日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

ご挨拶。   感謝とお断り。

2014年07月14日 | 日記

まずこのブログを見て頂いて

ありがとうごうざいます。

何百万とあるブログから、たまたまこのブログを開いてしまったのでしょうが、

何かのご縁でしょうから、これからも期待せず

たまに覗いて頂けたら光栄です。

 

日々思いついた事を勝手に書いております。

過去何度かブログを始めては途中で何度も投げ出しております。

このブログも2年前に始めて3日で放り出しておりました。

 

今のところ再開して過去最長記録を更新しております。

ブログを読んで下さった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。

再開してからは、主に防衛ネタを中心に書いてまいりましたが、

それは、現在が本当に重要な転換点の時期だからです。

 

よく2020年の東京オリンピックが話題になりますが、

たぶんその辺りには現状の国際情勢は一通りの決着が

ついているのだと思っています。

 

だからこそ、悔いのないうちに聞こえようと聞こえまいと

勝手に遠吠え的な声を上げておこうと思うのです。

持たざるものは言葉ぐらいでしか対抗できませんが、

時代の流れを読みきれば、間違いなく危機回避はできると思うのです。

 

集団的自衛権にしろ、中国崩壊問題、朝鮮半島問題、南シナ海問題、パレスチナ紛争、

クリミア紛争、アメリカの衰退、全てが連動して起こり世界は動いています。

 

それが、誰の意思によるものか、

時代に意思はあるのか。

エネルギー転換が起きたのなら、それがどう現象化するのか、

そういう事を考えながら、狼老年と呼ばれて良い立場から、

これからも、胡散臭い内容を真実ぽく書いてゆけたらと思っています。

 

コメントを書きたい方には申し訳ないのですが、

もともとめんどくさがりですし、

ブログを続けるモチベーションが下がる事案が内容上起きますので、

コメントはお断りしております。 ご理解ください。

 

どうしても私に意見を伝えたいという奇特な方で、

不快な内容ではなく、私のメンドクセーを沈め好奇心を立ち上がらせてくれる方には

お返事を書く事があるかもしれません。

ニーズがお有りでしたら返信を期待せずに下記にどうぞ。

locutusziro@outlook.jp  (専用メールアドレスです。)

 

インターネットは阿弥陀クジに似ていますね。

ある事を探してゆくと、思いもがけず当りを引く事もあります。

今読まれている方も特定の検索ワードの阿弥陀クジを引いて、

私のブログに当たった方が大半でしょう。

 

その偶然の出会いに感謝いたします。

 

後、もし読んで不快な思いをされた方は、

ネットの阿弥陀のはずれクジを引いたと思ってお許し下さい。

 

それではまた、いつ突然終了するかわかりませんが、

これからもよろしかったら、お付き合い下さい。

ご挨拶まで。

 

 

 


本に呼ばれて。

2014年07月14日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

本屋さんの前を通る時に

たまに、何か本に呼ばれている気がする時があった。

 

そんな時に立ち寄って中に入り、しばらく店内をぶらぶらすると、

自然と目につくくタイトルとか、帯とかの本があり、

手に取って立ち読みをしてしまう。

 

手に取った本に、何か気になっていた事のアドバイスなり、

物凄く興味をそそられる事が書いてあったりすると、

「この本が呼んだのだな。」と思うのであった。

 

ある時新宿の紀伊国屋の前を歩いていたら、

例によって呼ばれた気がした。

しかしその時は特別で有る歴史的人物の名前が

胸の奥から聞こえた気がしたのだ。

まあ、おかしな事は疑わないで乗ってしまうたちなので、

そのまま店に入り、いつものように店内をブラブラした。

するとフロアーのすみのコーナーに平積みしてある本の一つが、

いつものように呼んでいる気がして、手に取ってみた。

 

タイトルだけでは何の本か今いち解らないので、

開いてみると、さっき聞こえた気がした人物の自伝であった。

流石に自分自身もびっくりしたが、これは読むしかないと思い

即座に高かったが買ってしまった。

 

この本はスピリチャル系に嵌っていた私を

散々振り回してくれたが、

今思えばそれもまた、人生の教材の一つの思い出として、

今も本棚で自慢げに背表紙を見せている。

 

良い本との出会いは、

人生を豊かにしてくれる。

しかし、私のように本に振り回されて、

今思えばさして重要でもない事にこだわり、

偏った考えに自分を縛ってしまう事もある。

 

本、インターネットはもちろんそうだが、

全ての情報はまず疑ってかかる客観性を持つ事は、

人生を踏み外さない為には大切な素養だと思う。

 

例としてオウム真理教がある。

あのインターネットのない時代、

麻原の宙に浮いている写真の載っている本を手に取ったが為に、

何人の優秀な人物の人生が狂っただろうか。

 

私も当時手に取って見たが、その時は胡散臭さが先にたって、

とても全部読む気にはならなかった。

でも私自身の人生を省みると、ほんのちょっとした違いで

オウム信者になっていた可能性を否定する事はできない。

 

私は若い頃は何事も熱中するタイプで、すぐに騙される人であった。

ある人から、「あなたは箸にも棒にもかからないものに、ひっかかる才能がある人」

と指摘されたが、人生を振り返ってみてまさにその通りだと実感している。

 

ありとあらゆるものに引っかかり生きてきた結果

私はいろいろな事がめんどくさくなってしまった。

そしてその一つの結果として

ある時から本屋に行くのを意識的にやめてしまった。

 

馬鹿は極端に走るものである。

でも人生そんなふうに思えるような経験もまた運命なのだろう。

前向きに生きるだけが人生なら

それは味わいの薄いものになってしまうだろうから。

 

この間久しぶりにまた本に呼ばれたような気がした。

少しだけ頭に記憶がよぎったが、

自然と店内に入っていた。

 

長らく忘れていた

若々しい森の雰囲気が心地よく

本を手にするまでもなく元気がもらえた気がした。

 

私みたいな人間には、

やはり本屋さんは生きる糧なのかなと、

呼び掛けてきた艶やかな表紙の新刊本を手にとって

「こんにちわ」と目で一人挨拶をした。