●不思議なおばちゃん達と僕(その12) ※「連載初回」はこちら
~せめて順当な看取りを1/2~
"家を建てると身内が亡くなる"という言い伝えを聞いたことがあるだろうか。実際に、僕の家が建て替えられた翌年に父が57歳という若さで急死した時も、そんなことが吹聴されるものだよね…、などと知人としんみり話したりしたものだ。おばちゃん達が、住む人に照らして考えると大きくて立派過ぎるような新築家屋を建てて2年ほどして、一番年長のおばちゃんが亡くなった。
母から電話で知らされた僕は、葬儀に関しては、しっかり者の真ん中のおばちゃんと僕の母が相談しつつ実働は葬儀社に任せるということなので、特段の役割は無かったのだが、それでも居れば車もあるので何かやることがあるかも知れないし、仕事も上手い具合に端境期だったので、即座に帰省することにした。終業後に愛車の三菱ギャランヴィエントに乗って実家の近くのセレモニーホールに着くと、最もこじんまりした会場で母と真ん中のおばちゃんが白い棺を前にして話していた。
亡くなった年長のおばちゃんは僕の亡き祖母のすぐ下の妹で、僕の幼い頃からの思い出といえば、曲がった腰の"くの字型"でいつも横たわっていて、顔だけこちらに向けて愛想のよい挨拶の一言二言をかけてくるという姿だった。僕の母を窓口とした我が家とおばちゃん達との行き来は、自転車も乗りこなせてパート仕事にも出ていたしっかり者の真ん中のおばちゃんが全て対応していたので、僕は亡くなった年長おばちゃんに関する情報は殆ど持ち得ていなかった。それでも、"人に歴史あり"ということを皮肉にも本人が亡くなったことを機会に知ることとなる。
母と真ん中のおばちゃんの話によれば、年長のおばちゃんは心身に不具合を抱えた姉弟の中でも比較的程度が良く、若い頃は"器量よし"であったため割烹の接客などもやっていたという。昔からの愛想の良い言い回しはそんなところから来ていたのだなあと思い返す。生計の自立につながるような結婚の機会などは無かったようだが、自分の食い扶持分の年金くらいは稼ぎ出せていたようだ。
年長のおばちゃんが亡くなった時の様子に話しが及ぶと、真ん中のおばちゃん曰く、朝起きて来ないので寝床に様子を見に行ったら眠った様子のままで冷たくなっていたのだという。昨日までの様子に変わった所も無かったそうだ。女性の平均寿命には少し短かったようであるが、腰が曲がって以来寝たきりに近い生活を30年近く続けて、最近では床ずれで腰のあたりの骨が透けて見えるほどで、医師の訪問診察も時折受けていたという。老人のみの世帯で世話をしきれないので、そろそろ施設への入所が必要かといった話しが出始めていた矢先らしい。世話の手が大きく掛かる前に天寿を全うされたということか。
ほんの身内と御近所の年寄りだけの弔問客であったが、貧困の生活の中でも何とか在宅で過ごし続けることができ、一通りの儀式により送り出せてもらえたのだから、故人も幸せだったのでは…。葬儀の一連を終えて落ち着くと、自宅で熱いほうじ茶を吹いて冷ましながら僕の母は、生まれた時から独立するまで一緒に生活していた年長のおばさんを感慨深げに振り返った。そんな感傷的な話しが一息ついて、ほうじ茶が二杯目になるころには、僕と僕の母は今回の騒ぎを終えた安堵と先行きを祈るような話しになった。
何とか順当に逝ってくれたことは有難かった。年老いた心身に難のある老婆3人の"逝き方"というか自宅への"居残り方"によっては、僕の母と僕の生活に大きな影響を及ぼすことになるわけだから、それは大きな課題であった。人の亡くなる順番を語るなどと不謹慎に思うなかれ。僕の母は老人の域に入り高血圧もありそれほど頑健という訳ではないし、僕も車で2時間も離れた街に暮らしているので、何かの事情で例えば真ん中のしっかり者のおばちゃんが先に亡くなってしまったら、残された年少おばちゃんの世話などに十分な対応は出来ず、お互いに不幸になってしまうのだ。
(空き家で地元貢献「不思議なおばちゃん達と僕」の「その13」に続きます。)
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「ほのぼの空き家の掃除2020.11.14」
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