ベルクソンはフランスの哲学者、日本語では「ベルグソン」と表記されることも多いが、近年では原語に近い「ベルクソン」の表記が主流となっている。若き学徒のころから一貫してカント哲学と対峙しつづけた哲学者だった。カント哲学というのは一言でいえば「判断はどうあるべきか」ということを考えた哲学だった。さかのぼればアリストテレスに発していた命題(判断命題という)を、カントが劇的に高めたものでもあった。カントはそのために、判断のよってきたる作動因のようなものを考えた。そして、そこには因果律のようなものが支配的に関与していて、それが科学的法則になったりしていると見ていた。ただカントは、我々はそのような科学的な因果律を自分の判断のどこかに投影しすぎていて純粋な判断がにぶっている。もっと純粋で、理性的な判断がどういうものかをつきとめるべきと考えた。わかりやすくいえば、人間の理性や悟性(意識)は科学が発見するようなものとは別のところにある。だから哲学は人間の本性に属するともいえる「主体の意識の哲学」だけを考えたほうがいいという方針を立てた。そのためカントは、空間や時間は、われわれの意識や判断とは別に、アプリオリ(先天的に、経験に先立って与えられている認識)にあるとみなした。これを、ベルクソンは崩そうとしてきたのだ。時間も空間も我々の意識に関与しており、そもそも人間が存在として宇宙的生命の歴史の中に誕生し、このような意識をもったということは、カントの言うように、純粋な判断とかかわりのない時空がどこか別のところにあるのではなく、意識を生み出す時空というものがあり、これからの哲学はそのことを思索し表現するべきと考えた。このようなカント哲学との対峙が、ベルクソンのエラン・ヴィタールという「生の哲学」になってゆく。そしてベルクソンの哲学は生命の力を強調し哲学史から時空を奪い返したものであったといえる。
ベルクソンがエラン・ヴィタール(「生の飛躍」)を主唱したのち、そのような意識の生命力が「物語」(作話力)に向かっていく。それは、あまり知られていないベルクソンの世界解釈論ともいうべきものでもあり、のちにレヴィ=ストロースが自分の文化人類学と類似すると共感したものでもある。ベルクソンは「人物を創出し、その歴史を自分自身に物語る能力」こそ、「存在=精神≒意識」にとって最もエラン・ヴィタール(「生の飛躍」)なことだと見た。ベルクソンは「朗読」の重要性も指摘した。文脈にひそむリズムを意識して文章や詩歌を声を出して読むことは、これまたベルクソンのエラン・ヴィタールであった。
ベルクソンは、デカルト以来の「心身問題」を、最高峰の矛盾と葛藤のなかで思索しつづけた。ベルクソンは精神と物質の二元論のなかで、この二つをつなごうとしつづけた。ベルクソンは「無」が当初からあるという見方には反対だった哲人であり、ヨーロッパに伝統的な「人はタブラ・ラサ(白紙)に何かを描くことで生き、何かを刺繍することで思考する」という強固な考え方を覆そうとしていた。これは、トマス・アクィナス以来の伝統(=トミスム)に文句をつけようというものだが、カントにもヘーゲルの言い分にも屈服しなかった。
しかし、「無」と「存在」の関係は、容易に片付くものではない。ハイデガーを請けたサルトルは、その半生を「存在と無」の問題に終始した。サルトルはベルクソン批判に正面から取り組んだ。また、ライプニッツは、「なにゆえに無ではなく、むしろ何かが存在するのか」を考えこんで究極の決断に迫られた。だから、ベルクソンといえども「無」を打擲して、あたら「存在」のみに加担するわけにはいかなかったはずなのだが、『創造的進化』の最終章がそのことの論議に全てあてられていたように、最後は生命の発生と進化を持ち出し、「無の先行」を否定した。哲学は「真の実在」を知ろうとする作業でもある。この「真の実在」についていえば、プラトンの「イデア」でも、プロティノスの「ヌース」でも、カントの「理性」でも、ハイデガーの「原存在」でも、「真の実在」とか「知の真実」とか、絶対知や普遍知に対して、その探求にこそ哲学の意味があった。そして絶対知を求めたのがヘーゲルでもあった。
