murota 雑記ブログ

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靖国問題をひも解く。

2014年02月01日 | 歴史メモ
 なぜ極東のたった1つの神社を巡り、諸外国も巻き込んでこれほどの騒動が起きるのか。報道では日本と中国・韓国との間に横たわる歴史認識問題や、東アジア情勢の安定を求める米国の懸念などが、その要因としてクローズアップされている。靖国神社とはどんな神社なのか。首相がそれを参拝することは、何故ダメなのか。その歴史は明治時代に遡る。同神社はもともと「東京招魂社」という名称で、1869年(明治2年)に明治天皇の命により創設された。10年後の1879年(明治12年)に靖国神社と改称された。当初は戊辰戦争による戦死者を合祀することなどから始まり、明治維新の志士をはじめ、米国東インド艦隊司令官・ペリーが来航した1853年(嘉永6年)以降の国内戦乱に殉じた人たちを、合わせて祀る場所として機能した。没者は「英霊」と称され、その数は246万6000余柱に上る。

 さて、参拝を巡る主な争点は4つある。政教分離の原則、信教の自由、諸外国との歴史認識問題、A級戦犯合祀、以上の4つだ。日本国憲法第20条では信教の自由を保証し、政教分離の原則を掲げている。信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。つまり、内閣総理大臣や国会議員、都道府県知事など、公職にある人が公的に靖国神社に参拝し、公的な支出によって玉串料やその他の寄付を行うことは、前述の「憲法第20条に違反している」として問題視される。一方で、公的な立場を離れた「私人」としての参拝については、同じく20条に定められた「信教の自由」によって「保障されるべきである」という見方もある。解釈の幅により、現職閣僚などの参拝に関しては、それが「公的な立場か、私人としてか」という問題に焦点が当たる。

 また、歴史認識問題に関しては、主に中国と韓国からの反発が強い。米国も懸念を表明している。先の大戦で交戦国であった中国の主張は 「靖国神社は戦死者を英霊として祀り、戦争自体を肯定的に捉えている。そうした神社に仮にも公的な立場にある人物が公式に参拝するということは、日本政府として、同社の歴史観を公的に追認しているということになる」だ。靖国神社自身は公式には「戦争自体を肯定的に捉えている」との主張はしていない。諸外国の反発に対して「内政干渉だ」と反発する国内世論もある。ややこしくしているのがA級戦犯の合祀。一般人には聞き慣れない言葉だが、合祀とは「二柱以上の神を1つの神社に祀ること」を指す。靖国神社にはペリーの黒船来航以来の戦乱に殉じた「英霊」が祀られている。しかし1978年10月17日、第二次世界大戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)において「平和に対する罪」に問われたA級戦犯と呼ばれる戦争指導者14名が、「国家の犠牲者」として同神社へ合祀された。「戦争犯罪人」とされた人たちを神として祀り、また閣僚らが参拝して頭を垂れることに対して、諸外国を中心に強い反発がある。日本政府が公的に靖国神社へ「分祀」を強制することはできない。そうなれば、先の憲法第20条に定められた「政教分離の原則」に触れる。靖国神社は政府機関ではなく、一宗教法人にすぎない。靖国神社の祭神からA級戦犯を除くとするならば、それには靖国神社に自発的な行動を求めるしかない。靖国神社側は、全国戦友会連合会のページ内で、要約すると「神は1つになっており選別もできない。神道では、分祀とはある神社から勧請されて同じ神霊をお分けすることを指し、分祀で神を分離することはできない」 という見解だ。

 A級戦犯ゆかりの寺社仏閣は靖国だけではない。東京裁判での判決を受けて1948年に処刑されたA級戦犯は、元首相、元陸軍大将・中将の7名(東條英機、広田弘毅、松井石根、板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、武藤章)。彼らの遺灰の一部は、処刑後に横浜の火葬場関係者らによって密かに持ち出され、静岡県熱海市伊豆山の興亜観音に埋葬された。1960年代には、その一部が愛知県西尾市三ヶ根山の殉国七士廟にも分骨されている。これらは「小さな靖国神社」と呼ばれることもある。

