3月9日に行われた外交部の記者会見の席で、耿報道官は、中国との国境付近のミャンマー北部で、政府軍と反政府軍との間で武力衝突があり、ミャンマーから約2万人程が、中国側へ避難して来ていると述べたとの事です。また、双方に自制する様に呼びかけるとともに、即座に停戦し、これ以上事態が悪化しない様に要求しているとの事です。また、中国政府は、ミャンマーからの避難民に対して、人道主義の観点から避難民が必要とする援助を与えるとの事。
ネット等検索すると、ミャンマーで起きた政府軍と反政府軍の衝突の為、ミャンマーから難民が避難している所は、環球時報等に拠れば、南傘鎮周辺の様です。8日付のロイターの報道に拠れば、ミャンマー側から中国の南傘鎮へ多くのミャンマー人が避難し、その為、南傘鎮は交通機関なども大混乱していると現地の人が話しているとも記事で紹介しています。
私は、つい三週間程前に、この南傘鎮に滞在していたので、今回の出来事は少し思い入れがあります。南傘鎮は小さな鎮ですので、数千人もの人が押し寄せたら南傘鎮は、本当に大混乱に陥っているだろうと想像できます。
私が南傘鎮で泊まった宿は、一泊60元程の安宿ですが、チェックインする際に身分証明が無いと言ったら「お前はミャンマー人か」と云われました。実は、それ位この鎮はミャンマー人が多い所です。また、このブログでも触れましたが南傘には、ミャンマーナンバーの車が多いのには驚かされました。また、中国側の住民も特別の許可証を受ければ自由にミャンマー側と往来が出来るとの事でした。
国境沿いの住民は、このような許可証を受けると自由に往来が出来るとの事で、双方の間の往来はかなり盛んな様でした。
南傘鎮から帰って来てからネット等検索して知ったのですが、2015年3月にも政府軍と反政府軍との間で衝突があり、この時には延べ6万人もの難民が南傘鎮を中心に避難して、南傘鎮には難民キャンプも設けられとの事です。その難民キャンプは、私が訪れた2月中旬に時点では、当然難民は居ないもののその施設は一部の残っているとの話でした。
今回の衝突でミャンマーから中国へ避難した難民の中には、親類や知人友人を頼って避難した人もいるとの事ですが、2万人ものミャンマー在住の人が中国側へと避難したとすれば、南傘鎮も町の規模からして、大混乱に陥っていると思われます。
普段は、この場所では、中国、ミャンマーの双方で交易も行われているとの事でしたが、ここも今ではミャンマーから避難民で溢れているかもしれません。
対岸のミャンマー側の町の様子は分からないのですが、中国側の南傘鎮でも、この様な高層ビルが建設中で、この隣には15階建ての高級ホテルが既に建てられていました。
中国の南傘口岸から見た対岸のミヤンマーの村。