西京極 紫の館

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戦国武将のお宅訪問 55 - 毛利輝元 / 広島城 -

2022年05月24日 18時04分33秒 | お城探訪
サンガ12年ぶりのJ1復帰で、待ちに待った広島遠征。試合の方は…デシタが、試合後ちょっと広島市街へ寄り道して久々のお城巡りに行きました。広島城は、中学校の卒業旅行で友人と一緒に来て以来今回が2度目です。

この広島城。戦国時代の中国の覇者・毛利氏の本拠として文禄元年(あるいは慶長4年とも言われる)に当時の当主であった輝元が築いた平城。なのですが、築城途中で起きた関ケ原の合戦で西軍についた毛利家は敗者となり、勝者・徳川家康の命で長門・萩への転置減封。築城作業は毛利氏の後に入国した福島正則に引き継がれ、正則が近世城郭としての広島城を完成させました。その正則も幕府の許可を得ず石垣修復した咎を受け、領地没収。以後、浅野氏が安芸国・広島城に入り、明治維新を迎える事となります。


これが平成元年から3年かけて復元された二の丸の建物群で城跡の東南角に位置する平櫓。案内板を見ても解かりますが、二の丸自体が本丸を防御する“出丸(馬出)”の形になっているのが特徴。

その二の丸エリアへ入る為の御門橋。それを渡った先には表御門があります。今、広島城内には門はコレしかありませんが、元は十二の門があったそうです。
御門橋の先には表御門
表御門を潜って右手に平櫓や多聞櫓、太鼓櫓などの復元建築物内部を見学出来る出入口があります。ココは無料。
平櫓内は畳敷き
多聞櫓内に展示されていた鯱レプリカ
太鼓櫓は一階部分は見学出来ましたが、二階には上がれず。階段の脇に太鼓だけが置かれていました。


太鼓櫓から二の丸跡を臨む。

二の丸跡には番所跡やら馬場跡やらがありました。
二の丸広場から見た太鼓櫓

二の丸広場から本丸エリアへ渡る。途中には立派なユーカリの樹がありました。このユーカリ、被爆しているらしい。すごい生命力。

本丸内には護国神社があって、ここの狛犬(?なのかそうでないのか?)がちょっと変わってて、頭にツノが生えてます。護国神社を通り過ぎ、イイ感じの公園を抜けると天守が見えてきます。(記事冒頭の写真)

太平洋戦争まで現存していた旧広島城天守は国宝に指定されていましたが、言うまでもなく広島に原爆投下された際、天守は石垣を残して跡形もなく吹っ飛んでいます。(あ~戦争はイヤだ、イヤだ!)現在の天守は旧天守の意匠を忠実に再現はしていますが鉄筋コンクリート製。五層望楼型の外観はどことなく大坂城に似ていて僕好み。漆喰部分より板張り部分の方が多く、大坂城に比べるとシブいが、ソレもイイ。

天守内部は甲冑や書画・刀槍など工芸品、さらに広島城の歴史を解説する資料などが展示されていました。基本的には全館撮影禁止でしたが、唯一撮影可だったのが上のゆるキャラ“しろうニャ”の展示スペース。なんでネコなのかは不明。天守に入るのは有料で大人370円。65才以上のシニアと高校生は180円で中学生以下は無料。

天守の最上階から南西方向を臨む。マンションの先に立ち並ぶタワークレーン群がありますが、ココは広島カープの昔の本拠地・広島市民球場跡で、今建築しているのは2024年春完成予定の新サッカー専用スタジアム。完成した暁には是非遠征したい!っていうか、その時までJ1に残留し続けねば!!


城見学を一通り終えて帰る途中にあったのは、所得倍増計画をブチ上げた地元広島出身の政治家・池田勇人の銅像。同じ広島出身の総理大臣としてキッシーもココに銅像建てて欲しいのかにゃ?減税してくれたら建ててもらえるかもしれにゃいにょww

復元された多聞櫓と太鼓櫓を堀の外から臨む


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