先日のブログにはたくさんのコメント、本当にありがとうございました
受賞が決定したわけではなく、一次審査通過の段階なので本当に恐縮です。
これからも 相変わらずのマイペースな更新になると思いますが どうぞよろしくお願いします
さて、話は変わって・・
今日は1ヶ月前の出来事を書きます。
このことはブログに書いたり人に話すつもりはありませんでしたが、
以前も少し書いた宮崎の口蹄疫のことが心配で
畜産関係の方々や宮崎に住む方々のブログを見てさらなる現状を知ると いてもたってもいられず、
ひとりひとりが何か自分にできることを考えるきっかけになればと思い書くことにしました。
私は5月の終わりに あるものを宮崎へお送りしました。
宮崎県との出会いは昨年のこと。このブログからでした。
神戸の震災時に救援物資などを運んで助けに来てくださった
宮崎県小林市にあるカフェ「きたのその家」さん。
いつも応援してくださる愛媛の素敵なお客様(箱入り嫁さん)が
ブログで私のことを紹介してくださったことがきっかけで出会い、
昨年、恩返しの気持ちも込めて、きたのその家さんでコンサートをさせていただいた時、
新聞やラジオで情報を得た方もいらっしゃり、遠方からもたくさんのかたが来てくださいました。
「あなたのピアノ、うちの牛にも聴かせてやりたいなぁ」
にこにこしながら嬉しそうに話してくれていたあの日を思い出し、
口蹄疫大丈夫だったのだろうか・・と心配しているうちに、
音楽療法のことをふと思い出しました。
検査をされたり消毒をされたり、きっと人間だけでなく、
牛さん達も疲れていると思うのです。
そして家族のように大切にしてきた牛さんや豚さんのことを心配で
眠れない方々もたくさんおられると思います。
私にできることは ”音楽”という目に見えないもの。
でも だからこそ心を込めた音楽は 不思議な奇跡が起こったこともたくさんありました。
そして私自身も震災時、家や友人、宝物のピアノを失った時も、
音楽室のピアノを借りてがむしゃらに弾くことで 少しずつ心を取り戻せたし
手を大怪我したり 人間不信になったり もう消えてしまいたくなった時も、
たくさんの音楽に力をもらって生きてこれました。
音楽療法で施設や お宅を訪問して演奏させていただいたりもしてきたものの
口蹄疫は空気感染ということを聞いたので 色々な農家に行くことは難しいと思い
せめてもの想いで、あるものを送ることにしました。
それは、昨年のコンサートの帰りに寄った
宮崎の天岩戸神社の奥で 涙と共に生まれた曲。
天照大神の隠れていた岩戸、そして神々が相談しあってウズメが踊って
天照様が顔を出し、光が戻った大切な場所で生まれた曲。
神社の特別な場所で涙と共にメロディーが生まれたあんな経験は初めてだったから むやみに披露せず、大切にしてきたけど
あの場所で生まれたメロディにはもしかしたら
なにかパワーがあるのかもしれないと思い、
大好きな宮崎にこれからまた光が戻るよう祈りの心と たくさんの魂の追悼の想いを込めて弾き直して、
まだタイトルも未定のままですがCDにしてお手紙を書いて
取り急ぎ、毎日大変な中、闘っておられる宮崎県庁とお世話になったきたのその家さんへお送りしました。
届いた翌日くらいに ある地域では終息についてのニュースが流れてとてもうれしくなりました。
でもまたその後日新たなニュースも・・。
その後、宮崎県庁の秘書の方から知事に渡しました、とお忙しい中
ご丁寧にお礼の書いたお手紙をいただきました。
私は 世の中を明るく照らすお仕事をしてきた東国原知事のいる宮崎県だからこそ、
また光を取り戻せると思います。
もしも牛さんや豚さんのそばで 音楽を流せる環境があれば
どうか流してあげてください。
私には こんなささやかなことしかできないけれど 少しでもお役にたてますように。。。