さて、「真の実在」が何々だと言明されることについては、その「知の真実」を知るには、どんな方法をとるか。少なくとも二つの方法が浮上する。ひとつ(A)は外から眺める方法、もうひとつ(B)は内側からつかまえる方法。科学はもっぱらAを、哲学はおおむねBをつかう。つまり、演繹法か帰納法かだ。Aには、何をどこから眺めているかという立場が明確になる必要がある。Aの方法は、「存在」を相対的に記述しているという特色をもつ。Bの方法は、事態の内側にいて、真の実在を記述できるかどうかを試すという方法だ。Bの方法で得られる実在は、自分の立場と存在の本質が一緒になっている可能性があり、危険性がある。けれども、哲学はその危険にあえて介入する。ベルクソンは、この「ごっちゃ」の方法主体を「直観」とみなす。直観(intutio)とは、Bの方法が動いているときの、“方法の親玉”のようなもの。少なくともベルクソンはそのように見た。これは内観か、内見といってもいい。一般的には、意識といってもいい。この意識は広い意識のことではなく、真の実在に向かって動く焦点をもち、焦点をさがしている方法的意識だ。このような方法的意識をもつ直観は、いつも一定の様相をもっているとはいえない。焦点すら動くのだから。そのため、よく「ひらめいた」とか「ユーレカ」というように、直観は何かが刻々変化している中で、ヴィジョンのように見えてくる。そういう「ひらめき」がはたして直観の正体かどうかは措くとして、直観は直観だけが自立しているかといえばそうでもない。そこにはおそらく「流れる時間」というものがある。直観は「流れる時間」に乗っている。直観は時間とは分けられない。しかも、直観が直観になるときは「ずっと現在」なのだ。
そこでベルクソンは、その「流れる時間」とともに直観が一緒に動いていると見て、直観が関与する「ずっと現在」の状態のことを、あらためて「持続」(デュレ)と呼ぶ。「直観的に考えるとは持続において考えることである」「直観の理論の前に持続の理論がある。前者は後者から出る」というのは、このあたりのことをいう。また、そのような時速にある直観的意識には「強度がある」というふうに見る。ベルクソンは、直観と持続という内的な立場から、真の実在を哲学するという方向をもった。これが『物質と記憶』の基本的な枠組だった。これが、ベルクソン37歳のときの執筆にある。だが、いくつかひっかかることがある。第1には、「時間」と「持続」を持ち出したことで、たくみに「無」の君臨を消してしまったこと。いつのまに「無」を消去したのかわからない。第2には、「流れた時間」と「流れる時間」をはっきり分けていたこと。「流れた時間」を過去や経験とみなし、「流れる時間」だけを相手にした。そんなふうに便利に時間を分けられるものなのか疑問だが。第3に、「物質」と「記憶」の関係がわからない。ベルクソンは物質というとき、ニュートン力学が提供したシステム(系)のなかで記述される物質を取り払って、生命や人間を構成している“内側の物質”ばかりを相手に選んでいる思考をしていた。いわば「意識を構成している物質」が、ベルクソンの物質だ。いったい「意識が物質を帯びているのか」、それとも「物質が意識を帯びたのか」という難問を喚起させ、その難問をベルクソンは解いてはいない。
ベルクソンの最大の哲学上の課題は、「自由」とは何かというところから始まっていた。しかし、自由を考えるには、その自由をほしがる人間というものがどういう本質をもっているのか、あるいはどういう本質的な方向をもちたいと思ってきたのかということを、片付けなければならない。この「本質がまだわからない人間」のことを、哲学者たちは好んで「存在」と呼んできた。それはプラトン以来のこと。存在とは何か。哲学上の定義からいって、存在とはその本質が不分明なもので、中身がよく見えない。人間は「存在」という思考様式そのものであるのだが、ベルクソンは存在とはひとまず「精神」であろうとみなした(これはヘーゲル以来の哲学の課題だが)。ただし「存在は精神だ」という程度では、ほとんど同義反復になる。ただちに「存在=精神」のかなりの大半を、「意識」が占めているだろうと考え、存在は精神であって、精神の大半は意識であると仮定した。「存在=精神」の大半が意識だとしても、そのほかに「物質」がどのように関与しているかが、当時の生物学や生理学ではわからなかったが、先に進むことにした。