人生には何度か乗り越え難い大切な人の『死』に直面するもの。
そのうちの一つに中学生時代大好きだった男友達の死がある。
高1の時にバイクの事故で亡くなった。
少し不良だけど、すっごく優しくて魅力的でみんなから人気がある青年だった。
今日不思議な導きで彼のお兄さんが教会に来た。
彼のお兄さんは波瀾万丈の人生を過ごしボロボロだった…
20年たった今も弟の死を引きずり自分を痛めつけ、渇き救いを求めていた。
ずっと思い出さないようにしていたけど…彼と親しかった時分を思い起こし、『彼がもし生きていたら…』と涙が溢れて、昨日の晩はひたすら一人で泣いた
自分が『生かされている』事、そして天の御国に思いを馳せる。
『死』が完全な終わりではない。
キリストが『死』に打ち勝ち、罪人の私たちがこの世の先に希望を抱く事が赦された。
ここで終わりじゃない…
だからこそ、愛する人達と再び天の御国で再会できるよう祈り、伝えて行きたい。
自宅から約2時間かかる教会に行く意味が理解できたような気がする。
そして小さな町に一つしかなく、交通の便も悪く、信徒も少なくて全然増えない利根キリスト教会が存続する意味も納得できた。
必要としている人がいる限り・・なんだなぁ。
「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』」(ヨハネの黙示録21:1~4 聖書より)
そのうちの一つに中学生時代大好きだった男友達の死がある。
高1の時にバイクの事故で亡くなった。
少し不良だけど、すっごく優しくて魅力的でみんなから人気がある青年だった。
今日不思議な導きで彼のお兄さんが教会に来た。
彼のお兄さんは波瀾万丈の人生を過ごしボロボロだった…
20年たった今も弟の死を引きずり自分を痛めつけ、渇き救いを求めていた。
ずっと思い出さないようにしていたけど…彼と親しかった時分を思い起こし、『彼がもし生きていたら…』と涙が溢れて、昨日の晩はひたすら一人で泣いた
自分が『生かされている』事、そして天の御国に思いを馳せる。
『死』が完全な終わりではない。
キリストが『死』に打ち勝ち、罪人の私たちがこの世の先に希望を抱く事が赦された。
ここで終わりじゃない…
だからこそ、愛する人達と再び天の御国で再会できるよう祈り、伝えて行きたい。
自宅から約2時間かかる教会に行く意味が理解できたような気がする。
そして小さな町に一つしかなく、交通の便も悪く、信徒も少なくて全然増えない利根キリスト教会が存続する意味も納得できた。
必要としている人がいる限り・・なんだなぁ。
「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』」(ヨハネの黙示録21:1~4 聖書より)