日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

宗教と聖者とテロリスト  インターネットの負の感情エネルギーをスルーして、好奇心を満たす情報を手がかりに古典や名著や、最上の人と出会いに行こう。

2018年05月19日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

宗教的な事に縁遠い方は

神や仏に対する信仰の深さと客観性は相反するものと思えるかもしれない。

だぶんそれは、宗教的理由によって引き起こされた、テロ、紛争、戦争の歴史を

いやというほど、見聞きしているのが理由のひとつだろう。

 

それは現在も日々繰り返される、自爆テロが代表するような

非常に狭量な価値観を元にした異教徒を目の敵にしたような狂信的行為が

自身の宗教によって許されていると洗脳されている者たちによるところが大きいと思う。

 

宗教の恐ろしさは、伝える側、または権力を持っているものが

その強固な洗脳力を利用して、信徒の客観的な思考を奪い、

他者を宗教的な事を理由に、命を奪ったり、傷つける事を肯定するような教えを

正義とする事を洗脳する事にあると思う。

 

旧約聖書に登場する神は選民思想で異教徒には手厳しい神だから

(基本、侵略する時は異教徒は皆殺し)

砂漠の三大宗教によって過去繰り返されてきた、血で血を洗う戦争は

その根底に流れている、バイブルやクルアーンの教えによるところが大きいのは

誰もが認めるところだろう。

それは、国家や民族の維持の為に必要な方便であった側面は、否めない。

 

それ故にその権力と結びついた宗教が引き起こした結果と、

様々な宗教の真髄を深く理解する事によって得られるであろう心の平安とは

分けて分析する必要があるだろう。

 

聖者と呼ばれる人の最初の条件があるとするなら、

私はまずは、自己の感情のコントロールが客観的に出来る人という項目を挙げたいと思う。

 

口に泡を吹いて感情的な説教をするヒトラーような人の中に、当たり前であるが

心の平安は見出す事は出来ないし、

やはり、ダライラマ14世のように、政治的な厳しい質問に対しても

微笑みをもって、理性的に答える事をされる姿に宗教による真の人格の完成を見るのは

自然な事だと私は思う。

 

何年か前、ダライ・ラマ14世の講演を両国国技館に聴きに行った。

その時のお話で印象的だったのは、

『よく、私がサイキック・パワーのようなものを持っているような勘違いをしている方がいるが

 私はただの年老いた僧侶にすぎない。

現に、この間は肝臓を悪くして、医者に肉をもっと食べなさいと言われ、

今は肉を食べている。』

と気さくに話されていた。

非常にに離れた席からお話を聴いていたのだが、それでもその笑顔は

国技館全体を包むような感じがするほど暖かなものであった。

 

尋常ではない身の上を生きてこられ、歳を重ねても

子供のような純真さと、深い叡智を併せ持った人格への到達という

チベット仏教の真髄の体現をご自身で示されていた。

 

日本に来られるといつもお気に入りのミルクティーを

コンビニに買われるようで

満面の笑みでレジ前に立っている姿がネットにアップされたりしているが

その茶目っ気たっぷりな様子は人間的な魅力に満ち溢れている。

 

亡命チベット政権からの政治的な引退をされ

僧侶としての平和的な活動に専念するという英断をされた。

 

苦難に満ちた人生を歩みながらも

深い信仰によって磨かれた人間の素晴らしさをダライ・ラマ14世は

今も人類に示し続けてくれている。

 

 

現代では、自分で意図して会いに行こうとしない限り

普段身の回りで出会う人の話を聞いただけで

自身の人格に影響を及ぼすような人に出会う事は中々ないという事も、

宗教を『触らぬ神に祟りなし』のままにしている一因だと思う。

 

だが、宗教の真髄に触れ、それを体現している人と世界的に評価の

定まった人に出会う機会は、求めればないわけではない。

マザーテレサも1997年まで存命だった。

私は残念ながら、深い動機を持ってその信仰心に触れたのは

マザーの亡くなった後であったから、

残念ながらその姿を直接拝見した事がない。

でも、マザーが生きていた同じ世界を生きていた事実は動かない。

 

