一日一生。そう考えたら、”永い一日”。いろいろ楽しいことがあると良いね!
兵庫県川西市、清和源氏の多田神社。
境内、宝物殿の前に水戸黄門御手植銀杏
という大きな銀杏の木がありました。
徳川家も源氏を称していますから、黄門様が
多田神社で植樹したとしても肯けます。
水戸黄門も、冲方丁の「光圀伝」を読んで
全く印象が変わりました。「天地明察」も
良かったけれど、も一度読むなら「光圀伝」
かなあ。
他に、横綱の貴乃花関や曙関の記念植樹も。
こちらは知ってる人なのでリアルな感じ。
伴侶もこちらには感心してました。
兵庫県川西市、清和源氏の多田神社。
本殿は、寛文七年(1667年)に第四代将軍
徳川家綱が再建したものだそうです。
国指定の重要文化財です。
源氏を称する徳川氏も、多田神社を源氏の
霊廟と認めて、いろいろ寄進もされている
ようです。狛犬の後ろに見える提灯にも、
葵の御紋です。
兵庫県川西市、清和源氏の多田神社。
少し急な石段を上り最初にあるのが南大門。
江戸時代、延宝4年(1676年)のものです。
「あら、ここに何も無いわね。」
門の両脇、大きな箱形の虚空になってます。
後で帰宅後に多田神社のHPを見ていたら、
明治四年(1871年)の神仏分離の際に、
それまで設置されていた仁王像が、近くの
満願寺に移されたのだそうです。
歴史には疎いくせに、時々鋭かったりする。
今度は満願寺に行ってみようかと言う提案
には、あまり興味無さげの伴侶だった
大阪梅田から阪急電車で宝塚に向かう途中、
川西能勢口から能勢電鉄が北へ延びてます。
五つ目に多田という駅があり、駅前から西へ
川沿いに1Kmほど入った所に、多田神社が
あります。
それほど有名ではないかもしれません。
伴侶の最初の反応は、
「どこそれ? 何があるの?」
天禄元年(970年)源満仲がこの地を拓いて
居城としたため、清和源氏の発祥の地と
言われています。多田神社は、その後、鬼
退治や、関東・奥羽の平定に活躍した源氏
の先祖たちを祀っています。
「ふ~ん、神様がいるわけじゃないのね。」
そう言えば、そうなのだが。。。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖のルーツは
ここだったなんて知らなかったでしょ。
鈴ヶ森刑場の史跡から、国道を越えて西へ。
JRの線路を潜って、大森貝塚史跡庭園です。
大森貝塚、初めて習った歴史の教科書に
記載されていたように覚えています。
明治初期に、米国のエドワード・モース
が発見した縄文時代の貝塚。
モース博士が、横浜から新橋に行く途中
の列車の窓から、貝殻の地層を見つけた
とのことで、当然ながら現在でも線路の
すぐ横に、丘が腹を見せている感じです。
庭園は無料で見学できるようになって
います。庭園にあるモース博士の銅像は、
縄文土器を手に取って熱心に眺めてます。