大分県議会議員・なかの哲朗です(^_^)

大分県議会議員の中野哲朗です。
誠心誠意、全身全霊をかけてがんばります👊

全国育樹祭、天領まつり

2022-11-13 22:13:22 | 日記
令和4年11月13日(日曜日)

早起きが苦手な私。今朝は、5時に起床し、第45回全国育樹祭に出席するためのバスに乗りました。

全国育樹祭は、継続して森を守り育てることの大切さを普及啓発するため、昭和52年から、全国植樹祭を開催したことのある都道府県において、国土緑化推進機構と開催県の共催で毎年秋季に行われています(ホームページから引用)。その記念すべき昭和52年の第1回育樹祭が、大分県で開催されたことを、本日初めて知りました。



よくわからないまま参加した育樹祭でしたが、オープニングで放映されたプロモーションビデオが、『日本一のおんせん県おおいた』の魅力を余すことなく見せたつけたもので、期待大と感じました。また、姫島のキツネ踊り、津久見の扇子踊り、佐賀関の鯛つり唄、湯布院の源流太鼓のアトラクションも最高でした。

記念式典には、秋篠宮皇嗣同妃両殿下が御臨席され、厳かな中にも、落ち着いた柔らかい雰囲気がありました。現職の総理大臣とお目にかかる機会は数回ありましたが、皇族を直に目にしたのは初めてでした。



メインテーマアトラクションは、「始まりの地から、未来へ」がテーマ。財前直見さんをナビゲーターとし、心からの感動を覚えました。また、日田市からは、令和4年度全国育樹活動コンクールの農林水産大臣賞(個人の部)をはじめ、8名6団体が緑化等功労者として表彰されました。誠におめでとうございます。

午後3時半前、日田に帰った後は、中津日田地域の将来を思う若者の会によるPRブースに駆け付けました。中津と日田のイベントでのPRを重ねてまいりました。午前中は、あいにくの雨模様で、出足が鈍かったようですが、午後は多くの方にアンケートの御協力をいただけたようでした。



これまで4回にわたり、日田市議会の一般質問で取り上げましたが、12月議会の質問項目の一つは、中津日田道路にしたいと考えています。

夜は、妻と三男・良三朗と一緒に、千年あかりに足を運びました。焼きそば、鶏の炭火焼き、鶏の唐揚げ、コロッケなどをいただき、生ビール、ホットワイン、ハイボール、レモンサワーと次々に飲みました。最後には、井上酒造さんの試飲も頂戴しました。



知り合いの皆様とお会いすることができ、久しぶりの会話を楽しみ、来年に向けての励ましをいただきました。今日も、一日、ありがとうございました。




天領まつり・千年あかり

2022-11-12 21:56:53 | 日記
令和4年11月12日(土曜日)

昨夜は、日田玖珠議長会主催の議員研修会に続き、3年ぶりの懇親会が開かれ、日田市議会の先輩・同僚議員はもちろん、玖珠と九重の町議会議員の皆様と楽しく懇談できました。

昨日の活動報告は、かなりお酒が入った後であり、酔いながらのもので、たいへん失礼いたしました。

日田市では、今日から、第43回天領まつりが始まりました。また、昨日からは第18回千年あかりが開催されています。昼間、豆田の上町通りと御幸通りを歩き、夜は千年あかりを見に行きました。




多くの人が集うイベントは本当にいいものですね。



夜は、生ビールを片手に豆田の街を探索しました。天領まつり・千年あかりは、明日も開催されます。お時間の許す方は、ぜひ、おんせん県おおいたの西の玄関口・日田に足をお運びください。

また、明日は、「中津日田地域の将来を思う会」のPRブースが御幸通りの一角に設置されます。ぜひ、お立ち寄りください。

さて、昨日は、大分県知事選挙に向けた動きが一挙に表面化し、たいへん驚きました。10月4日の広瀬知事の引退表明から1か月が経過。混戦模様のようです。その動向を見極めつつ、私は、出馬する県議会議員選挙に向けた取り組みをしっかりと行いたいと思います。



皆様のお力をお貸しください。

母校は、頼もしい❗

2022-11-11 23:04:03 | 日記
令和4年11月11日(金曜日)

午前中、市議会の大先輩へのご挨拶とご相談をさせていただき、一旦帰宅。

午後は、まず、母校・三芳小学校に足を運びました


令和2年度から3年間、日田市教育委員会の「ICT機器活用」の研究推進事業の指定を受け、今日が公開研究発表会で、コミュニティ・スクールの委員として、授業参観しました。しっかり練り上げられた授業と思いました。とても、良かったです。



最後まで、見たかったのですが、日田玖珠議長会主催の議員研修会に出席するため、中座しました。松本久美子さんの「ハラスメント防止の留意点」と題する貴重な講演を拝聴しました。

私の行動には、セクハラ・パワハラの要素はないと思いますが、今一度、我が身を振り返りたいと思います。

市議会の大先輩を悼む

2022-11-10 23:14:03 | 日記
令和4年11月10日(木曜日)

