令和5年10月31日(火曜日)
今日は、大分県議会自民党の農林水産振興調査会の視察の一環として、熊本城ホールで開催された「森林・林業・林産業活性化九州大会」に出席しました。
開会行事の後、天草出身で、武蔵野美術大学・若杉教授の「森林と都市を結ぶデザイン、そして未来 ~ 杉を取り囲むシステムを結びつける」と題する基調講演を拝聴しました。ご自身が設立した「日本全国スギダラケ倶楽部」の取組を通じて、「ものづくりはステキ」「人が人を呼び、賑わいが起こる」「魅力や可能性があれば、どこへでも行く」という言葉が印象に残りました。
【日本全国スギダラケ倶楽部 ホームページ】
事例発表や明日の視察(農福連携についての研修)にも参加したかったのですが、基調講演の終了と同時に、会場を後にして、日田に戻りました。
18時30分、椋野市長を実行委員長、三苫議長を実行副委員長とする「日田市名誉市民 故 畑英次郎氏をしのぶ会」に出席し、献花させていただきました。
畑先生は、私が生まれた頃の日田市長。昭和54年10月の衆議院議員初当選は、麻生元総理や岸田総理のお父様と同期。昭和61年7月、4期目の当選直後、第3次中曽根内閣の厚生政務次官に就任。
椋野市長の追悼の辞は、ご自身の厚生官僚当時の畑政務次官との関わりなどが披露され、済生会日田病院の誘致に、畑代議士が尽力されたことが紹介されました。
三苫議長の追悼の辞は、市長として、代議士として、日田市の振興・発展に情熱を傾けられた政治家人生を全般に網羅された内容で、いくつかの場面を思い出しました。
平成12年6月の総選挙に立候補せず、政界を引退されてから23年が経過していますが、多くの市民が参列されていました。改めて、畑英次郎先生のご冥福をお祈りいたします。
【なかの哲朗gooブログ(8月7日、弔問の日)】