淡路島洲本。
淡路島の行政の中心だが、まちは広くない。
ぶらぶら歩いて淡路島厳島神社へ。
淡路島弁財天とも言うらしい。
昭和な感じの参道。
写真館が目立つ。七五三用か。
境内に「お登勢の碑」があった。
「お登勢」とは船山馨の小説らしい。
題材の「庚午事変」が興味をひいた。
洲本は、江戸期は徳島藩だったらしい。
幕末期、徳島本藩蜂須賀家は佐幕側。
洲本城代稲田家は尊王側。
明治3年に徳島藩側の過激派が稲田家を襲撃。
その処分で洲本の帰属が徳島から離れ、
明治9年に淡路島全域が兵庫県となった。
事変が無ければ、淡路島は徳島県だったかも。
また、事件の処分で切腹となったのが、
日本法制史上、最後の切腹刑なのだそうだ。
淡路島の行政の中心だが、まちは広くない。
ぶらぶら歩いて淡路島厳島神社へ。
淡路島弁財天とも言うらしい。
昭和な感じの参道。
写真館が目立つ。七五三用か。
境内に「お登勢の碑」があった。
「お登勢」とは船山馨の小説らしい。
題材の「庚午事変」が興味をひいた。
洲本は、江戸期は徳島藩だったらしい。
幕末期、徳島本藩蜂須賀家は佐幕側。
洲本城代稲田家は尊王側。
明治3年に徳島藩側の過激派が稲田家を襲撃。
その処分で洲本の帰属が徳島から離れ、
明治9年に淡路島全域が兵庫県となった。
事変が無ければ、淡路島は徳島県だったかも。
また、事件の処分で切腹となったのが、
日本法制史上、最後の切腹刑なのだそうだ。