うたた寝Cafe便り

山の暮らしぶり、そのときどきの思いを気ままな写真にのせて・・・・。

皆田和紙の紙漉!!

2018-03-05 22:57:03 | 日記

  窓の外は久し振りの雨!

今日は久し振りに朝から雨ぼんやりと窓の外を眺めていると昨日の紙漉が・・・・
ちょうど上月城跡の登り口にあり 気になっていた「皆田和紙 紙すき文化伝承館」
ここで遊歩道の散策を楽しんだあと 紙漉きにチャレンジした
簀桁を持つとビックリするほど軽い 考えてみるとこれで大量の紙を漉のだから軽くないと・・・・
指導員の作業ぶりを頭に叩き込み イメージトレーニングを繰り返したあと
実際に漉き始めてみると 手も体も思ったように動かず 紙と呼ぶにはほど遠いダマダマやヨレの有るものばかりに

皆田和紙は 古くは中世から 記録に登場し 昭和まで漉き続けられた
江戸時代に最盛期を迎えた紙漉は 皆田地区を中心に 多くの村々で漉れたが
それも昭和40年代で幕を下ろす
今 ふるさとの伝承技術として継承する方向に


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上月城を訪ねる!!

2018-03-05 01:46:30 | 日記

  本丸跡!

信長の天下統一 天正5年 秀吉の播磨攻めの時 激しい攻防が繰り広げられた上月城
秀吉に包囲された 赤松正範は自刃してはてた
その城へ 毛利と敵対し敗退した 尼子氏再興を願う 尼子勝久 山中鹿之助が入ったが
その後ろ楯となる秀吉軍の援軍がないまま毛利軍に攻められ 勝久は自刃し
鹿之助は捕らえられ 安芸の国へ送られる途中 備中松山城の麓 高梁川の河川敷で殺され
首は鞆の浦に布陣していた毛利輝元の元へ
激しい攻防と悲劇がくりかえされた上月城跡と整備された遊歩道を歩き
時々現れる城の関連遺構らしきものに往事を忍ぶ
昨日は小谷城 今日は上月城を歩き 連日歴史と人を思う
コメント (2)
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