日投稿を続ける原動力でもある。
余裕こいてしまったつもりはないが
どんどん書きたい話題で埋め尽くされる時があるくらいだから
全然書きたい話題が思い浮かばないこともあり、
しばらくは自転車操業が続くのであろう。
長年書いていると、こういう時がたまにあるもんだ。

今日はこのくらいで堪忍してもらって、明日に賭けよう。

私の夢②

2024-05-24 | 
友だちが誘いに来て一緒に3人で田んぼへ行く。
田んぼの角に小さなポストがあり、
そこへ友だちが小さなチラシを入れてまわる。
そのチラシには、健康でい続けられる秘訣が書かれているが
なぜか私は興味がなくよく読まないままに入れてきた。
目が覚めたあとになって何が書かれていたのか気になるが、
なんといっても夢のことなので調べる方法がない。

文章にしてみたら、いったいなにが何やら分からない。
分かっていることだが、夢なんてそんなものだ。

私の夢①

2024-05-23 | 
私は夢をほとんどが覚えていない。
たまたま覚えていた時だけでも記録しておけば、
自分の潜在意識ではどんなことを考えているのか知りたい。

どこかのお店の厨房に居て、
コンロの下には丸く型にはまったバターが入れてある。
そのバターが下から熱しられて溶けたバターが手前に流れてくる。
その溶けたバターの所に裸足になった足を置いておき、
溶けたバターでコーティングされた足に靴下を履くと
足のカサカサが取れてきれいな足になるという。
妻に勧められてやろうとするがなんとなく熱そうで怖い。
そう感じて躊躇しているうちにバターが溶け出してきた。
「早くしないともったいない」と妻に叱られて
もう一度試るがやっぱり足に引火しそう怖い。
妻には溶けたバターも元に戻せば再利用できると言い訳している。

文章にしてみたら、いったいなにが何やら分からない。
分かっていることだが、夢なんてそんなものだ。

ぬりえ

2024-05-22 | 感想
書きかけのままにしていた文章が出てきた。
それは妻が5月のGW明けのテレビを見ていて
田舎に帰って一番楽しかったことを聞かれた子どもが
「ぬりえ」と答えていた話である。
妻にしてみれば田舎の思い出が「ぬりえ」というのは
なんとも夢のない話であり、なにも田舎でなくてもと思うのだろう。
それを聞いた私は、こう考えた。
今の時代のことだから自宅ではユーチューブを観たり、
ゲームをしたりして過ごしているが、
両親の田舎に帰るとおばあちゃんが孫が喜ぶようにぬりえを用意してくれていて、
決して自宅では遊ぶことのないぬりえを楽しんだことが
一番楽しかったということもあるだろう。
その光景を思い浮かべるだけでも顔がほころんできた。

両親の実家が共に小学校区内だった私には、田舎に帰った思い出はなく、
いつも友だちの絵日記を見て羨ましく思ったものだが、
今にして思うと田舎は近い方がいい。
日頃から行き来があったから親戚付き合いもよく、従兄姉とも仲がいい。
現在の私の田舎(実家)も徒歩圏内であり、
妻の実家はなく義父は亡くなり義母も施設に入っている。