日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

サクリファイス   (犠牲)

2014年07月29日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

 

この記事もまた、私見を述べているにすぎません。

不快に思える記述があるやもしれません。

タイトルから感じとって

波長があいそうもない方はここでご退出を願います。

 

 

人は人生を選んで生まれてくると、

いわゆるスピリチュアルな世界ではよく言われている。

私自身は運命論者である。

 

人生には大きな波があり、それに逆らってもうまくゆかないし、

そういう時は流れにまかせるしかないと思って生きてきた。

 

この世界には殺される運命というのがあるのだろうか。

もしあるのなら、魂なるものは殺される事を知ったうえで生まれてきた事になる。

命を捧げるという行為は、おそらく人間のなしうる行為の中で

最高に崇高な行いの一つであろう。

それは、そういう価値感に照らせば、たとえ人生の最後が他者に殺されたとしても

生きるにたる輝かしい人生である事は間違いない事であろう。

 

佐世保の被害者の少女は自分が殺されるとは微塵も思っていなかっただろう。

人間の視点からいくら考えても、

善悪の天秤と個々の人間の人生は、釣り合いなど決してとれない。

それは人間の預かり知れぬ神の領域として、諦める事しかできない。

 

神はこの3次元世界で、人間が悪と名づけた行為を止める事はしない。

そして、罰を直接与えるわけでもない。

多くの善良な人間は因果応報を信じようとしているが、それは願望のままであり

3次元の時系列の把握できる範囲では応報がなされていると確認は出来ない。

 

人は現世では人によって裁かれる。が悪事を犯してもなんらかの運命の巡り会わせで

人間の裁きを受けないで人生を全うするものも普通にいる。

何千万人も殺した毛沢東の墓が未だに暴かれず、尊厳が保たれているのは、

権力闘争の無意味なとばっちりで殺された人間たちの無念を思う時

余りに不公平ではないだろうかと

ヨブではないが、神にイヤミな言葉のひとつも掛けたくなるだろう。

 

私がもし殺された少女の親だったら、

事実を人生を狂わせず受け止める事ができるだろうか。

もし私があと20才若かったら、実行するかどうかはさておき間違いなく復讐を考えたと思う。

私はそういうタイプの人間であった。

 

15年前に光市母子殺害事件時が起き、

その後のご主人の取られた真摯な行動に、私は胸が打たれた。

子供がまだそれほど大きくなかった私にとって、その事件は他人毎ではなかった。

ご主人は、あくまでも法の公正な裁きを粘り強く訴え、

妻子の命の尊厳を長い裁判で勝ち取られた。

殺した側の権利ではなく、殺された側の死者の命の尊厳が守られたいう、

画期的な判決であったと私は思う。

 

私が同じように妻子があのような惨い殺され方をされたなら、

犯人の生い立ちがどうあれ、許す事ができないどこころか

魔と手を結んでも、犯人をこの手で息の根を止めることに情熱を傾けただろう。

しかし、犯人に死刑判決が下り、人間によって天秤がつりあう決定が下された。

その事を少なくとも死刑廃止論者のいうように非文明的だとは、私は思わない。

人間が与えられた理性によって、生きている者も、死んでしまった者も

同等の尊厳を願い適えるのは、

神が人間に与えた自由の行使の範囲であると私は思う。

 

人は聖人にも悪魔にもなる自由を与えられてこの世界に生まれている。

被害少女の生まれ出でる時の魂の運命がどうであったかは判らない。

が、残酷な死を迎えた事実だけに囚われて、

彼女の人生全体の尊厳を感傷的に傷つけてはならないと今の私は思う。

彼女の人生には輝かしい意味があり、

その痛ましい死によってもその輝きは失われないと、

被害に会われたご家族も実感される日がいつの日かくる事を

私は願ってやまない。

 

最悪の悲嘆を味わった者のみが、

最高の愛の高みに到達できる可能性を得ると私は信じている。

そしてそれは、「愛と赦し」によってもたらされると。

犠牲になる為に生まれてきた、イエスという2000年前の聖者の言うとおりであるなら、

松尾愛和さんの死はイエスの同じ犠牲(サクリファイス)の意味をもち

彼女の名前の意味どうり「愛による和」がどれほど人間が精神的な高みに

到達出来る可能性があるのかを指し示してくれていると私は思う。

 

しかし、ご家族の現実の悲嘆を思うと

こんな勝手な話をえらそうに今書くのは自分としても迷いました。

それでも少しでも魂の鎮魂になればと思いあえて書かせて頂きました。

もし読まれてご不快な気持ちなられた方がおられましたら

この場にてお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

 

松尾愛和さんの御霊のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

 

 


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