仮に「存在=精神」≒「意識」だとしても、その意識をどこから、どんなふうにとらえればいいのか。外から眺めているだけではわからない。Bの方法で、内側に入ったまま哲学してみるしかない。運よく内側に入れたにせよ、この意識は「本質がまだわからない人間」がもっている意識なのだから、「ごっちゃ」の感覚をなんとか整理しておく必要がある。それには意識をまるごと扱わないで、ややはっきりしているところと、まだよくわからないところとを分けておく必要がある。「記憶」が重大な分水嶺になっているのではないかということになってきた。そこでベルクソンがとりくんだのは、意識は、記憶の部分と、まだ記憶になっていない部分とに分けられるのではないかと。この分け方がおおざっぱなものだということは、ベルクソンはよく知っていた。
記憶にはやたらに詳しい部分とやたらに曖昧な部分とがあり、それらは複雑にまじっている。夢に出てくるのも記憶だろう。だから記憶を議論するには、記憶の広さや大きさというより、記憶の「強度」といったものを重視する必要がある(この「強度」はベルクソン得意の概念)。記憶がなければ意識もないだろうということだけは前提になる。ベルクソンは当時の脳科学の成果も調べて、記憶喪失者たちが意識をも喪失している例をいくつもとりだしている。記憶が意識をコントロールしているらしいことは、間違いがなさそうだった。意識には記憶になっていない部分もある。こちらのほうの意識は何なのか。その多くは知覚や行動と結びついているが、記憶になっていないということは、現在や未来にかかわっているとみなせる。とくに現在だ。意識というのはおそらく「時間」に依存している。とくに記憶は過去に結びついている。では、どこからが意識にとっての過去で、どこからが現在で、どこからが未来なのか。記憶と過去をあまりにも堅く結びつけてしまうのはよくない。記憶は貯蔵庫(アルシーヴ=アーカイブ)に入っている時よりも、それが思い出される時が問題だ。記憶は現在にもかかわってくる。意識を考えるとは、実は意識が「現在」に何をおこそうとしているかを考える。意識にとっては「ずっと現在」だ。では、記憶は何の働きをしているのか。ベルクソンは、この問題のありかたにこそ「自由」とは何かということが関わっていると考えた。そして、「存在=精神」≒「意識」という問題の解き方には、実は「時間・記憶→自由」という未知の問題の立て方があると思うようになった。この二つのシェーマ(図式)の「あいだ」は、どこかで、何かがつながっているにちがいない。「存在=精神」≒「意識」と「時間・記憶→自由」との「あいだ」をつなげているものとは何なのか。当初はいささか難問だった。しかし、ベルクソンはここで転換をする。かなりの大転換だった。「あいだ」に何かがあるのではなく、その「あいだ」そのものこそ重要な何かだ、そういうふうに考えを転換した。そして、この「あいだ」こそ「持続」というものだろうと結論づけた。この「持続」という概念はベルクソンを相当に満足させたようで、のちには「純粋持続」という抽象度の高い概念にまで引き上げていった。ともかく、存在と時間とが、意識と記憶とが、それなりの関係をもつようになり、その関係を支えているものが、「ずっと現在」を演じさせつづける「持続」という意識であろうとした。
「持続」だけでは何も生まれない。純粋持続は純粋意識しかもたらさない。そこでベルクソンは、「存在が存在の本質にふと気がつく時」というものを想定して、ここに「直観」の関与があるとした。直観は持続を破るものであり、また、持続の奥底に眠っていたかもしれない本質的な意識をめざめさせるものともなった。直観がどういうものかということは、へたすれば直観は「ごっちゃ」意識そのものであり、直観もまた時間の流れに依存している、直観といえども意識のゴタクとともに「一緒くたの現在」をもっていると言わざるをえない。それでも、直観が持続を破り、持続が直観を支えている、そこには「あいだ」という領域があるとベルクソンを満足させた。そこからベルクソンが「生の哲学」の創始者だと呼ばれる独自の展開になっていく。