原発事故当日。新百合ヶ丘において。不動産屋、契約下見。電信柱が大きく揺れ、友人でもありました、私達は地震、ということだけしかわかりませんでした。当然新百合ヶ丘駅、電車は止まり、人であふれかえっており、床に座り込む場所確保も困難でした。近隣の飲食店はフリースペースに開放。昭和音楽大学、解放のニュース駅、構内アナウンス。当然、アトリエ移転の話は破棄でありました。国もさすが考え直すかと。ご存じのとうり、認識をしていながら認めない路線。偶然にも引っ越し先、契約当日と重なってしまいました。
気力はありますが 今 誰もが体力の衰えが重なり、広げすぎた扇子をたたまなければなりません。ありました。ありました。あの頃は今より
ひとつ ひとつ 、
夢を送る卵でありたいです。
特にこの三年間 多々ありました。心の中に凝縮 病は治っていません。
傷口、何度もこじ開ける。楽しむ人たち。
コレカラ搬入です。、嵐、天候 余波の中 積み込み。