呑んべぇおやじでもいいじゃないの

最近ちょっと方向性変更気味です

第116回 上電沿線歩け歩け 岡登緑道から岩宿遺跡

2010年09月08日 | 上電
9月5日(日)第116回 上電沿線歩け歩け 岡登緑道から岩宿遺跡

8月の歩け歩けは猛暑でパスしたので、9月に入れば少しは涼しくなると思い参加を申し込みしました。

ところが、当日の天気は快晴でまたまた猛暑日の予報で、朝から太陽の下など歩けないくらいの暑さ。

こりゃ参った!と思いながらの参加です。





「岡登緑道」知りませんでした。

江戸時代に築かれた農業用水の現在は暗渠になっている上の遊歩道を歩きます。

木陰で涼しい道が続きます。

少し問題は、草が延びていて、半ズボンの足が痒いのです。

ところによってはかつての用水の中を歩きます。

途中、ベンチや池や水車や東屋や公衆トイレなどが完備されていて、桜並木もあり花見にもよいと思います。





三俣分水口です。

写真は現在の分水口です。

写真左奥の看板があるところが昔の分水口の復元です。





歩け歩けは、緑道の終点からカタクリの群生地で有名な稲荷山の裾を回り岩宿遺跡に向います。

岩宿遺跡と言えば、小学4年生の春に富士見村の石井にワラビ採りに行った帰り、石井のバス停近くの切り通しの赤土の中から偶然顔を出していた無傷の立派な長さ10cmほどの石斧を拾いました。

そのころ、考古学好き少年で、夏休みには野辺山の叔父の家へ行き畑で黒曜石の矢じりや縄文土器や弥生土器の欠片などを拾い集めては楽しんでいました。

また、前にも書きましたが、広瀬団地の造成現場で沢山の数の古墳がつぶされる中、埴輪の欠片を学校から帰ると毎日のように拾い集めていました。

そんなわけで土器・石器にはちょっと詳しかったのです。

その年の秋に当時考古学界をにぎわしていた相沢忠洋先生が私の通う小学校へ来て講演をすることになり、嬉しくてワラビ採りのときに拾った石斧を見てもらおうと学校へ持って行き担任の先生に「ぼくの拾ったこの石器を相沢先生に見てもらいたい。」と言うと、その担任は「こんなのはただの石ころの欠片だ。そんなものを相沢先生に見せるなんて失礼だ。捨ててしまえ。」と、取り合ってもらえませんでした。

結局見てはもらえませんでした。

悲しい記憶です。

でも、講演は楽しくワクワクしながら聞きました。

その後も土器・石器を拾い集めて宝にしていましたが、6年生の時に高崎観音山に化石採集に行ってウミユリやオウム貝の化石を見つけてから化石にも興味が出てきてメタセコイヤの化石を探しに行ったり、あの石斧は何処へなくしてしまったのか?

拾った場所は、今の会社の近くです。

あそこはその後まだ一度も調査されたことがありません。

あそこには旧石器時代の遺跡が眠っているはずです。

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