ベルクソンは以上の推論から、生命が進化という大きな時間をへるにしたがって、意識をもつ人間存在というものになったという構図を描く。その大いなる進化のなかで、一個ずつの生命がそれぞれの意識をもち(言葉ももち)、それぞれの記憶を貯め、そこに過去と現在と未来の区分を感じ、さらにその先の自由に向かっていくというふうに考えた。ベルクソンの時間は進化とも重なっていく。そんなことは特段にめずらしいものではない。すでにエルンスト・ヘッケルが19世紀末に「個体発生は系統発生をくりかえす」と言って、大胆ではあるが、暗示力に富んだテーゼを発表していた。それは、まだ単なるシェーマ(図式)にすぎず、そのシェーマを生命や意識が持続させている「あいだ」が説明されたわけではない。ベルクソンはその「あいだ」をこそ哲学し、そこについに「創造的進化」という、ダーウィンの進化論だけでは導き出せない構想をくっつけた。これが『創造的進化』という著作になってゆく。
このこともベルクソン一人の独創というわけではない。すでにハーバート・スペンサーが「総合哲学体系」の名のもとに社会進化論を提唱していて、そこに「ハイパー・オーガニゼーション」(有機的社会意識)が創発されていることを説いていた。やはり19世紀末のこと。ダーウィニズムは、すでに意識の進化にもあてはめられつつあった(これが「社会ダーウィニズム」のスタートにあたる)。ちなみにスペンサーについては、のちのちの社会生物学の仮説とともに(社会ダーウィニズムの仮説とともに)、じっくり検討したほうがいいのだが、ベルクソンはスペンサーからも大きな影響を受けていた(ベルクソンだけではなく、フェノロサ、岡倉天心、森有礼、西田幾多郎、パーソンズ、ルーマン‥‥いずれもスペンサーの申し子)。ベルクソンはスペンサーそのものでもなかった。意識が進化し、社会が進化するということだけを言いたかったのではなく、その中で人間(存在)は、ある種の精神的飛躍をおこす、意識的飛躍をおこすということを強調した。ここにふたたび直観が関与する。これが有名な「エラン・ヴィタール」(elan vital)、「生の飛躍」というもので、ベルクソン哲学の核心にあたるものだ。
一方には、生命の悠久の進化の連続がある。これは大いなる持続ともいえるもの。そしてこの大いなる持続こそが人間を生み、意識を派生させ、精神を形成してきた。他方では、これを精神や意識のほうから見ると、この大いなる持続を破って、精神や意識がエイリアンのごとく地上に出現したことにもなる。その破開をおこした意識の親分、あるいは方法の親分が直観、その直観が「脳」に所属しているのか、「心」に遍在していたのか、それとも「体」のどこかに蹲っていたのか、明らかではないが、ともかく持続の打破は、人間の内側に爆薬の破裂のごとく出現したことになる。これがエラン・ヴィタールであろう。ベルクソンにとって、このエラン・ヴィタールは生物史の異様な起爆とも、さらには宇宙史の最も果敢な創発とも感じられた。生命賛歌としてのエラン・ヴィタールでもあった。ベルクソンも生命の探求に悩む一人の人間だったようだ。
ベルクソンがエラン・ヴィタール(「生の飛躍」)を主唱したのち、そのような意識の生命力が「物語」(作話力)に向かっていく。それは、あまり知られていないベルクソンの世界解釈論ともいうべきものでもあり、のちにレヴィ=ストロースが自分の文化人類学と類似すると共感したものでもある。ベルクソンは「人物を創出し、その歴史を自分自身に物語る能力」こそ、「存在=精神≒意識」にとって最もエラン・ヴィタール(「生の飛躍」)なことだと見た。ベルクソンは「朗読」の重要性も指摘した。文脈にひそむリズムを意識して文章や詩歌を声を出して読むことは、これまたベルクソンのエラン・ヴィタールであった。
ベルクソンは、デカルト以来の「心身問題」を、最高峰の矛盾と葛藤のなかで思索しつづけた。ベルクソンは精神と物質の二元論のなかで、この二つをつなごうとしつづけた。ベルクソンは「無」が当初からあるという見方には反対だった哲人であり、ヨーロッパに伝統的な「人はタブラ・ラサ(白紙)に何かを描くことで生き、何かを刺繍することで思考する」という強固な考え方を覆そうとしていた。これは、トマス・アクィナス以来の伝統(=トミスム)に文句をつけようというものだが、カントにもヘーゲルの言い分にも屈服しなかった。
