この文章を書きながら、
右脳が刺激されているらしく、左上を見上げてしまっている私です(笑)
土曜日、学童からの帰り道、
花から上級生の男の子に下敷きを割られてしまったことを聞きました。
ん?指導員さんからは何も聞いていません。
「そのこと、指導員さんは知っているの?」
「うん、知ってる。」
「じゃあ、何ていってた?」
「“どうするん?弁償せなあかんで”っていってた。」
弁償?
その言葉が、どうにも心にひっかかってしまったのです。
もちろん、別に弁償してもらいたいわけではありません。
ただ、小学生の男の子に対して“弁償”という言葉は、
結構重いのではないかと思いました。
もちろん、物の大切さ、
わざとではないにしろお友達の物を壊してしまったことの重要さ、
謝ったからといってそれですまないこともあるということを教えるために、
そういう言葉をつかうこともあると思います。
逆に、弁償さえすればそれでいいということとも違います。
弁償するとして、それはその子のお小遣いから出すの?
その時、そのことをその子はきちんと自分の親に話せる?
話さずにすましちゃう?
弁償しなくていいよ、となった場合、
その子は、自分の親に話す?話さない?
これ、もし花がお友達の物を壊してしまったとして、
私は親として知っておきたいです。
次にその子や親御さんにあったときに、一言お詫びができるし、
そのことについて親子で話し合いができるから。
また、別の視点からみると、
その指導員の言葉をどのくらいその男の子が受け止めているか、
ということも気になりました。
きちんと受け止めてどうしよう?となっているならフォローが必要ですが、
全然気にせず、スルーしてしまうのもどうなの?って。
このあたり、その子にあわせた対応が必要だと思いました。
土曜日は言い忘れたのかもと思い、
月曜日には何か対応があるかと思ったのですが、
連絡帳には何も書いておらず、
花に聞いても、何もフォローはなかったようです。
この様子なら「弁償しなあかんで」といった男の子にもフォローなし???
その点が気になって、学童にまで足を運んでしまいました。
連絡帳だと文字に残ってしまうし、一方通行。
電話だと1対1になってしまうので、
他の指導員さんの話をきくこともできません。
何より、思いを伝えるのは直接会って話をするのが一番だと思って。
様々なことをかんがみて、詳しい内容はここには書きませんが、
大人が子どもに何かを伝えるときに、何を伝えたいか、
子どもにこうあって欲しいと思っている姿をきちんとイメージしているかって、
とても大切だと改めて思いました。
子育てに何が正しいというのはありません。
だからこそ「こうあってほしい」「これだけはわかっていてほしい」ということを
明確にしていないと、子どもに伝わらないのかな?と思いました。
今回、お話してみたことで、
花が「ママに怒られる~」ととても気にしていたことを知ることができました。
私としては、ごく普通に話してくれたように思っていたのですが、
本当は花もドキドキしながら、私に話してくれたのでしょうね。
それは日ごろから私が「物を大切に」と伝えてきたからだと思います。
えんぴつにしろ、消しゴムにしろ、
粗末に扱っていると、そのつどきちんと話をしてきました。
海外のチャイルドとの交流を通じて、
”学校にいって勉強できるのは、とてもありがたいこと。
世界には、学校に行きたくても行けない子どもたちがたくさんいること、
勉強したくても文房具がない子どもたちがたくさんいること”
も理解してくれています。
それでも、そこは子どものやること。
ついつい、その辺にえんぴつを転がしていたり、
消しゴムを小さくちぎったりして、また私に叱られることになるのですが。
何にせよ、
「ママに怒られると思って、怖かったの?
それでもちゃんと話してくれてありがとう」
という気持ちを伝えました。
「だって、ママ怒ると怖いんだもの。」
だそうですが、怒っても怖くないも~ん♪と思われるよりは全然いいので、
これからも遠慮なく、がっつりと叱りたいと思います(笑)
今回の一件、私自身も何を明確にして子どもたちに向き合うか、
思いがけずそれを再確認することができて、
やっぱりお話してよかったと思いました。
自分が何を伝えていきたいか、それってとっても大切です。
最後になりましたが、「アサーティブ」(アサーションともいわれます)とは、
自分も相手も大切にするコミュニケーションのこと。
今回のことも、
”私はこう思う!”
”どうしてこんなことするんですか!”
”それはいけない!”
というようなスタンスではなく、
あくまでも、その指導員さんが何を思い、
何を伝えたくて、どう行動したのかが知りたかったのです。
もっといえば、どう行動したの部分(あとのフォロー)が足りてないように感じて、
そこが気がかりだったのですが。
お話をしていく中で、指導員さん自身、
自分でいろんなことに気づいていかれました。
きっと、家に帰ってからも色々と今回のことについて考えてらっしゃるだろうし、
先輩指導員さんもフォローして下さるでしょうから、
これからぐんぐん伸びていかれる可能性を感じました。
それが一番嬉しかったかな。
大所帯の学童、
ひとりとして同じ子はいないわけで、
それぞれに向かい合ってつきあっていくのは本当に大変だと思います。
親なんて、ひとりふたりの子どもにも手を焼いていたりするわけですから。
そんな中で、私自身は何をどうしていくか、
これもまた課題だと思います。
徳島での「すくすく子育てコーチングセミナー」では、
毎年、学童の指導員さんや保育士さん、学校関係の方など
子育て支援に関わってくださっている方の参加が多いので、
今回のことも、とても参考になるかもしれません。
右脳が刺激されているらしく、左上を見上げてしまっている私です(笑)
土曜日、学童からの帰り道、
花から上級生の男の子に下敷きを割られてしまったことを聞きました。
ん?指導員さんからは何も聞いていません。
「そのこと、指導員さんは知っているの?」
「うん、知ってる。」
「じゃあ、何ていってた?」
「“どうするん?弁償せなあかんで”っていってた。」
弁償?