マザーの祈りには

どこにでもいる市井の人々と同じ苦悩が有り

その苦悩と真正面から向き合う純粋さが

言葉の端々に溢れている。

 

そのような人がこの玉石混交の世界にいつの世も実在し、

現在も実在しているのは事実だ。

 

確かに矛盾だらけで不平等な世界ではあるが、

有名、無名に関わらず、

現実を乗り越え、素晴らしい精神の深みを獲得した先人がいる事を

若い人たちは信じ、日本だけではなく、

広い世界に出て現実の中で探し出会って欲しい。

 

今日もアメリカの学校での乱射事件があった。

犯人がどのような生い立ちかはわからないが

人間を信じる事が出来ずに育ち

自己と他者、自己と世界を分離して考える事が出来ない思考が

招いた結果であった事は間違いないだろう。

 

多くのテロ行為の殺傷事件は

いわゆる、『神が命じた』などという言葉を鵜呑みにする事を含め

客観的考察とは正反対の自己中心的な思考の結果によるものだ。

 

 若者はその経験の少なさから、インターネットにある情報を鵜呑みにしやすい。

改めて書いておくがインターネットの世界は圧倒的な負の感情のはけ口だ。

それは、現実の世界で行き場を失った感情のゴミ捨て場になっていると言っても過言ではない。

そして、そうした負の感情エネルギーは例えインターネットに触れた人の精神が健康であっても

それを侵食して病的にするだけの力を常に持っている。

 

それ故に、インターネットの広い範囲での使用は買い物や情報のやり取りや

気分転換やモチベーションアップの為のゲームなどに限り、

snsも深い感情的なやり取りは、はじめからしないと決めておくのが、より安全な接し方だ。

所詮芸能人などがsnsを使うのは商売とリンクしているのであって、

一般の人がsnsにのめり込んで大多数の人が

精神的に不幸になる事は統計によって現在では証明されている。

snsはよほどのスルースキルとか、合理性を獲得した精神を持つ人以外は

時間をかける程、精神を蝕む可能性が圧倒的に高いとここで言っておこうと思う。

 

当然、このブログはsnsではなく

私からの一方的な情報の発信のツールとして使わせて頂いている。

以前はコメントの書き込み許可していたが、幾度かのやり取りの末

ブログを継続してゆくモチベーションの為にコメント不可とした。

そして、コメント削除を告知してから随分と長くコメントを残していたが

この度のブログの方向性の転換に伴い過去のコメントを閲覧不可とした。

過去の感情的なコメントを新しく来られた方が読んでも、

発展的な未来に邪魔になるだけだと判断したので。

 

インターネットに有る情報は私のブログを含め、

あくまで、もっと深い情報に行き着く為のタグのようなものだ。

 

そして多くのタグは玉石混合で偽物やどうでも良いものが大半だろう

それ故、自分の好奇心を満たしながらも、より深くその事の真実を知りたいなら

現実の世界に分け入って、名著と呼ばれる本を読んだり、

優れた人物と評判の人に直接会いに行って

自分自身で確かめて見極めて欲しい。

 

名著は歴史という一番厳しい評価を生き残った過去の偉人の思考を知る唯一の機会だ。

そして、どんな方面にせよ、優れた業績を上げた人に直接触れる事は

人間の可能性を信じさせてくれ、勇気や励みを与えてくれる。

 

自信というものは、流した汗の量に比例するというのは

それほど外れていない。

経験の少ない時は、本などの知識が羅針盤になり

現実で汗を流して経験する事で、はじめて身につくものだ。

人生はそのような事の繰り返しなのだから

それなら、最上と思える情報と最上と思える人を探して

会いに行きなさい。 

この世界は見えない部分を含め、人知が及ぶ事ができないほど広いのです。

 

日々目に見える範囲と、テレビやインターネットで知っている世界のみで

自己の人生やこの世界を判断しないように。

深い愛情のやり取りや、人生の深淵を知るのに必要なのは、

お互いの目を見て話し、温もりを感じる交流であり

ディスプレイの写真や文字を追う事では決して得ることは出来ないのだから。

 

 

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マザー・テレサの祈り
 
ドン・ボスコ社

 

ゆるす言葉 (Dalai Lama’s word collection)

ダライ・ラマ14世
イースト・プレス

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