日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

天才 と 『シュレディンガーのパンツ』  と 『アヴェ・ヴェルム・コルプス』

2016年03月13日 | 音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ

暇な人向けのオタク的非生産的デンパ話です。

頭を柔らかく(アホに)したくて時間が有り余っている方はお付き合いください。

 

「シュレディンガーのパンツ」とは

量子論の育ての親ニールス・ボーアが提唱した「コペンハーゲン解釈」の拡張主張である

フォン・ノイマン=ウィグナー理論を

批判する為に物理学者のエルヴィン・シュレディンガーが

提唱した有名な思考実験「シュレディンガーの猫」のパロディで


見えないスカートの中を妄想し

その小宇宙の中が観測(スカートめくりやのぞきなどで)され確定されるまでは

無数の可能性(ノーパンを含め)のそれぞれのパンツが重なって存在しているという

アニメ上のお約束パンチラを使った妄想嗜好実験である

 

健全な女子や常識的な大人には

「馬鹿じゃないの!」  とか  「きも~い」 という生理的嫌悪の反応を招く

キモオタという侮蔑の呼び名にふさわしい、明るい安村的妄想プレイの1つ。

 

今期放送された京都アニメーションの『無彩限のファントムワールド』の七話の冒頭で

その「シュレディンガーの猫」と「シュレディンガーのパンツ」の解説がされていたが

中二病的サブカルチャーであるアニメはこの手の話が大好物なので

手を変え品を変え昔からよくネタにされる。

 

量子論は

今世紀  自我の意識構造の科学的な解明が、宗教やイデオロギーの呪縛からの開放を加速させる。

の記事にも書いたが、

19世紀最後の12月に産声を上げ20世紀のテクノロジーの爆発的な進化の土台になった。

それは光が波の性質と粒子の性質を同時に併せ持つという観測結果が

従来の古典物理学で説明できなかった為に生み出されたミクロ世界の理論だ。

 

量子論を覆す為に

世界中の研究者がその時代の出来る限り精度の高い装置で実験を試みたが

結局波動方程式の導き出す数値と多くの観測結果が一致した為

波動方程式の正しさをより証明する結果になってしまった。

それは事実は小説より奇なりを地で行くみたいな話だ。

 

量子論のフォン・ノイマン=ウィグナー理論のぶっ飛んでいるところは

ミクロの世界では物質は観測されるまでは、不確定なモヤモヤした状態のままで

観測者が意識を向けた時に「波束の収縮」がおき現象が固定化するという

およそ常識では納得できないような理論だという事だ

 

『無彩限のファントムワールド」の7話で

ファントムのルルが「シュレンディガーのパンツ」の軽い説明をして

主人公に「おまえはノイマン先生かよ」と言われていたが

そのノイマン先生こそフォン・ノイマン=ウィグナー理論の

ジョン・フォン・ノイマン博士で

量子力学の基礎理論であるシュレディンガー波動方程式を徹底的に計算しつくして

物質はあくまでもあいまいな可能性の中にあって

特定の位置とか状態を確定するような答えを導き出せないという事を

証明した数学者だ。

 

ノイマン博士はこんな現象は今までの物理学の概念範疇のルールでは

説明(数学的に)出来ないのだから

『抽象的自我』という今までの物理学にない概念を創り

観測者の意識が「波束の収縮」を決定づけ物質の状態を決めると主張して

天才科学者で有名だったにもかかわらず

当時から多くの学者から

「そんなの従来の物理学のルールからあまりにも逸脱してるじゃないですか」と猛反発をくらい

今でも『射影仮説』と呼ばれるそれは多くの学者がスルーしようとするらしい。

平たく言えば既成概念から外れたがらない常識的科学者に

ずっとトンデモ扱いされているという事らしい。

 

