猫 乃 眼

猫に癒され、旅で癒され、マイペース。~おぐにゃん~

さよなら原発!3・11福岡集会 ~フクシマ~フクオカ、核なき未来へ~集会宣言

2012-03-11 21:10:01 | NO NUKES
■集会には残念ながら参加できませんでした(T_T)
■九電本店前ひろば報告に掲載された案文を転載しました。

転載


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 さよなら原発!3・11福岡集会
     フクシマ~フクオカ、核なき未来へ

         集会宣言(案)

 昨年、2011年3月11日の大震災と福島第一原子力発電所の爆発は、東日本の 人々に、筆舌に尽くしがたい破壊と、おびただしい死をもたらしました。それは 私たち日本人のみならず、とりわけ原発を有する世界の国々の人々を不安と恐怖 に陥れました。

 あの日から1年が経ちました。しかし、現地の福島並びに東北地方の多くの 方々の悲嘆や困窮は軽くなるどころか、むしろ増大しています。私たちは1日も 早く、東日本の被害者だけでなく、今も原発の現場で働いている労働者や、原発 周辺で生活する全ての人々に、憲法の保障する「平和に生きる権利」が確保され ることを心から念願しています。

 3.11の大震災で自然がもたらす力を思い知り、とりわけ人の手で作り上げた原 発は、その「原発」の危険性を誰の目にも、はっきりとさせるものになりました。
本日、「さよなら原発!3・11福岡集会」に集まった私たちは、国と自治体と 原発関連企業が原発を直ちに廃止するという公的・社会的責任を果たすことを強 く要求します。
とりわけ、ここ、私たちのふる里・福岡に直接の災厄をもたらす可能性のある玄 海原発は、老朽化による大爆発の危険性が指摘されており、一刻も早く廃止すべ きです。
 このことを、改めて本集会の名において強く訴えます。

 現在日本国内の54基中52基の原発は稼働を止めていますが、再稼働の可能性 と、そのたくらみは決してなくなってはいません。それどころか、犯罪的ともい える海外への原発輸出さえ企てられています。私たちは世界の人々に対する責任 において、このような行為が許されてはならないと信じています。

 その意味からも、まず、足元の玄海原発川内原発の再稼働を許さず、廃炉に し、私たちの「さよなら原発」の意志と決意が、福岡から日本全国へ、そしてア ジアへ、さらに全世界へ広がっていくよう、全力を挙げることを宣言します。

              2012年3月11日「さよなら原発!3・11福岡集会」 参加者一同
                    福岡市天神・須崎公園にて


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↑転載

2012年3月11日に思うこと。

2012-03-11 14:31:15 | NO NUKES
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季節は巡り、東日本大震災から1年になりました。
季節は巡り、今年も庭の桜は開花しました。


原発いらない!3.11福岡集会」がまもなく開会され、参加者は九電本店までパレードをします。

それなのに、体調不良で参加を見合わせました。
とても残念!


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いま政府は、放射能や汚染物質を大量に含んだ瓦礫を全国にばらまき、健康被害を全国民に拡散するという愚策を、「絆」を旗印に強引に進めています。
同意しない者は、非国民的扱い。
事あるごとに、絆、絆、絆.....

季節は巡り、自然の営みも繰り返されます。
が、これは自然に限ったことではないようです。
人の営みも繰り返されるようで...。


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あの時は「絆」ではなく、「自己責任」。
当時、政府もマスコミが寄ってたかって、アフガニスタン人質とその家族を非国民扱いしました。
国とマスコミによる大掛かりなマインドコントロール

当時は自民党政権でしたが、いまは民主党政権
政権は変われども、いざという時に国民を守らない国という点では大差がないと思います。

当時、人質救出最優先の主張は総スカンでした。
いま瓦礫受け入れ反対の主張が総スカンという状況が作られています。

マインドコントロール
これもたびたび繰り返されています。
要注意!


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このたびの福島第一原発事故の直後から、心配ない、大丈夫、と国民を欺き続けてきた政府、マスコミです。
彼らが今回、瓦礫についていくら大丈夫と言ってみせても、空虚に響きます。
放射能による内部被曝やその他汚染物質による健康被害について、安全、安心だというお墨付きを、具体的、科学的な根拠にもとづいて示してください。
そうでなければ「大丈夫」なんて軽々しく言わないでください。

国は、放射能汚染の疑いがある食品の流通も無責任に放置して、今回、瓦礫についても曖昧なまま全国に拡散しようとしています。
これが、ほんとうに国民が求めている「絆」なんですか?

私は、「絆」にはならないと思っています。
むしろ「分断」だと...。


私にとって「絆」とは?

この国のすべての原発を止めること。
この国からすべての原発をなくすこと。
原発を推進したり、容認したり、黙認したりすることに異を唱えること。

そこでつながり続けていきたい。
それが、子どもや、孫や、その先の将来の人たちとも繋がっていくことができる「絆」だと思っています。


もうすぐ、黙祷の時刻です。