  果たして安倍首相の参拝の真意は何だったのか。そして、同盟国の米国までもがここまで強い反応を示したという事実を、どのように受け止めるべきなのか。上智大学国際教養学部教授であり、『ヤスクニとむきあう』(めこん)を編集するなど、政治問題に詳しい中野晃一教授はいう、「結論から言えば、戦略的な外交などの意図はないと思います。あの日は、安倍首相が今回首相に就任してから1年経ったというだけであり、靖国神社側の例大祭などの祭事とは何の関係もありません。さらに、そもそも靖国神社への公式参拝は違憲です。つまり、今回の安倍首相の参拝は極めて私的な判断に基く行為であり、さらに言えば、今まで『我慢』してきたナショナリストである『自分へのご褒美』という意味合いが強いと、言えるのではないでしょうか」と、更に、 「中国、韓国の反応はおおかた予想の範疇でしたが、今回特筆すべきは米国の反応です。米大使館は同首相の靖国参拝に関し、『Disappoint』とコメントしました。一般的には『失望している』と訳されていますが、しかしこの単語からはもう少し深い政治的意図が読み取れます」と。中野教授によれば、「Disappoint」という単語は3つに分けられる。「dis」「a(p)」「point」である。「a(p)」「Point」は、ある特定の(a)位置(point)を指す。政治におけるこの「位置」とは「共通認識」ということだ。「dis」は、そこに否定をかけている。つまり、Disappointとは、「特定の共通認識から外れた」という状態のことを指している。

 今回の事態における「特定の共通認識」とは何か。米国にとって今や中国は最大の債権国であり、最大の貿易パートナー。ただ同時に、日本も米国にとって非常に重要な国。つまり米国にとっての共通認識とは、『日本と中国の間に歴史的な軋轢があるのはわかっているが、米国にとって今や中国は大事なパートナーであり、日本も大事なパートナーだから、日本も我々のことを思って、中国と無用に緊張を高めないでほしい。歴史問題は蒸し返さないでもらいたい』というもの。米政府は再三に渡り日本政府にこの共通認識を確認する外交を行ってきており、『日本政府もその意図を共通認識として持っているであろう』と考えていた。にもかかわらず、今回安倍首相が靖国参拝を敢行し、中国からの反感を買った。この行為に対して、『共通認識から外れた(Disappointed)』という表現が使用された。

 安倍首相は、1月22日にスイスで行われた世界経済フォーラム(WEF)年次総会(ダボス会議)に出席し、「靖国神社には大変な誤解がある」とその成り立ちを説明した。その上で、今回の自らの参拝に触れ、「靖国には戦争のヒーローがいるのではない。ただ、国のために戦った人々に感謝したい思いがあるだけ。国のために戦った方々に祈りを捧げるのは、世界のリーダーに共通する姿勢である」と訴えた。安倍首相は就任以来関係が悪化している中韓に対して、「対話のドアは常にオープンだ」と述べている。安倍首相の言い分にも、もっともな部分はある。しかし、事態がこうもこじれている以上、中韓が開かれたドアに足を踏み入れ、対話を望んでくることは難しい。加えて沖縄の普天間基地移設問題を抱え、東アジアの安定を懸念する米国をこれ以上刺激するのも、得策ではない。安倍首相が靖国参拝を今後も恒例とするつもりと聞く。そうなれば国益と個人の信条を秤にかける難しい決断を迫られる。靖国参拝問題は極東の1神社を巡る問題だけではなくなった。安倍首相、もっと利口になれといいたい。

1 コメント

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首相の判断一つで変わるのに。 (K.K)
2014-02-01 07:24:05
靖国参拝にこだわる安倍さん、日中韓との外交が進展せず、大変なマイナス要因となっていることを客観的に判断できない、問題ありですね。
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