また波動方程式の産みの親で結果的に量子論の基礎を作った本人のシュレディンガー博士は

その常識的科学者で量子理論の非常識さそのものに嫌気がさして、

ノイマン博士たちの考え方に疑義を唱えその例として

「シュレディンガーの猫」という思考実験を提示した。

 

「箱の中に生きた猫 放射性同位体、

そしてその同位体のアルファ崩壊を観測する装置、

同位体のアルファ崩壊が起きると毒ガスを発生する装置を入れるフタをする。

箱の中の猫の生死は

放射性同位体のアルファ崩壊の量子的(波動方程式によって記述される)

ランダムな動きによってのみ決定すると仮定する。

一定の時間経過した後、猫は生きているか死んでいるかどちらでしょう。」というもの。

 

ノイマン博士たちの考え方が正しいとするなら

同位体がアルファ崩壊しているかしていないかが決定され波束の収縮が起きるのは

箱を開けた時でなければならず

それまでは死んでいる猫と、生きている猫が重ね合わせて同時に箱の中に存在する事になる。

そんな生死を重ね合わせるのは現実の現象を説明するのには非常識だし説得力ないよね。」

とシュレディンガー博士は主張したわけです。

 

だからと言ってノイマン博士の証明した

波動方程式による物質はあいまい可能性の中にあって状態を特定できない

という数学的証明が崩された訳でもミクロ観測実験で否定された訳ではないのですから

シュレディンガーの猫が誕生した1935年から81年もの間

猫は箱の中で重ねあわせの半死半生の状態で未解決の論争を眺めている事になります。

 

そろそろ「パンツはどうしたんだ」という声が聞こえてきそうですが

ようはこの「シュレディンガーの猫」といい、観測者による波束の収縮の「射影仮説」といい

人類の最高峰の頭脳によって到達した科学的学説が

無味乾燥ではなく、神秘に満ち

好奇心や妄想を限りなく掻き立ててくれる上

今だ未解決である事がとても素敵だという事です。

 

この観測者によって物質の状態が決定ずけられるという解釈は

スピ系の引き寄せの法則なんかの根拠の一つにされていて、

現在も中二病的トンデモ度を増幅させています。

 

ちなみに八桁の割り算を暗算でき、初期のコンピューターに計算の早さで勝ったとか

中二的な逸話にここ欠かない天才数学者の名にふさわしいノイマン博士は

やはり独特な方であったらしく、下品なジョークや会話でヒンシュクを買ったり

日常的に秘書のスカートを覗くセクハラを繰り返すヘンタイおやじだったようです。

 

第二次大戦の時は原爆開発である「マンハッタン計画」に積極的に携わって

「日本の精神をへし折るには

京都に原爆を落とすべき」と極端な超タカ派の主張をしています。

 

でもその逸話から飛びっきり中二的なキャクターだったと思える博士なら

終戦から70年経ってかつての敵国日本から

「シュレディンガーのパンツ」というジョークが生まれたと知ったら

さぞ大笑いしてくれるだろうなと

思わずクスッとなってしまいます。

 

 

「下品な天才」 と言えば

最初に思い浮かぶのはあのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだと思います。

 

モーツァルトのいたずらや下ネタのエピソードは山のようにあって

とくに、ウ〇コは妻に宛てた手紙はもちろん

普段の会話に何度も登場するほど好きだったらしく、まるでウ〇コが登場すると

祭りになる幼稚園児のようです。

 

『僕のお尻を舐めてよ』なんてタイトルの曲もあるくらいですし

日常的にスカートめくりをしていたようなので

モーツァルトは「シュレディンガーのパンツ」的妄想を実行に移し毎日楽しんでいた

愛すべき下品なお馬鹿さんだったようです。

 

もちろんモーツァルトの音楽の天才性の逸話は数限りなく有ります。

よく語られるのは

彼の残した楽譜には逡巡や迷いを連想させるものがあまりないというのがあります。

また妻と食事と会話を普通にしながら、空中にある見えない楽譜を

手元の紙にものすごいスピードで書き写していったという

漫画みたいな場面を映画「アマデウス」で描いていたように記憶しています。

 