これからも宮崎の皆さんを 陰ながら応援しています。
受賞が決定したわけではなく、一次審査通過の段階なので本当に恐縮です。
これからも 相変わらずのマイペースな更新になると思いますが どうぞよろしくお願いします
さて、話は変わって・・
今日は1ヶ月前の出来事を書きます。
このことはブログに書いたり人に話すつもりはありませんでしたが、
以前も少し書いた宮崎の口蹄疫のことが心配で
畜産関係の方々や宮崎に住む方々のブログを見てさらなる現状を知ると いてもたってもいられず、
ひとりひとりが何か自分にできることを考えるきっかけになればと思い書くことにしました。
私は5月の終わりに あるものを宮崎へお送りしました。
宮崎県との出会いは昨年のこと。このブログからでした。
神戸の震災時に救援物資などを運んで助けに来てくださった
宮崎県小林市にあるカフェ「きたのその家」さん。
いつも応援してくださる愛媛の素敵なお客様(箱入り嫁さん)が
ブログで私のことを紹介してくださったことがきっかけで出会い、
昨年、恩返しの気持ちも込めて、きたのその家さんでコンサートをさせていただいた時、
新聞やラジオで情報を得た方もいらっしゃり、遠方からもたくさんのかたが来てくださいました。
「あなたのピアノ、うちの牛にも聴かせてやりたいなぁ」
にこにこしながら嬉しそうに話してくれていたあの日を思い出し、
口蹄疫大丈夫だったのだろうか・・と心配しているうちに、
音楽療法のことをふと思い出しました。
検査をされたり消毒をされたり、きっと人間だけでなく、
牛さん達も疲れていると思うのです。
そして家族のように大切にしてきた牛さんや豚さんのことを心配で
眠れない方々もたくさんおられると思います。
私にできることは ”音楽”という目に見えないもの。
でも だからこそ心を込めた音楽は 不思議な奇跡が起こったこともたくさんありました。
そして私自身も震災時、家や友人、宝物のピアノを失った時も、
音楽室のピアノを借りてがむしゃらに弾くことで 少しずつ心を取り戻せたし
手を大怪我したり 人間不信になったり もう消えてしまいたくなった時も、
たくさんの音楽に力をもらって生きてこれました。
音楽療法で施設や お宅を訪問して演奏させていただいたりもしてきたものの
口蹄疫は空気感染ということを聞いたので 色々な農家に行くことは難しいと思い
せめてもの想いで、あるものを送ることにしました。
それは、昨年のコンサートの帰りに寄った
宮崎の天岩戸神社の奥で 涙と共に生まれた曲。
天照大神の隠れていた岩戸、そして神々が相談しあってウズメが踊って
天照様が顔を出し、光が戻った大切な場所で生まれた曲。
神社の特別な場所で涙と共にメロディーが生まれたあんな経験は初めてだったから むやみに披露せず、大切にしてきたけど
あの場所で生まれたメロディにはもしかしたら
なにかパワーがあるのかもしれないと思い、
大好きな宮崎にこれからまた光が戻るよう祈りの心と たくさんの魂の追悼の想いを込めて弾き直して、
まだタイトルも未定のままですがCDにしてお手紙を書いて
取り急ぎ、毎日大変な中、闘っておられる宮崎県庁とお世話になったきたのその家さんへお送りしました。
届いた翌日くらいに ある地域では終息についてのニュースが流れてとてもうれしくなりました。
でもまたその後日新たなニュースも・・。
その後、宮崎県庁の秘書の方から知事に渡しました、とお忙しい中
ご丁寧にお礼の書いたお手紙をいただきました。
私は 世の中を明るく照らすお仕事をしてきた東国原知事のいる宮崎県だからこそ、
また光を取り戻せると思います。
もしも牛さんや豚さんのそばで 音楽を流せる環境があれば
どうか流してあげてください。
私には こんなささやかなことしかできないけれど 少しでもお役にたてますように。。。
これからも宮崎の皆さんを 陰ながら応援しています。