しかし、「無」と「存在」の関係は、容易に片付くものではない。ハイデガーを請けたサルトルは、その半生を「存在と無」の問題に終始した。サルトルはベルクソン批判に正面から取り組んだ。また、ライプニッツは、「なにゆえに無ではなく、むしろ何かが存在するのか」を考えこんで究極の決断に迫られた。だから、ベルクソンといえども「無」を打擲して、あたら「存在」のみに加担するわけにはいかなかったはずなのだが、『創造的進化』の最終章がそのことの論議に全てあてられていたように、最後は生命の発生と進化を持ち出し、「無の先行」を否定した。哲学は「真の実在」を知ろうとする作業でもある。この「真の実在」についていえば、プラトンの「イデア」でも、プロティノスの「ヌース」でも、カントの「理性」でも、ハイデガーの「原存在」でも、「真の実在」とか「知の真実」とか、絶対知や普遍知に対して、その探求にこそ哲学の意味があった。そして絶対知を求めたのがヘーゲルでもあった。
さて、「真の実在」が何々だと言明されることについては、その「知の真実」を知るには、どんな方法をとるか。少なくとも二つの方法が浮上する。ひとつ(A)は外から眺める方法、もうひとつ(B)は内側からつかまえる方法。科学はもっぱらAを、哲学はおおむねBをつかう。つまり、演繹法か帰納法かだ。Aには、何をどこから眺めているかという立場が明確になる必要がある。Aの方法は、「存在」を相対的に記述しているという特色をもつ。Bの方法は、事態の内側にいて、真の実在を記述できるかどうかを試すという方法だ。Bの方法で得られる実在は、自分の立場と存在の本質が一緒になっている可能性があり、危険性がある。けれども、哲学はその危険にあえて介入する。ベルクソンは、この「ごっちゃ」の方法主体を「直観」とみなす。直観(intutio)とは、Bの方法が動いているときの、“方法の親玉”のようなもの。少なくともベルクソンはそのように見た。これは内観か、内見といってもいい。一般的には、意識といってもいい。この意識は広い意識のことではなく、真の実在に向かって動く焦点をもち、焦点をさがしている方法的意識だ。このような方法的意識をもつ直観は、いつも一定の様相をもっているとはいえない。焦点すら動くのだから。そのため、よく「ひらめいた」とか「ユーレカ」というように、直観は何かが刻々変化している中で、ヴィジョンのように見えてくる。そういう「ひらめき」がはたして直観の正体かどうかは措くとして、直観は直観だけが自立しているかといえばそうでもない。そこにはおそらく「流れる時間」というものがある。直観は「流れる時間」に乗っている。直観は時間とは分けられない。しかも、直観が直観になるときは「ずっと現在」なのだ。
そこでベルクソンは、その「流れる時間」とともに直観が一緒に動いていると見て、直観が関与する「ずっと現在」の状態のことを、あらためて「持続」(デュレ)と呼ぶ。「直観的に考えるとは持続において考えることである」「直観の理論の前に持続の理論がある。前者は後者から出る」というのは、このあたりのことをいう。また、そのような時速にある直観的意識には「強度がある」というふうに見る。ベルクソンは、直観と持続という内的な立場から、真の実在を哲学するという方向をもった。これが『物質と記憶』の基本的な枠組だった。これが、ベルクソン37歳のときの執筆にある。だが、いくつかひっかかることがある。第1には、「時間」と「持続」を持ち出したことで、たくみに「無」の君臨を消してしまったこと。いつのまに「無」を消去したのかわからない。第2には、「流れた時間」と「流れる時間」をはっきり分けていたこと。「流れた時間」を過去や経験とみなし、「流れる時間」だけを相手にした。そんなふうに便利に時間を分けられるものなのか疑問だが。第3に、「物質」と「記憶」の関係がわからない。ベルクソンは物質というとき、ニュートン力学が提供したシステム(系)のなかで記述される物質を取り払って、生命や人間を構成している“内側の物質”ばかりを相手に選んでいる思考をしていた。いわば「意識を構成している物質」が、ベルクソンの物質だ。いったい「意識が物質を帯びているのか」、それとも「物質が意識を帯びたのか」という難問を喚起させ、その難問をベルクソンは解いてはいない。
