murota 雑記ブログ

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サミュエル・ハンチントン著の「文明の衝突」

2012年05月12日 | 通常メモ
 ハンチントンは「西洋文明」と「イスラム・儒教コネクション」とは衝突すると予告した。ハンチントンは冷戦時代の戦略理論家で、ハーバードのジョン・オリン戦略研究所の所長であったが、その論文が「フォーリン・アフェアーズ」に掲載されたのは1993年の夏。論争も噴き出て、日本でもすぐに「中央公論」が特集を組んだ。その論文を膨らませたのが本書である。文明が衝突するという見方には怪しい点もある。文明はいつも衝突してきた。ホメーロスの『オデュッセイアー』が文明の衝突を扱っていたし、ヘロドトスの『歴史』もペルシア戦争を通した東方イラン文明とギリシア文明の衝突を主題にしていた。大航海時代後の東インド会社以降の歴史はつねに文明の衝突だった。侵略や介入を国家の横暴とか失敗と見ないで、あえて文明の衝突と見ようというのも怪しい。そんな風に松岡正剛氏が述べていた。

 文明は、その文明圏で技術による物的な所産や生産手段が発達して都市化が平均的に進むことをいっている。現在では、そこに情報ネットワークがゆきわたることも加わる。一方、文化はこのような文明の特性を一部にしかもっていない。どんな文化も多様であり、複雑な心情をともない、習慣と生活を営む顔や体をもっている。文化には嬉しい文化もあるし、気にいらない文化もある。文化は一様には語れない。一国の文化のなかでも文化は多様である。たとえば連歌と茶の湯の文化距離は近いが、雅楽と歌舞伎の文化は距離があいている。文明はそういう文化を一様に覆いつくす不細工な傘といえる。文明は一個の中心をもった半径と質量が強大になっていって、他の文明と“衝突”せざるをえないが、文化は最初から小さな多様性をもって芽生え、拡大してゆく。

 文化は発生を歓び、文明は結果を恐れる。ハンチントンは文明と文化の関係を見ないで、文化を無視してきた。しかし、二つは切り離せない。ブローデルは「文明は文化の領域性である」と見る。ウォーラスティンは「文明は世界観・生活習慣・組織・文化の特定の連鎖である」と見た。文明と文化を分けたがらない人はそういう歴史の見方を納得せず、人間には理性と欲望のほかに「他者に認められたい願望」があって、それが次々に高じて「認知をもとめる闘争や戦争」になると見る。これは文明や文化を心理的に見すぎたものだ。ノベルト・エリアスは『文明化の過程』で、そうした生得的な衝動を克服するのが文明だといっている。

 日本については、日本が米中対立のなかでどっちつかずの迷いを見せて孤立するだろうと書かれている。また、将来は、西洋のパワーは非西洋圏のパワーに対して低下していくから、西洋文明の保存対策に着手すべきだとも書いている。それに対するハンチントンの対策は、文明の衝突に備えて、欧米諸国は政治・経済・軍事面での統合を拡大し、他の文明の国家からつけこまれないようにすること、EUに中央の諸国を早く巻きこむこと、ラテンアメリカの西洋化を促していくつかの同盟関係を結んでおくこと等だ。一方で、イスラム諸国と儒教文明圏の通常戦力と有事戦力の両方ともを抑制し、日本が中国と接近するのを極力遅らせようという。そして、アメリカは他の文明の問題に絶対に介入してはいけない。これがハンチントンのパラダイムにあらかじめ含まれた対策であった。この進言は1993年以降のブッシュ父子やクリントンにはまったく聞こえなかった。ハンチントンから見ても、アメリカこそが「文明の衝突」の危険にむかってまっしぐらになりかねない国なのである。ハンチントンの書は、根っからの“アメリカ憂国の書”だった。

 こういった構図の前提には、近未来の世界は8つの文明の時代を迎えるという予測がある。西洋文明(欧米)、儒教文明(中華文明)、日本文明、イスラム文明、ヒンドゥ文明、スラブ文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明の8つ。ここでは東アジアの片隅で扱われていた日本が一個の独立した日本文明に“昇格”している。過去において日本は韓国などと一緒か、漢字文化圏としての中国文明の一隅におかれていた。こういう分類は欧米社会が自身の未来に極端な不安をもつ時にあらわれる。こういう分類が話題になるようになったのは、ヨーロッパを敵味方に分けた第一次世界大戦で衝撃をうけたシュペングラーが、歴史をさかのぼって世界史上の文明圏をエジプト、バビロニア、インド、中国、ギリシア・ローマ、アラビア、西洋、メキシコの8つに分類し、トインビーがこれを更に26に増やし、内16がすでに滅亡したと整理した上で、最後に残ったのが西欧キリスト教文明、東欧・ビザンチン文明、イスラム文明、ヒンドゥ文明、極東文明の5つと予測したことに始まる。ハンチントンはこれを踏襲した。

