武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

隣組長です~

2006年04月13日 19時46分13秒 | Weblog
今月から、自治会隣組長の当番。二度目のお役。
回覧板の順番表を作り、たった今、広報と回覧を配り終えたところです。

ひとりで暗い道を歩きながら、ああ、昔は、子どもの手を引いて、よぉーいどん、をしながら配り歩いたのだなあと、少しだけセンチメンタルな気持ちになりました。
家に帰っても、まだ誰もいない。家族の帰りを待ちながら、夕飯の支度をして…。暗くなると、家の中がやけに広く感じます。でも、皆がそれぞれ、外で元気に動いているのだから、それはそれで仕合せなことであるのかもしれない。

今朝採れたての筍が届いています。今年初!! 筋にならないうちに、下茹でして、お夕飯は、たけのこづくしのメニューです。
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上方言葉が難しい

2006年04月13日 16時13分00秒 | Weblog
近松の原文は、地の文の部分も時々関西口調だなあ、とは感じていた。

やはり地の文だって、関西弁なのだ。あたりまえです。義太夫の台本ですもん。

だから、私のは、中途半端なんやて。まるっきりの、にせものですわ。

どないすればいいの?

絶対に絶対に、あきらめられない。

だから、10年やろうって決めているのです。

すぐに答えが見つかるはずがない。でも、10年考えても、時間の無駄であるとも思わない。

指導してくれる友人には申し訳ないけれども、しばらくは、よろしくお付き合いくださいね。


関西の言葉で読んでくれた『おりゅう柳』、よかったわあ。

聞いていて、理解できたこと。語りをしている人にありがちな、へんな節をつけてしまうこと。それが癖になってしまうことについて。

文章を選ばねば、どうしたって節が付くのだ。東の国の話は、東の国の文体でなくては、表現できない。西の国の話だって。思いが言葉遣いになって現れているのだ。

そういった節の問題を、語りをする人たちは、どのように考えているのだろう。「語り部口調」というのかな。どこの方言でもない、妙なイントネーション。時に、とても心地よい。けれども、明らかに間違っている。

お話の選び方で、出来の8割は決まってしまう、という。
そういうことかあ、と、腑に落ちた。


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