昨日の大分合同新聞の記事「中野氏が出馬へ 県議選日田市選挙区」をご覧になられた方々から、激励を賜り、ますます頑張らなければならないとの想いを強くいたしました。頑張ります。

午前中は貴重なお話を聞く機会をいただき、午後は酒井喜親元県議の葬儀に参列しました。

私が最初に酒井さんを存じ上げたのは、昭和62年4月、11歳の頃。私の父が初めて市議会に挑戦した時、酒井さんは2期目を目指す日本社会党公認の若きエースで、ともに39歳で立候補した選挙でした(ちなみに、父は自民党推薦でした)。定数28のうち、酒井さんは1,871票で4位当選、父は1,604票で5位当選でした。



酒井さんと父は、日田商業高校(現 藤蔭高校)の卒業生であり、一緒に柔道部で汗を流した先輩後輩でした(酒井さんが1学年先輩)。議員としても、酒井さんが1期先輩です。以後16年間、市議会でともに活動する中で、様々な出来事があったことを、折に触れて父から聞きました。協調したり、喧嘩したり。今よりも、相当に躍動感のある議会だったと思います。

父は平成15年に政治の世界から身を引くこととなりましたが、酒井さんは平成19年から2期8年間、県議会議員を務められました。平成25年11月に、父が日田市政功労者として表彰された日、ケーキを手にされて、我が家にお祝いに来てくださったことを忘れません。

酒井さんが県議会議員を引退された平成27年に、私は市議会議員となり、政治家同士としての交流を持つ機会はありませんでした。もとより、酒井さんは、私を議員としてではなく、父の息子として接してくださった気がします。日田ライオンズクラブでもお世話になりました。

酒井さんの日田ライオンズクラブ会長時代は、コロナの影響で例会が開きにくく、また、私も議会の仕事が多忙を極めて、ライオンズの活動から遠ざかっていました。市役所1階フロア階段撤去の予算を2回続けて減額修正した直後の令和2年12月末、用事があって事務局に顔を出すと、酒井会長がいらっしゃいました。「あんたは、総務委員長で骨折ったね」と声を掛けてくださり、その顛末を報告したのが、最後の会話となりました。

夕方、父と一緒に食事をしながら、酒井さんの思い出話をしました。

酒井さんの市議会議員4期目の選挙となる平成7年の選挙公報には、
『喜びのある生活
  親しみのある政治
 さかいは、がんばります。』
と書かれていました。



保守とか革新とかに関わらず、政治の目指すところだと思います。ご冥福を心からお祈り申し上げます。

来春の県議選に…

2022-11-09 23:02:52 | 日記
令和4年11月9日(水曜日)

本日の大分合同新聞に、私・中野哲朗が、来年春の県議会議員選挙に立候補する意向を固めたとの記事がありました。市議会臨時会が開会された一昨日(7日)、記者の取材を受け、お答えした内容が記事となったものです。



平成27年4月の日田市議会議員選挙に当選させていただき、2期8年、全身全霊をかけて、誠心誠意、渾身の力を込めて、活動をさせていただいたつもりです。皆様の温かい御支援により、充実した政治活動を展開できたことに対し、心から感謝申し上げます。

「安心して暮らせる地域医療の充実・強化」「生活・文化・産業・観光・医療・防災など多様な地域間交流が生まれる中津日田道路の一日も早い全線開通」などなど、取り組みたい・取り組むべき課題が山積しています。働き盛り・進撃の46歳の今、これまでの貴重な経験とフットワークとバイタリティを活かし、これからは県政と市政をつなぐ大事な仕事をさせていただきたいと決意を新たにし、今回の挑戦を決断いたしました。

県議会議員の日田市選挙区は、平成17年の市町村合併以降、定数3です。平成19年と平成23年は、激しい選挙が行われましたが、その後、平成27年と平成31年は、同じ顔触れでの無投票当選でした。

私は、県議会議員選挙の壁が、高くて厚いことを十分に知っているつもりです。しかしながら、「誰かが辞めるからその枠にはまろう」とか「空きが出ないから立候補しない」というのではなく、現職議員の動向に関わらず、今回の挑戦を決断しました。日田市で、12年ぶりに県議会議員選挙が行われることには意義があると思い、その覚悟です。

8年前、市議会議員に挑戦すると決めたのは良かったものの、本当に苦しい時期がありました。そんな時、岩屋代議士のホームページにあったこの言葉を思い出し、自らを鼓舞しました。

「選挙ははじめに候補者の意思ありきだ。やると決めたら誰がなんと言おうと、どんな障害があっても、たった一人でもやりとげる覚悟がなくてはだめだ。」

8年前と同じく、いや、それ以上に厳しい、苦しい戦いが待ち受けています。しかし、私の目的は、選挙に当選することではなく、当選して仕事をすることです。私にしかできない役割もあると自負しています。

皆様の今後ともの御支援をお願い申し上げます。