今回はデンパ野郎の本分みたいな斜め上のさらに上の垂直方向の
死にまつわる問答なので読まれる方はご承知おき下さい。
前回みたいなノリのをご所望の方はスルーでお願いします。
ピエタとは
Pietà イタリア語 哀れみ・慈悲などの意
聖母子像のうち、
死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア(聖母マリア)の彫刻や絵の事を指す。
沢山の芸術家がピエタを製作しており、中でもミケランジェロが1499年に完成させた
現在のバチカンのサンピエトロ大聖堂にあるものが有名で
ミケランジェロが生涯唯一署名を入れたという逸話のある作品。 by wiki
人生において悲嘆は死と繋がっている。
そしてその中でも究極の悲嘆とも思えるものは最愛の人の死だろう。
特に人の親になった者にとって
最も耐え難い悪夢は愛する子供の死に遭遇することだろう。
私は十代の時に受験仲間に自殺された。
公立のセンター試験が終わり私立の受験が本番になる直前の一月末の朝
彼が死んだ事を聞かされて葬式に行った。
焼香を済ませ振り向いて顔を上げると
彼のお父さんと目が合った。
「人はこんなにも悲しい顔をするんだな。」
それまでの人生無数の顔を見てきたはずだった。
しかし、その時見た彼のお父さんの悲嘆に満ちた顔は
長い間忘れる事ができなかった。
死は、否応なく人を人生や運命という命題と対峙させる。
ましてそれが最愛の人や子供であった場合
その生と死の共振から来る感情の大きな渦から逃れる事は出来ない。
ミケランジェロのピエタは
母親が子を看取るという、有限の命の人間が受ける最も悲嘆に満ちた瞬間を切り取りながら
聖母マリアを若く彫る事で
母性の中心にある慈愛の神聖、純潔の永遠性を表しているように私は思う。
人が生命を知るとはどういうことなのだろう。
私の場合それは死の真実とは何かという事を知ろうとする事から始まったような気がする。
子供の頃夏休みに家族で万博を観に行って返ってきたら
よくかわいがってくれた親戚のお姉さんが亡くなっていた。
元々病弱な人だったが、出産の負担に耐えらず母子共に亡くなった。
斎場で骨を拾ったのはその時が初めてだった。
係りの人が骨を説明をし、
「これがお子さんの骨です」と言って箸で小さな骨を指し示すと
部屋中に嗚咽の声の連鎖が響いた。
私はまだ死というものがよくわからなかった。
それ故にとりたてて悲しみも湧かず、
その極めて不幸な出来事の一部始終をぼんやりと眺めていた。
「人は死ぬと焼かれていなくなってしまうのだな。」
その程度の思いが浮かんできた程度であった。
また私の通っていた田舎の小学校はマンモス校であったので
夏休み中に子供が交通事故や山や海の事故に巻き込まれ亡くなる事はごく普通の事だった。
二学期の始業式の最初が黙祷ではじまるような事は恒例行事のようであった。
知らない子が事故で亡くなっても
たいては死んだ子が運が悪かったとか、のろまであったのだろうと思い
同情したりする事はあまりなかった。
そして、朝礼で聞いた情報を元に死んだ子のクラスに行き
花の飾ってある机を見て
「死んだらあんな風にお花を飾ってもらえるのか」と
少し羨ましく思ったりした。
中一の時祖父が死んだ。
祖父は亡くなる三年ほど前から寝たきりで今でいう認知症であった。
聡明でなおかつ手堅い人柄だった祖父は、
大正時代二十代で潰れる直前であった家業を建て直し
身代を守り戦中戦後の混乱から今に至るまでの基礎を作った人だった。
そんな祖父も病に倒れた後は別人のようになってしまっていた。
危篤だからと登校前だった私は本家に呼ばれ
祖父の臨終に立ち会った。
部屋に行くと、医者と伯父と父がいた。
「よく持っただいねぇー」と掛かりつけの医者が言った。
その時は
「何がよく持っただ。」と怒りがこみ上げてきた。
特に祖父に可愛がられたわけではなく、むしろ会話した記憶の無いほど
祖父とは交流がなかったが、
その時の医者の言葉が不謹慎に思えたのだった。
