昨日は阪神淡路大震災から21年目の1月17日でした。
あのときの私は高校一年生。
昨日は4歳の息子に 主人が描いてくれた私の震災の実話の絵本
『さっちゃんとピアノちゃん』と身代わりになって助けてくれたピアノの破片を見せてあげると
「これ、ママ?
かわいそうに。ママ、ずっといてね」
と4歳の息子が泣きながら何かを感じ取り絵を描いてくれました。
さらに、 『ママ、ずっといてね』の曲も即興で奏でてくれました。
あのときどれだけたくさんの家族の笑顔が奪われただろう。
小さな子供もたくさん亡くなり、
両親を亡くした子供もいました。
何年経っても忘れられるはずがない。
月日が経つにつれ より深く感じる大切な日。
あの日の夜は家が全壊していたから
小学校の運動場で段ボール一枚で家族で身を寄せあって過ごしました。
校内は亡くなったかたがたくさんで
生きてる私たちは外でしのぎました。
崩れた我が家を持ってきて燃やして焚き火にしたり、食べるものもなく
おなかペコペコで寒くて震えながら過ごしました。
どこかでサイレンがなるたびに、
崩れかけた家で過ごしてる友達を思い心配で眠れませんでした。
亡くなった友達もいて本当に悲しかったけど、
どんなに辛いときでも誰かを思う気持ちや支えあう優しさが生きる強い力をくれたような気がします。
あの寒さや、怖かったあの体験は
何年経っても忘れることはできないけれど、私は音楽からかなり力をもらったので
被災された方々の気持ちになって少しでもピアノで希望や勇気をとどけられたらいいな。
あのとき神戸を支えてくださった世界中の皆さん、昨日もこの地を訪れてくださった皆さん、
本当にありがとうございました。
今年は平和な一年でありますように。
あのときの私は高校一年生。
昨日は4歳の息子に 主人が描いてくれた私の震災の実話の絵本
『さっちゃんとピアノちゃん』と身代わりになって助けてくれたピアノの破片を見せてあげると
「これ、ママ?
かわいそうに。ママ、ずっといてね」
と4歳の息子が泣きながら何かを感じ取り絵を描いてくれました。
さらに、 『ママ、ずっといてね』の曲も即興で奏でてくれました。
あのときどれだけたくさんの家族の笑顔が奪われただろう。
小さな子供もたくさん亡くなり、
両親を亡くした子供もいました。
何年経っても忘れられるはずがない。
月日が経つにつれ より深く感じる大切な日。
あの日の夜は家が全壊していたから
小学校の運動場で段ボール一枚で家族で身を寄せあって過ごしました。
校内は亡くなったかたがたくさんで
生きてる私たちは外でしのぎました。
崩れた我が家を持ってきて燃やして焚き火にしたり、食べるものもなく
おなかペコペコで寒くて震えながら過ごしました。
どこかでサイレンがなるたびに、
崩れかけた家で過ごしてる友達を思い心配で眠れませんでした。
亡くなった友達もいて本当に悲しかったけど、
どんなに辛いときでも誰かを思う気持ちや支えあう優しさが生きる強い力をくれたような気がします。
あの寒さや、怖かったあの体験は
何年経っても忘れることはできないけれど、私は音楽からかなり力をもらったので
被災された方々の気持ちになって少しでもピアノで希望や勇気をとどけられたらいいな。
あのとき神戸を支えてくださった世界中の皆さん、昨日もこの地を訪れてくださった皆さん、
本当にありがとうございました。
今年は平和な一年でありますように。