栄久山妙善寺おしょうのつぶやきブログ

山梨県富士川町の栄久山妙善寺は身延山久遠寺を総本山とし永代供養・水子供養・祈祷・相談占い等を行う寺院の住職です。

夏の名残り

2015年09月17日 | おしょうのつぶやき
今朝 本堂の入口の壁に 一匹のセミがいました。

今朝は 雨も降っていて肌寒くなって来たので セミの姿がちょっぴり 寂しく見えました。

真夏の暑いさなかの セミの鳴き声は元気で 暑さに拍車をかけているように聞こえます。

少し 夏の名残りを感じました。

セミを脅かさないように そっと戸を開けて 本堂に入りました。

一時間ほどして 帰りに見てみると セミはいませんでした。

先ほどまで セミがとまっていた 壁がとても寂しく感じました。

小さな一匹のセミが とまっていただけなのに・・・

改めて 命の尊さ 命の大きさを教わりました。

さぁ~ もうすぐ秋の お彼岸です。

命の尊さ 日々守ってくれている ご先祖様に感謝をして お墓参りに行きましょう。

      合掌     栄久山 妙善寺

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神様仏様は見ています。

2015年09月16日 | おしょうのつぶやき
ついつい足で 座布団をひょいっと 揃えてしまったり。

しゃがむのが面倒なので 物を足でサッサっと 動かしてしまったり。

心あたり有りませんか。

誰かが見ている時には しないのに 誰も見ていないとついつい

神様仏様は 見ています。

何より自分自身が 見ています。

幸せな運気は 小さな些細な あなたの行いで 訪れるものです。

心の修行大切に。

      合掌     栄久山 妙善寺

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感謝

2015年09月14日 | おしょうのつぶやき
とても興味深い ニュースの記事に 目が止まりました。

タイトルが 絶対にキュウリを 育ててはいけない町。

福井県網戸瀬(あどせ)町では キュウリの栽培が 御法度だそうです。

理由は 地元の八坂神社の神様が キュウリが嫌いだからだとか。

昔々 雷に驚いた神様が 慌てて畑の キュウリ棚に逃げ込んだところ

キュウリ棚の柱が 神様の目に刺さって 失明してしまいました。

この出来事から 神様はキュウリを 嫌いになってしまったので

この地ではキュウリを 栽培しなくなったそうです。

しかし 時がたって ある村人がキュウリを 栽培しなくては困るので

キュウリ棚ではなく 露地栽培で育てれば 神様も怒らないと思って 栽培してみたところ

その村人の 大事な馬が訳もなく 逃げ出して死んでしまったそうです。

この言い伝えが 残っているので 現代でもキュウリは 絶対に栽培しないそうです。

そしてこの教えを これからも後世へと 繋いでいくそうです。

私達の身近な所でも これに似た 話はいっぱい有ると思います。

地域の神様や 各家庭の家訓など 古来から受け継がれてきた 教えが沢山有るはずです。

それにも関らず 文明社会の波と共に 地域の神様への信仰 ご先祖様への供養などが 簡略化され薄れつつ有ります。

神様仏様は 何百年も前から あなたが暮らしている土地に住み あなた達を見守ってきてくれているのです。

人は 今の自分の都合で解釈をする 悪い癖があります。

しかし 神仏の事は 自分の都合や解釈で考えてはいけません。

この大切な事を 軽んじて考える人は 必ず後々に反省をする 人生を送る事になります。

悲しいかな 分からない人には 分からない事なのですが

分かった時には 時すでに遅し になる事を覚えていて下さい。

人は 自分の努力が有って 花開くものです 一生懸命の努力は必要です。

あなたの努力には あなたを支えて来てくれた 周りの人や 神仏の存在が 見守って くれている事を 忘れずに。

今の あなたの活躍は あなただけの力では 無いはずです。

神仏への感謝 支えてくれている人への 感謝の気持ちを忘れずに。

          合掌       栄久山 妙善寺

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龍口法難会りゅうこうほうなんえ

2015年09月11日 | 教え
明日9月12日は 龍口法難会(りゅうこうほうなんえ)です。

龍口法難会とは 鎌倉の処刑場で 日蓮大聖人が首を 斬られそうになった日です。

国の安全 人々の幸せを 真剣に訴えましたが 当時の幕府には認めてもらえず 打ち首の命を受けてしまいました。

日蓮大聖人の 首を斬る寸前に 役人の刀は 真っ二つに折れ 幕府の屋方には恐ろしい地響きや 怪奇な現象が起きました。

正しい教えで 国や人々を救おうとしている 日蓮大聖人を助けるために 神仏が怒り荒れ狂ったのです。

神仏の怒りを 恐れた幕府は ただちに処刑を取りやめました。

自分の命を顧みず 国家の安全 人々の幸福をひたすらに 願って生涯を送った日蓮大聖人の お言葉の中に

蔵の財(宝)よりも 身の財(宝) 身の財(宝)よりも 心の財(宝)第一なり

と言う教えがあります。

確かにお金は大切です でもお金がいくらあっても 健康でなければ幸せではありません。

またお金があって 健康であっても 日々楽しく心豊かでなければ 幸せではありません。

人生は 心豊かな生活があって 初めて幸福に過ごせるのです。

まさに 心の財(宝)第一なりです。

心が 幸せだからこそ 人生も楽しくなります。

蔵の財(宝)よりも 身の財(宝) 身の財(宝)よりも 心の財(宝)を大切に。

     合掌   栄久山 妙善寺 
  

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秋の思い出

2015年09月10日 | おしょうのつぶやき
私が子供の頃 夕暮れになると よく師匠であるおじいちゃんと 散歩に出かけました。

散歩の途中で お経の意味や お釈迦様の話をしてくれました。

いつものように 田んぼのあぜ道を歩いていると 鈴虫やコオロギの美しい 鳴き声が聞こえてきました。

私はおじいちゃんに 虫の鳴き声が綺麗だね と言うと

そうか おれは耳が遠いから 何も聞こえないなぁ~と 言って笑っていました。

秋の虫達の音色が 聞こえたら風情があって 気持ちが安らぐだろうな と 歩いて行く姿を見て

子供ながらに ちょぴり寂しくもあり 複雑な心境になった事を 憶えています。

その時に 当たり前に聞こえる事への 有難さを学んだことを 秋のこの季節になると 思い出します。

おじいちゃんは 耳が遠くて可哀想だなと 思いましたが

お経の練習の時には 私の小さな読み間違いにも すぐに気が付いて 頭を叩かれて やり直しをさせられました。

怒られた私は 鳴きながらお経を読みなおして ほんとは耳が遠く無いんじゃないかと 疑いました(笑)。

やっぱりプロは 不思議なもので 虫の鳴き声は聞こえなくても お経は聞こえるものなんですね。

まことにもって 不思議な事です。

今では 私が息子にお経を教えながら 息子の読み間違を注意をしています。

ちなみに私は 耳が遠い歳ではありません(笑)。

話は だいぶずれましたが 今当たり前の事は 当たり前の事ではありませんし 人は必ず歳をとるものです。

あなたが今 親や年寄りを どのように見たり 感じているかは 分かりませんが 私達にも遠からず近づいて来ます。

普通の当たり前に 感謝を出来る人は 明るい人生を過ごせますし 幸福になれます。

感謝と思いやりの心を大切にして下さい。

        合掌      栄久山 妙善寺 

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