ベルクソンの最大の哲学上の課題は、「自由」とは何かというところから始まっていた。しかし、自由を考えるには、その自由をほしがる人間というものがどういう本質をもっているのか、あるいはどういう本質的な方向をもちたいと思ってきたのかということを、片付けなければならない。この「本質がまだわからない人間」のことを、哲学者たちは好んで「存在」と呼んできた。それはプラトン以来のこと。存在とは何か。哲学上の定義からいって、存在とはその本質が不分明なもので、中身がよく見えない。人間は「存在」という思考様式そのものであるのだが、ベルクソンは存在とはひとまず「精神」であろうとみなした(これはヘーゲル以来の哲学の課題だが)。ただし「存在は精神だ」という程度では、ほとんど同義反復になる。ただちに「存在=精神」のかなりの大半を、「意識」が占めているだろうと考え、存在は精神であって、精神の大半は意識であると仮定した。「存在=精神」の大半が意識だとしても、そのほかに「物質」がどのように関与しているかが、当時の生物学や生理学ではわからなかったが、先に進むことにした。仮に「存在=精神」≒「意識」だとしても、その意識をどこから、どんなふうにとらえればいいのか。外から眺めているだけではわからない。Bの方法で、内側に入ったまま哲学してみるしかない。運よく内側に入れたにせよ、この意識は「本質がまだわからない人間」がもっている意識なのだから、「ごっちゃ」の感覚をなんとか整理しておく必要がある。それには意識をまるごと扱わないで、ややはっきりしているところと、まだよくわからないところとを分けておく必要がある。「記憶」が重大な分水嶺になっているのではないかということになってきた。そこでベルクソンがとりくんだのは、意識は、記憶の部分と、まだ記憶になっていない部分とに分けられるのではないかと。この分け方がおおざっぱなものだということは、ベルクソンはよく知っていた。
記憶にはやたらに詳しい部分とやたらに曖昧な部分とがあり、それらは複雑にまじっている。夢に出てくるのも記憶だろう。だから記憶を議論するには、記憶の広さや大きさというより、記憶の「強度」といったものを重視する必要がある(この「強度」はベルクソン得意の概念)。記憶がなければ意識もないだろうということだけは前提になる。ベルクソンは当時の脳科学の成果も調べて、記憶喪失者たちが意識をも喪失している例をいくつもとりだしている。記憶が意識をコントロールしているらしいことは、間違いがなさそうだった。意識には記憶になっていない部分もある。こちらのほうの意識は何なのか。その多くは知覚や行動と結びついているが、記憶になっていないということは、現在や未来にかかわっているとみなせる。とくに現在だ。意識というのはおそらく「時間」に依存している。とくに記憶は過去に結びついている。では、どこからが意識にとっての過去で、どこからが現在で、どこからが未来なのか。記憶と過去をあまりにも堅く結びつけてしまうのはよくない。記憶は貯蔵庫(アルシーヴ=アーカイブ)に入っている時よりも、それが思い出される時が問題だ。記憶は現在にもかかわってくる。意識を考えるとは、実は意識が「現在」に何をおこそうとしているかを考える。意識にとっては「ずっと現在」だ。では、記憶は何の働きをしているのか。ベルクソンは、この問題のありかたにこそ「自由」とは何かということが関わっていると考えた。そして、「存在=精神」≒「意識」という問題の解き方には、実は「時間・記憶→自由」という未知の問題の立て方があると思うようになった。この二つのシェーマ(図式)の「あいだ」は、どこかで、何かがつながっているにちがいない。「存在=精神」≒「意識」と「時間・記憶→自由」との「あいだ」をつなげているものとは何なのか。当初はいささか難問だった。しかし、ベルクソンはここで転換をする。かなりの大転換だった。「あいだ」に何かがあるのではなく、その「あいだ」そのものこそ重要な何かだ、そういうふうに考えを転換した。そして、この「あいだ」こそ「持続」というものだろうと結論づけた。この「持続」という概念はベルクソンを相当に満足させたようで、のちには「純粋持続」という抽象度の高い概念にまで引き上げていった。ともかく、存在と時間とが、意識と記憶とが、それなりの関係をもつようになり、その関係を支えているものが、「ずっと現在」を演じさせつづける「持続」という意識であろうとした。