そして十代最後の他者の死が冒頭に書いた受験仲間の死であった。
彼の死は私の人生に大きな影響を与えた。
こうして順を追って振り返ってみると、死に対する私の悲しみは
後天的な刷り込みであるようにも捉える事ができる。
もし文化や風習として、死全体の認識を哀しみや悲嘆ととらえず
魂の開放という視点に重点を置いた文化や文明の中で
コミュニティー全体の人々が育ったとしたら
身近な人の死に直面しても、ごく自然に死を受け入れる事ができ
いたずらに悲嘆にくれる事ばかりではないのではと思う。
死は
その与えられた時間や死に方に違いがあるだけで
命あるものの当たり前の終着点として全ての人間に平等に与えられている。
それは言葉を変えれば法則と言っても不都合のない
現象だけを客観的に眺めれば万物の生物たちの命の巡りと同じで
感情の入る余地のないものだ。
今も世界は感情の嵐を起因とする、紛争やテロで溢れている。
人間の現状は万物の霊長と言うにはふさわしくない程
自分たちが作り出した宗教やイデオロギーなどの概念や思考の産物を
なんら科学的、客観的な精査もしないで
あやふやな感情をよりどころにして人間同士で批難し殺し合いを続けている。
私たち人間は大人になるまでは
親を筆頭に先人たちの思考や概念の刷り込みから逃れる事ができない。
しかし大人になる前の思春期での反抗期や成人し社会に出た後でも
かならず先人たちの価値感との相違にぶつかる瞬間がある。
だがその刷り込みを解くチャンスと呼べる若い時点での判断の基準の多くは
ホルモンや本能に支配された感情と呼ばれる不安定なものである事がほとんどだ。
多くの人は自我の感情こそがアイディンティーの中心だと認識しているだろう。
しかし感情という移り変わりが激しく、
身体の体調や普段の回りの環境によっても大きく変化してしまうものを
自己のアイディンティーの中心だと誤認する事は、
人間同士の衝突を生む確率をいたずらに増やすだけだという事を
過去5000年の人類の歴史が証明している。
この21世紀をはじまりとする人間の物質文明から精神文明への転換は
多くの人が自己のアイディンティーの中心にある感情に支配された自我を
その玉座から降ろす事から始まると私は思っている。
最初のきっかけは人類の悲嘆の根源であった
肉体的な「死」という現象の隠されていた部分のベールが取り除かれて
肉体の死後の自我意識との具体的な交流が
霊媒のような特別な人たちだけでなく
普通の人々まで徐々に広がってゆくことで始まると感じている。
そしてその事は
人類にとって生命という存在の認識を次元を超えたもっと大きなスパンのものだという
理解する出発点となってゆく。
人類にとって肉体的な死が永遠の別れを意味しなくなる時、
物質文明の象徴であった肉体の死という悲嘆と
その救済として必要であったピエタと呼ばれる哀れみと慈悲は
消え去ってゆく運命にある。
我々がこれからの五千年という単位で築いていく精神文明の出発点は
肉体的な死が 生命と自我の終わりではないという事を
客観的な事実として人類全体が受け取ることから始まってゆく。
そして我々人間が物質文明の時に救済の象徴とされたピエタを超えてゆく方向は
インターネットやsnsで感情の衝突を招いている横のベクトルによるものではなく
客観的法則のベクトルである縦(ヴァーチカル垂直)の方向にある。
意識を 縦の方向にプラズマ化するとき、意識に付随する感情の渦がほどかれ
自我を縛っていたそれを手放しやすくなってゆく。
エネルギー転換は人類全体の意識が縦(ヴァーチカル垂直)方向に向かうように転換した。
後は我々一人一人が自我を縛り、争いの苗床となっている感情の渦を
手放すほんの少しの勇気があれば
この世界からテロや紛争の種は育たず必ず消えてゆく。
私たち人類はそういう真の平和を実現するために
生命というものの認識を次元をこえた先にまでのばす時代に
すでに入っているのです。
これから千年、二千年と進んでゆく精神文明の
本当の最初の一歩の時代に我々は今生きている。