今回もデンパ野郎の本業の神や信仰に対する勝手な考察なので
興味のない方、頭が疲れたくない方はスルーでお願いします。
数年前NHKで『神の数式』という特集番組が放送された。
数学者と物理学者の悪戦苦闘と
宇宙を貫いている法則を数式で表すという困難さと魅力を十分理解できる番組だった。
私のように数学的な素養のない者にとっては憧れの世界の話で
言葉という情報や感情を伝達する記号でしか思考する事ができないのは、
なにより普遍的な客観性を考察し確認する手段がないのに等しい。
言語は主観の伝達と記録がその誕生理由の大いなる部分を占めるていると思え
その性質上誕生した時から客観的な証明のツールには成りにくい。
私がデンパ者と自身を定義し、そのイカガワシサを自戒を込めて繰り返し強調する理由は
宗教や信仰やもっと広義にスピリチュアルな世界というもの全てが
長い歴史を経て聖書やお経のような文献が残っているにせよ
聖書でさえ〇〇〇による福音書と所詮は
人間の個人的な主観によってしかその信憑性を訴える事ができないからだ。
新約聖書ヨハネによるエヴァンゲリオン(福音の意、アニオタとして書いてみたかった)では
究極の主観的な存在そのものである*Godが
*(在りてあるもの。大文字のGのGodは砂漠の三大宗教の創造神の固有名詞)
「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。
言葉は神と共にあった。
万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。」と
その主観的記号である言葉によって万物を創造、物質化したと述べている。
Godの言葉は元々創造神の主観を現象化する為の
ファンタジー世界の呪文と同義のツールであり
客観性とは対極にあるものとして生まれている。
神が一般的に存在の客観的な証明の証として提示しているのは
預言の完全成就や奇蹟と呼ばれる事象を現象化しいる事だが
それでもなお、それは人間の期待に沿った回答であって
客観的な証明と言うのは正確ではないだろう。
何より宗教や信仰によって得られる最大の効用である精神的な安定や
満ち足りた心持というものは他者に正確に説明出来ない主観そのもであるからだ。
「鰯の頭も信心から」という例えどうり本人が満足していて周りに
実害(テロなどの他者に暴力的実害のあるものは真の宗教心とは呼べない)がなければ
信仰はそれで十分成り立ち完結してしまう。
信仰を冷徹な視点で分析すると
宗教にしろスピリチュアルにしろ神やそれに類する主観的存在を
客観的な根拠や証明などなく人間の伝聞を疑わず
自己の主観を判断基準として信じるという非論理的な行為と言う事ができる。
長い間人類は砂漠の三大宗教の影響により
神の主観が科学的論理を封じ込めて来た。
ガリレオの時代では、神の主観に逆らう事は人生や命を天秤にかけるのと同義であったし
西暦の紀元の頃から繰り返されてきた砂漠の三大宗教の文化的社会的洗脳は
現在でさえイスラム諸国やISISの例を見れば明白なように、
神の主観が客観的論理を凌駕している。
砂漠の三大宗教の誕生する以前、
約五千年前にはじまる有史の冒頭に突然登場したシュメールと呼ばれた人々は
唐突に高度な文明を持って現れている。
そこでもたらされたさまざまな知識は時をへてギリシャにおいて
一通りの完成を見るほどまでに発展する。
だが砂漠の三大宗教の広まりは神の主観で長い間人類を縛る事となり
文化的停滞期である中世となった。
やがてバイブルランドではルネッサンスを始まりとする神の主観からの離脱が成功して
客観的な論理による科学が再び発展して現在に至っている。
しかしイスラム圏においては
現在でもなお神の主観から人間が自由に離脱する事が必ずしも出来ていない。
「神とは何か」という問いを中世ならする事さえできなかった。
絶対的な創造主に疑問を投げかける事など禁忌中の禁忌であったから。
ではこの21世紀の現在はどうかと言えば、イスラム諸国はもちろん
資本主義の最先端のアメリカでさえ聖書の創世記でなく進化論を
信じると答えた人が去年ようやく過半数を超えたばかりだ。
それくらいバイブルランドでは
今だそういう神の主観の刷り込みからは完全に脱却できてはいない。
いつになったら人類は
「神とは何か」という根源の命題に主観や感情の入らない、
論理的で明確な回答をする事ができるようになるのだろう。
宇宙の誕生や時空間の発生などの問題は
突き詰めてゆけば人間が『神』と呼んでいるエネルギー(神が人間を創ったと仮定して)の出発点と
現象的な類似性のある宇宙誕生の出発点を
感情の入らない数式によって客観的に示す事が出来る可能性を含んでいる。
現在の最先端の超弦理論によれば、
この世界を時間を含め11次元と捉える事で宇宙をその誕生のメカニズムから説明でき
論理的な矛盾はほぼ除去できている段階だと言われている。
凡人には理解できない複雑な話だが、
数学者や物理学者が数式でその事を証明できてしまうとしたら
この先間違いなく誕生する量子コンピューターなどによって
宇宙の誕生や宇宙の構造、宇宙エネルギーの超ミクロから極大のマクロまで
その全体像は必ず解析されてゆくだろう。
旧時代の「神の主観」の洗脳から離れ
人間個人個人がより自由に神を問い直す事が出来るようになり
客観的かつ論理的認識が世界中に広まった時
感情や主観を超えた精神文明に人類はようやく入ってゆけるように私は思う。
『神を何故信じるのか?』と問われた時、
解明された宇宙の構造のその微塵も破綻のない完璧さであったり、
ミクロからマクロまで淀みなく法則に従って流れるエネルギーを実感できるからだと
答える日が未来に必ずやってくるだろう。
その時の人類は神をそれぞれの主観ではなく
論理をベースにして客観的に現臨するものとして体験できているだろう。
そしてその事実を踏み台にして人類は現時点では想像の及ばない
精神文明に足を踏み入れてゆく可能性があると
夢も希望もある言葉でこのデンパな話の終わりとする。