今週も前半は組手、後半は形。平安シリーズですが多数決なので何をするかはクラスによりけり。
東支部ではAクラスが四段、Bクラスが五段を選択。四段は皆結構覚えましたが五段は中々苦戦しておりました。
皆んなの知らない動きや立ち方、足運びが未だ未だあると云うことですから学びを止めてはいかんのです。私自身も稽古になりました。
さて、形をする意味があるのか、と言う人がフルコン愛好家の中には少なからず居ますが出来て困る事はありますまい。やはり空手の誇るべきアイデンティティーだと私は思います。
川西教室を開設した頃、私が稽古前に組手の動きをしていると当時白帯(二年生)だった子が「なんかボクシングみたい」と言っておりました(苦笑)
7~8才の子供でも動きの独自性をイメージとして確り持っているんだなと痛感し、以来子供達の前ではそういった動きは見せないようにして形の動きをしています。(勿論稽古中は別)
形は使えない・意味がないと云う思考は形の動きをそのまま使おうと考えるからでそれは完全に思考の放棄です。彼らが何故形をそのままの姿で使おうと思うのか謎ですがそれが「知らない」ということなのでしょう。
意味の有る無しにまで言及し始めると顔を殴らない組手など尚更そうですし、空手そのものですら全て無意味になります。
意味がないからやらない?逆に意味が解ればやる意味もない気もしますがどうでしょう。
前回も書きましたが、組手熱相応の形を納めておいて欲しいところです。
私が仮に一流派の祖で大会(組手)を開くことに相成れば、スタミナ勝負の不毛な延長戦や試し割りなどさせずに形で優劣をつけさせるでしょう。
形は自らの良き師となるはずなのです。
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