呑んべぇおやじでもいいじゃないの

最近ちょっと方向性変更気味です

初詣 太田 呑龍様

2010年01月02日 | 鉄道小旅行&B級グルメ
初詣 太田 呑龍様 へ行ってきました。
実は、この呑龍様は私にはとてもいわくのある仏閣です。

明治28年生まれの私の祖父は、伝統と神仏を厳格と言っていいほど重んじる人で、正月から始まり、小正月・節分・春彼岸・節句・夏至・お盆・秋彼岸・冬至などのほかにも細かい季節ごとの伝統行事には必ずそれにちなんだ料理を作らせ神棚と仏壇に供えてから家族全員で食べ、門の神様・竈の神様・便所の神様、様々な神様にお札や供え物をいつもしていました。
祖父の座右には分厚い暦がいつもありました。
また、国民の祝祭日には必ず玄関に日の丸を掲げていました。

他にもなにやら陰陽術のようなものを使う人で、歯が痛いとき、祖父の座る座卓の前に正座させられ、祖父は、5つ玉の算盤の角にもぐさを三角の山にし焚いて、なにやら呪文を唱えながら算盤をパチパチとはじきます。
5分もそうしていると、不思議と歯の痛みが消えていました。

そんな祖父の初の内孫として生まれたのが私で、名前は家族が付けるものではなく、暦にしたがって天が付けるものだということで、呑龍様は子育て呑龍とも言うのですが、祖父が呑龍様で占ってもらって私の名前がつきました。
妹も弟も同じように呑龍様からもらった名前です。

私が5歳になったときに弟が生まれたのですが、弟の名前をもらいに行くときは祖父に連れられバスに乗って行きました。
当時、前橋から太田への県道はそのほとんどが砂利道でバスはガタゴト揺れました。
「田舎のバスはおんぼろバスだ、ガタガタ道をガタゴト走る」と言う歌が流行っていて、私ははしゃいでその歌を大きな声で何度も何度も歌い車掌さんににらまれ「静かにしてください」としかられたのを良く覚えています。

そして、不思議はありました。
私の名が、のぶゆき、妹がももよ、弟がようじ、で三人の名前の最後の字を並べると きよじ になります。
これは、私たち兄弟の母親の平仮名で きよじ と書く名前でした。


そんな、いわくの 呑龍様 へ初詣に行ってきました。



今日は、良く晴れていたものの、風が強く、境内には砂埃が舞って、屋台の売り物にも砂が付いてしまい、客の購買意欲が薄れるようで、売れ行きが悪そうでした。
店も人もあきらめ顔でぼやいていました。




参拝を済ませた私も屋台には目もくれず、空腹を我慢し東武線太田駅までの15分ほどをすたすたと歩き、駅前の大衆食堂で名物のソースかつ丼を食べました。
瓶ビールは、大瓶で600円嬉しいです。






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