2日目の夜は前日より暖かくて、疲れも手伝ってよく眠れました
朝、元気爽快に起き上がると、既にmaoちゃんは居らず、1階でemiちゃんと共に朝ごはんを作ってくれていました。
ゆっくりお話ししながら朝ごはんをいただき、宣教師のRichardにお祈りしてもらい、再会を約束してJ's Cafeを後にしました。
本当に来るたび温かく迎えてくれ、お互いの話しを分かち合い、励ましあえる素晴らしい場所です。
2日間お世話になりましたm(__)m
そこから車で少し行ったところに震災後、趙 先生が開拓をはじめたお茶っこはうすオアシス教会があります。
礼拝堂の手前にある道沿いのお部屋は、いつでも誰でもWelcomeなお茶っこできるスペースがあり、語り合いができます。
東北はお茶文化が盛んのようで、お茶やお菓子を囲みながら団欒するんですね。
前日、挨拶に寄った時も近所の信徒さんたちがお茶っこしてました
そして、日曜日も30分ほど早く行ったんですが、既にたくさんの方々がお茶っこし団欒していて、なんとも暖かい天国みたいな雰囲気が漂っています。
礼拝の準備をしていると…
趙 先生がいらっしゃらない
そして、急遽礼拝前の賛美で奏楽をする事になるという!?
自分の教会と同じ新聖歌を使っていたし、知ってる曲がほとんどだったからなんとか弾けてホッ
あー、でもこういう時の為に自分の教会でも長年、奏楽の奉仕をやってたんだなーと昨日下手くだけどピアノを弾きながら、今までの事がつながった気がして神様のご計画の壮大さに感動しておりました
そうこうしている内に趙 先生が来られ、来られなかった理由をお話しになりました。
ご近所にお住いの痴呆症を患った方が行方不明になり駆けずり回って探してらしたこと。幸い見つかって他の方に託してきたこと。
そういう事までケアされているんだ…と驚きました。趙 先生自身もお若くはないんです。
なのに、ものすごいバイタリティー!
伝える事を純粋に情熱的に誠実に忠実に周りを巻き込みながら爆進されています。
その姿勢に半年前にお会いした時から惹かれ、すっかりファンです。
メッセージもすごく分かりやすく、深く、忍耐を持って教えておられます。
知識が増えると人は高いところに昇りたくなり、崇められたくなる。地位や権力を求めて行くのが人間の性です。それは聖職者であっても例外ではありません。でも趙 先生はものすごい知識者で韓国語も日本語も使いこなし、恐らく英語やギリシャ語、当然ながら聖書の教養もはんぱないのに、高ぶるどころかどこまて身を低くし地べたを這いずり回って伝える活動をされている。
昨日は前回お会いできなかった奥様にもお会いしましたが、そんな趙 先生を支えてらっしゃる奥様だけあり、ステキな方でした
そしてわたしのように趙 先生のファンになり、ボランティアで訪れている方が東京から来ていました。
謙遜は人の心を動かすんだなと改めて。
聖書に書かれているお手本のような方です。
『愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。(コリント人への手紙I 13:4~8)』
趙 先生
礼拝の中で2曲特別賛美をし、お昼ご飯をみんなで囲んでからコンサート。
お昼ご飯は奥様が作られたチャプチェと豚キムチ丼、味噌汁。
すっごい美味しかったです
コンサートではみなさんがよくご存知な曲を一緒に歌ったり、少しオリジナルを歌ったり。
楽しいと言ってくださいました
コンサート後、こちらでずっと働かれていた宣教師ご家族がカナダに帰られるとの事で、お別れコンサートがあると聞きつけて観に行きました。
ビックバンドをバックに映画スターさながらの貫禄に会場も盛り上がってましたよ。
お別れ前に会う事ができてよかったです!!
今回は自分が歌うだけでなく、他のアーティストの方々の演奏を聴く事ができたり、新しい出会いもたくさんありました。
なにより、石巻のみなさんの暖かさに触れ、励まされ力づけられました。
次は8月頃お邪魔したいと考えています。
祝福と守りをお祈りしつつ。
帰り、なんと時間の余裕があり、駅で牛タン食べられました
前回行った時は東北らしいものを一切食べませんでしたが、今回は後半食い倒れ状態
東北は食べ物が美味しいですねーーー。