その言葉が、どうにも心にひっかかってしまったのです。
もちろん、別に弁償してもらいたいわけではありません。
ただ、小学生の男の子に対して“弁償”という言葉は、
結構重いのではないかと思いました。
もちろん、物の大切さ、
わざとではないにしろお友達の物を壊してしまったことの重要さ、
謝ったからといってそれですまないこともあるということを教えるために、
そういう言葉をつかうこともあると思います。
逆に、弁償さえすればそれでいいということとも違います。
弁償するとして、それはその子のお小遣いから出すの?
その時、そのことをその子はきちんと自分の親に話せる?
話さずにすましちゃう?
弁償しなくていいよ、となった場合、
その子は、自分の親に話す?話さない?
これ、もし花がお友達の物を壊してしまったとして、
私は親として知っておきたいです。
次にその子や親御さんにあったときに、一言お詫びができるし、
そのことについて親子で話し合いができるから。
また、別の視点からみると、
その指導員の言葉をどのくらいその男の子が受け止めているか、
ということも気になりました。
きちんと受け止めてどうしよう?となっているならフォローが必要ですが、
全然気にせず、スルーしてしまうのもどうなの?って。
このあたり、その子にあわせた対応が必要だと思いました。
土曜日は言い忘れたのかもと思い、
月曜日には何か対応があるかと思ったのですが、
連絡帳には何も書いておらず、
花に聞いても、何もフォローはなかったようです。
この様子なら「弁償しなあかんで」といった男の子にもフォローなし???
その点が気になって、学童にまで足を運んでしまいました。
連絡帳だと文字に残ってしまうし、一方通行。
電話だと1対1になってしまうので、
他の指導員さんの話をきくこともできません。
何より、思いを伝えるのは直接会って話をするのが一番だと思って。
様々なことをかんがみて、詳しい内容はここには書きませんが、
大人が子どもに何かを伝えるときに、何を伝えたいか、
子どもにこうあって欲しいと思っている姿をきちんとイメージしているかって、
とても大切だと改めて思いました。
子育てに何が正しいというのはありません。
だからこそ「こうあってほしい」「これだけはわかっていてほしい」ということを
明確にしていないと、子どもに伝わらないのかな?と思いました。
今回、お話してみたことで、
花が「ママに怒られる~」ととても気にしていたことを知ることができました。
私としては、ごく普通に話してくれたように思っていたのですが、
本当は花もドキドキしながら、私に話してくれたのでしょうね。
それは日ごろから私が「物を大切に」と伝えてきたからだと思います。
えんぴつにしろ、消しゴムにしろ、
粗末に扱っていると、そのつどきちんと話をしてきました。
海外のチャイルドとの交流を通じて、
”学校にいって勉強できるのは、とてもありがたいこと。
世界には、学校に行きたくても行けない子どもたちがたくさんいること、
勉強したくても文房具がない子どもたちがたくさんいること”
も理解してくれています。
それでも、そこは子どものやること。
ついつい、その辺にえんぴつを転がしていたり、
消しゴムを小さくちぎったりして、また私に叱られることになるのですが。
何にせよ、
「ママに怒られると思って、怖かったの?
それでもちゃんと話してくれてありがとう」
という気持ちを伝えました。
「だって、ママ怒ると怖いんだもの。」
だそうですが、怒っても怖くないも~ん♪と思われるよりは全然いいので、
これからも遠慮なく、がっつりと叱りたいと思います(笑)
今回の一件、私自身も何を明確にして子どもたちに向き合うか、
思いがけずそれを再確認することができて、
やっぱりお話してよかったと思いました。
自分が何を伝えていきたいか、それってとっても大切です。
最後になりましたが、「アサーティブ」(アサーションともいわれます)とは、
自分も相手も大切にするコミュニケーションのこと。
今回のことも、
”私はこう思う!”
”どうしてこんなことするんですか!”
”それはいけない!”
というようなスタンスではなく、
あくまでも、その指導員さんが何を思い、
何を伝えたくて、どう行動したのかが知りたかったのです。
もっといえば、どう行動したの部分(あとのフォロー)が足りてないように感じて、
そこが気がかりだったのですが。
お話をしていく中で、指導員さん自身、
自分でいろんなことに気づいていかれました。
きっと、家に帰ってからも色々と今回のことについて考えてらっしゃるだろうし、
先輩指導員さんもフォローして下さるでしょうから、
これからぐんぐん伸びていかれる可能性を感じました。
それが一番嬉しかったかな。
大所帯の学童、
ひとりとして同じ子はいないわけで、
それぞれに向かい合ってつきあっていくのは本当に大変だと思います。
親なんて、ひとりふたりの子どもにも手を焼いていたりするわけですから。
そんな中で、私自身は何をどうしていくか、
これもまた課題だと思います。
徳島での「すくすく子育てコーチングセミナー」では、
毎年、学童の指導員さんや保育士さん、学校関係の方など
子育て支援に関わってくださっている方の参加が多いので、
今回のことも、とても参考になるかもしれません。