まあそれは極端な比喩的表現でしょうが

モーツァルトの音楽は曲名や作曲者を思い出せなくても

『トルコ行進曲』など多くの曲が誰もがメロディーを覚え安く、時を経ても色褪せていません。

 

私は会社員で中間管理職をしていた頃

袋小路から出られなくなってもがいていた時期がありました。

 

ある時気分転換に散歩をして歩いていると近くの中学から

ミサ曲のような合唱が聞こえてきました。

それは下校用の放送で流されていたのですが

聞き覚えはあるけれど曲名のわからない美しい調べでした。

 

私は立ち止まって目を閉じ

しばらくその調べに身をまかせるよう聞き入りました。

 

曲が終わりゆっくと目をあけると

心が洗われて体が軽くなったような気がしました。

 

youtubeもない時代ですから、メロディーで曲名を調べるのはむつかしく

結局なんという曲かはその時はわかりませんでした。

 

時が経ちスピ系が縁でグレゴリオ聖歌やさまざまな作曲家のアヴェ・マリアを

唄う機会がありました。

その時知り合いの人からアヴェ・ヴェルム・コルプスも加えたらどうかと言われ

どんな曲か知らないというと

「youtubeで調べればいくらでも出てくるし絶対聞いた事があるから。」と言われました。

 

早速帰宅して調べるとそれはモーツァルトの最晩年のミサ曲だと知りました。

そしてyoutubeで探し聞いてみると

それはあの散歩中に聞き私を癒してくれた曲だったのでした。

 

アヴェ・ヴェルム・コルプスはモーツァルトが死ぬ約半年前に作曲されたものです。

その旋律とハーモニーはこの世のものとは思えず

すべての魂を昇華させてくれるように私は感じます。

 

普段は下品で下ネタやおふざけが大好きで、浪費家でギャンブル好きであったモーツァルトは

音楽に関しては天才と呼ぶにふさわしい芸術家であったと

その調べに意図せず救われた私は思います。

 

 

『シュレディンガーのパンツ』をモーツァルトにも話たら

きっとあの映画のように高笑いをして

「私はノーパンに賭ける!」

などと言って喜んでくれるように思います。

 

才能というのは人格や性格とは無関係だという事を二人の天才の人生から感じます。

 

それはまた

我々凡人にも一人一人きっと

役割を果たす為に与えられた才能と呼べるものが有り

その事と人格や性格は無関係に存在していることを示唆しているように思います。

そしてその才能を見つけるこつは

努力を必要としないで成果を上げる事ができる分野という事になるのではと。

 

しかしそれは、その分野が好きでない可能性を多々含むものであるでしょう。

皆がノイマン博士やモーツァルトではないのですから。

その二つが多くの人は重なり合わないからこそ

凡人の人生は複雑で生きにくく

だからこそ生きる価値が有り

醍醐味のあるものになっていると私は思います。

 

天才のノイマン博士やモーツァルトのように

「シュレディンガーのパンツ」を思考実験のままに終わらせず

観測まで実行する勇気は

凡人の私にはなくて良かったという結論と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

*量子論、「シュレディンガーの猫」の説明に関しては

 あくまで簡易的な解釈で厳密で正確な理解を元に記述したものではありません。

 相対性理論にしろ、量子論にしろ、高等数学が完全に理解できる人間でしか

 真の理解は得られないものだと思います。

 私のような根っから文系の人間はその概念の部分を言葉で理解するしか方法がないので、

 数式の凄さ完全性、美しさを理解できないのが残念でなりません。

 その事を了解の上で話を楽しんで頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この記事についてブログを書く
« 『保育園落ちた。日本〇ね!... | トップ | Pietà ピエタ を  超えて »

音楽 映画 小説  サイエンス  アニメ」カテゴリの最新記事