「持続」だけでは何も生まれない。純粋持続は純粋意識しかもたらさない。そこでベルクソンは、「存在が存在の本質にふと気がつく時」というものを想定して、ここに「直観」の関与があるとした。直観は持続を破るものであり、また、持続の奥底に眠っていたかもしれない本質的な意識をめざめさせるものともなった。直観がどういうものかということは、へたすれば直観は「ごっちゃ」意識そのものであり、直観もまた時間の流れに依存している、直観といえども意識のゴタクとともに「一緒くたの現在」をもっていると言わざるをえない。それでも、直観が持続を破り、持続が直観を支えている、そこには「あいだ」という領域があるとベルクソンを満足させた。そこからベルクソンが「生の哲学」の創始者だと呼ばれる独自の展開になっていく。ベルクソンは以上の推論から、生命が進化という大きな時間をへるにしたがって、意識をもつ人間存在というものになったという構図を描く。その大いなる進化のなかで、一個ずつの生命がそれぞれの意識をもち(言葉ももち)、それぞれの記憶を貯め、そこに過去と現在と未来の区分を感じ、さらにその先の自由に向かっていくというふうに考えた。ベルクソンの時間は進化とも重なっていく。そんなことは特段にめずらしいものではない。すでにエルンスト・ヘッケルが19世紀末に「個体発生は系統発生をくりかえす」と言って、大胆ではあるが、暗示力に富んだテーゼを発表していた。それは、まだ単なるシェーマ(図式)にすぎず、そのシェーマを生命や意識が持続させている「あいだ」が説明されたわけではない。ベルクソンはその「あいだ」をこそ哲学し、そこについに「創造的進化」という、ダーウィンの進化論だけでは導き出せない構想をくっつけた。これが『創造的進化』という著作になってゆく。
このこともベルクソン一人の独創というわけではない。すでにハーバート・スペンサーが「総合哲学体系」の名のもとに社会進化論を提唱していて、そこに「ハイパー・オーガニゼーション」(有機的社会意識)が創発されていることを説いていた。やはり19世紀末のこと。ダーウィニズムは、すでに意識の進化にもあてはめられつつあった(これが「社会ダーウィニズム」のスタートにあたる)。ちなみにスペンサーについては、のちのちの社会生物学の仮説とともに(社会ダーウィニズムの仮説とともに)、じっくり検討したほうがいいのだが、ベルクソンはスペンサーからも大きな影響を受けていた(ベルクソンだけではなく、フェノロサ、岡倉天心、森有礼、西田幾多郎、パーソンズ、ルーマン‥‥いずれもスペンサーの申し子)。ベルクソンはスペンサーそのものでもなかった。意識が進化し、社会が進化するということだけを言いたかったのではなく、その中で人間(存在)は、ある種の精神的飛躍をおこす、意識的飛躍をおこすということを強調した。ここにふたたび直観が関与する。これが有名な「エラン・ヴィタール」(elan vital)、「生の飛躍」というもので、ベルクソン哲学の核心にあたるものだ。
一方には、生命の悠久の進化の連続がある。これは大いなる持続ともいえるもの。そしてこの大いなる持続こそが人間を生み、意識を派生させ、精神を形成してきた。他方では、これを精神や意識のほうから見ると、この大いなる持続を破って、精神や意識がエイリアンのごとく地上に出現したことにもなる。その破開をおこした意識の親分、あるいは方法の親分が直観、その直観が「脳」に所属しているのか、「心」に遍在していたのか、それとも「体」のどこかに蹲っていたのか、明らかではないが、ともかく持続の打破は、人間の内側に爆薬の破裂のごとく出現したことになる。これがエラン・ヴィタールであろう。ベルクソンにとって、このエラン・ヴィタールは生物史の異様な起爆とも、さらには宇宙史の最も果敢な創発とも感じられた。生命賛歌としてのエラン・ヴィタールでもあった。ベルクソンも生命の探求に悩む一人の人間だったようだ。