murota 雑記ブログ

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紫式部日記、和泉式部日記から見えてきたこと。

2022年02月06日 | 通常メモ
 紫式部が中宮彰子に仕えた期間、その中の約一年半にわたる日記と消息文には、藤原道長邸の生活,彰子の出産,正月の節会など大小の見聞が,式部独特の鋭敏な感覚を通して記録されている。自他の人間を見すえてたじろぐことのなかった『源氏物語』の作者の複雑な内面生活をうかがい知る上で貴重な文献でもある。そのように松岡正剛氏は述べている。 . . . 本文を読む

ドストエフスキーの「罪と罰」、そして夏目漱石、その深刻過ぎる内容。

2022年02月03日 | 通常メモ
 ドストエフスキーの作品「罪と罰」の主人公は貧しさのため大学を中退した23歳のラスコーリニコフ。頭脳が明晰ではあったが妄想癖があった。彼は1つの理論をもっていた。それは人類には凡人と非凡人の2種類が存在し、非凡人は人類のために何をしてもよいというもの。人類を幸せにするために、凡人の1人である虫けらみたいな金貸しの婆さんを殺してその財産を人のために使っても何の問題もないとラスコーリニコフは考える。そして実際に行動を起こす。ラスコーリニコフは自分がナポレオンの生まれ変わりのような気分になっていた。 . . . 本文を読む

歴史の中に見えた興味深い話

2022年01月11日 | 歴史メモ
 小説家の浅田次郎氏が述べている。明治維新のこと、それまでの日本は先進の軍事力を持たずに鎖国を通そうとする無防備国家だった。無防備ですんだのは産業革命からしばらくは先進国といえども産業レベルでの遠洋航海ができないでいたからだ。それが海軍に遠洋航海の能力ができて、20世紀の初めまでにアフリカのほとんどがヨーロッパ諸国の植民地となると、先進国はその牙を一気にアジアに向けてきた。インドの全部がイギリスの植民地となり、次に最大の目標としたのが当時の清(しん)、現在の中国だった。当時の清から茶や絹、陶磁器を大量に輸入して大幅な輸入超過になったイギリスは、植民地のインドで栽培したアヘンを清に密輸出するという三角貿易で国富の流出を防いでいた。アヘンを取り締まろうとした清との間で戦争になるが、近代的な英国軍に清は敗れた。清は一方的に香港島の領有を宣言され、南京条約の締結で香港が英国領となった。その様子を目の当たりにして日本は、いち早く鎖国を解いて統一国家をつくり、欧米列強諸国に追いつこうという意思統一が進んでゆくのが幕末の動乱期だった。最初は外国船を打ち払おうとしたが、当時の薩摩藩や長州藩は、薩英戦争や馬関戦争を経て、とても欧米列強諸国にはかなわないと認識する。明治維新をなしとげた原動力は欧米列強の植民地になってはならないという一点にあった。日本が植民地にされてはならぬ、だから外国人を打ち払えという攘夷運動と、同じ意図による開国運動が交じったところで起こったのが明治維新だったという。 . . . 本文を読む

ニュートリノは光速より決して速くない。

2022年01月06日 | 通常メモ
 ニュートリノが光速より速いというのは間違いだった。アインシュタインの相対性理論の考え方に変化はない。小柴 昌俊氏は1987年、自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上はじめて自然に発生したニュートリノの観測に成功し、2002年にノーベル物理学賞を受賞した。ニュートリノというのは不思議な粒子だ。宇宙には数え切れないくらい星があるが、その星を分子から原子、原子から素粒子と究極までバラバラの粒子にして数えたら、すごい数になる。ニュートリノは、その1億倍の数もある。いわば宇宙には、ニュートリノが充満している。 . . . 本文を読む

夏目漱石のこと

2021年12月02日 | 通常メモ
 漱石がなぜ小説を書くようになったかを振り返ってみると、彼が漢詩をやりたかった理由も想像できる。漱石は英文学の先生として文部省から最初にイギリスに派遣された人、帰国後は英文学の総大将になる立場だった。東大ではラフカディオ・ハーンがイギリス文学を教えていたが、その後を継ぐべき人として嘱望されていた。ところが、漱石はイギリスに留学してみると、自分の持っていた文学の概念とイギリスの文学の概念が全く違っていた。漱石が文学と思っていたのは左国史漢、つまり「春秋左氏伝」「国語」「史記」「漢書」といった全てシナの歴史書であった。歴史書が名文だったので当時の日本では文学として扱われていた。そのように上智大学の名誉教授だった故渡部昇一氏が述べていた。 . . . 本文を読む