栄久山妙善寺おしょうのつぶやきブログ

山梨県富士川町の栄久山妙善寺は身延山久遠寺を総本山とし永代供養・水子供養・祈祷・相談占い等を行う寺院の住職です。

9月28日(金)のつぶやき

2018年09月29日 | 日記

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忘れないで

2018年09月28日 | おしょうのつぶやき
人生色々 人には様々な 人生がありますね。

そして 色々な歴史もあります。

様々な人との出会いがあり 助ける事もあれば 助けられる事もあります。

誰かに助けを求める時は 藁おもつかむ思いで お願いするけれど
無事に悩みが解決すると お願いした時の気持ちを すっかり忘れてしまったり。

大切なのは お願いした時の気持ちのままで お礼が出来るかどうか。

困った時の お願いした時の気持ちのままで 恩返しする事が大切です。

お願いした時の気持ちを 忘れずに。

      合掌  栄久山 妙善寺



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9月26日(水)のつぶやき

2018年09月27日 | 日記

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織田信長公 毘沙門天

2018年09月26日 | おしょうのつぶやき
妙善寺には 織田信長公が生涯大切に 手を合わせて来た 毘沙門天が祀られています。

伝教大師が作った仏像で もともとは 比叡山に安置されていました。

比叡山に安置されていた時は 日蓮大聖人が信仰を深めた とても霊験あらたかな毘沙門天です。

後に 比叡山から京都本圀寺に安置され 織田信長公死去後に 徳川家康公 時の天皇の勅許により

皇室祈願所・徳川家康公霊場である 妙善寺に祀られるようになりました。

数多くの 戦を勝ち抜いてきた 織田信長公の名言に こんな言葉が残されています。

臆病者の目には 敵がいつも大群に見える。

戦う前から びくびくしている者には わずかな敵も大勢に見えてしまうと言う意味です。

この教えを 大事にした徳川家康公は 晩年亡くなるまで妙善寺安置の 毘沙門天に手を合わせ 己の人生の教訓にしたと 伝えられています。

私達の人生も まだ 起きてもいない出来事に 勝手に不安になったり 自分で 勝手に妄想して悩んだり 苦しんでいる事があるのならば ただちに辞めて楽しく明るい 考えに変えましょう。

物事は 前向きに楽しい事を考えれば 結果は必ず楽しい出来事が訪れます。

逆に 心配事は心配事を呼びよせるものです。

臆病者の目には 敵がいつも大群に見える。

天下を築いた先人の 教えに耳を傾けて下さい。

           合掌  栄久山 妙善寺

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9月25日(火)のつぶやき

2018年09月26日 | 日記

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