 新たな文明の構図の予想が役に立たないわけではないが、構図が問題ではなく資本主義と自由市場を世界大にしてしまったことが抜き差しならない。どこもかしこも、都市化を進めて、情報ネットワーク化してしまったことがのっぴきならない。文明が衝突するかどうかは別にして、これを戦争とは何かという問題におきかえた議論が必要だ。クラウゼヴィッツのような戦略家はハンチントン同様、最初から戦争にどのように勝つかを前提にし、戦争を政治の継続というふうに見た。同じドイツのカール・シュミットは『政治的なものの概念』で、政治は誰が敵かを決定し、戦争はその決定のもとに独自の規則を創案するものと考えていた。暴力の正体を問わない文明論や戦争論は21世紀には通用しないことを知るべきだ。

 世界の均衡や緊張が進む中で、戦争と政治の関係は更に複雑で難解になった。ひとつは「冷戦」。それは「抑止力」というものが戦争の裏の代名詞になったからだ。キューバ危機やベトナム戦争のときのアメリカのトラウマは、まだ世界を覆っている。もうひとつは自爆テロの横行である。それまでは、多くの歴史家や戦略家は文明や国家を問題にしていればよかったが、自爆テロでは文明と文明の衝突ではなく、文明と個人が刺し違えることになる。この事態に直面し歴史家も戦略家も言葉を失ってしまった。これを「冷戦」の難問に匹敵する「テロ」の難問と片付けるわけにはいかない。テロリズムは歴史の最初から存在した。フランスの歴史ジャーナリストが書いて話題をまいたローラン・ディスポの『テロル機械』は、フランス革命こそが近代テロの起源だと見ている。

 テロもゲリラも政治であって戦争である。それを封印するために戦争しようというのは筋が通らない。イスラム過激派のテロを「信仰」とみなし、そこにイスラムと欧米の対立を読もうというのが、ハンチントン以降の読み方だ。この見方は、欧米がつくったパラダイムの押し売りである。戦争を持ち出したのも「文明の衝突」を持ち出したのもアメリカだ。それを自爆テロが頻発してきたからといって文明の衝突だと説明するのは、戦争の正当性を個人の自爆のサイズにせず、文明というサイズで言いくるめていることになる。本当は戦争とテロのあいだのサイズ、すなわち「文化の衝突」が問題になるべきなのだ。

 スーザン・ソンタグが生前に「ニューヨーカー」に寄せた9・11についてのコメントが大きく晒しものになった。ソンタグのコメントは1000語足らずだが、それが深夜テレビのコメンテーターによって強調され歪曲され「アメリカ人は臆病だ、テロリストは体ごとビルにぶつかっていったのに、アメリカ軍は遠くからミサイルを撃つだけだ」というふうに伝わった。これでソンタグが一斉攻撃され売国奴呼ばわりされたのである。ソンタグは呆れた。経緯はともかく、「戦争」も「政治」も、文明が営々と築き上げてきたコンセプトの大半は、いまやその意味すら崩れつつある。文明論者は「冷戦」にも「テロ」にも有効な議論ができないでいる。

 人間が一人存在すれば、そこに生きる文化が生まれる。それぞれの異なる文化を認め合う、それぞれを尊重するところに文化の共存が成り立つ。ところが、その一部を取り出して政治権力の枠組みをはめ、固定された文明圏を作り上げてきたのが歴史である。異なる文明の衝突が繰り返されてきた。それぞれの異なる文化を認め合うと同様に、異なる文明をも認め合い、尊重しあうことなしには、不毛の戦いは続いていくしかない。

1 コメント

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文化と文明をそう見るのか。 (E.M)
2012-05-12 13:25:39
文化は自由に伸び伸びと発展する、文明はそういう文化を一様に覆いつくす不細工な傘。文明は一個の中心をもった半径と質量が強大になっていって、他の文明と“衝突”せざるをえない、という表現で納得できた。つまり、文明は、そこに人間の権力や強制力が働いて固定化された枠組みなのか。異なる枠組みどうしが対立せざるを得ないのかな? もっと、お互いの異なる文化を尊重し合える関係になるのが理想だね。
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