サンガのアウェイ遠征琉球戦の翌日、沖縄のお城(グスク)跡を見学に行きました。
沖縄へは以前仕事で訪れたことはありますが観光する時間的余裕はなかったので、お城を見学するのは初めて。宿泊していたホテルからタクシーで20分ほどで付設の駐車場へ到着。この中城(なかぐすく)城は屋宜(やぎ)港から2kmほど離れた標高160mの丘陵にある。タクシーがこの丘陵を登って行く途中で運転手さんが「あそこに見えるのが中城城ですよ」と示したところに巨大な石垣が見えました。「こりゃすごい!」というのが僕の正直な感想。本土のお城とはスケールというか迫力が違う。
城というより“要塞”。
タクシーを降りると、入場料400円を支払い無料の専用カート(上記写真)に乗って城の正門前まで送ってもらう。標高160mというと大した高さではなさそうに思われるかもしれませんが、実際登ってみると四方を展望出来て山の頂上に来たって感じます。
正門前
カートを降り、徒歩で岩がゴロゴロしている道を進むと、右手に順路を示す看板があります。鍛冶屋跡(カンジャーガマ)です。
カンジャーガマの前の広場
広場から太平洋を望む
カンジャーガマは中城城を築いた按司・護佐丸盛春(ごさまる もりはる)が武具を製造する釜があった場所と言われています。デカい竈の様な石組みが残されています。
カンジャーガマ
カンジャーガマから左に行くと階段があり、そこが正門。
中城城正門
左右に聳える石の壁の先へ来訪者を誘います。その先のエリアが西の廓(くるわ)。
西の廓
中城城は14世紀後半頃に築かれたといわれていますから、本土の城より200年ほど古いという事になります。それなのに、こんなにしっかりと石垣が遺っているなんて本当に凄い。感動です。
南の廓にあった雨乞いの御嶽(うたき)
南の廓からアーチ型の石門をくぐり、正殿(本土の城の本丸にあたる場所)のある一の廓へ。
一の廓に続く石の門
現在一の廓の石垣は分解され組み直しの作業中で、石のひとつひとつにナンバリングされ整然と並べられていました。世界遺産の改修作業って大変ですね。
改修作業中の一の廓
一の廓から見た絶景
一の廓 正殿跡
当然、建物としての正殿は残っていません。沖縄の城跡はすべて太平洋戦争の際、空襲で焼失しています。それでもこれだけ立派な石垣が遺っているという奇跡。もう二度と戦争はゴメンだ。この城跡を見て、心からそう思いました。
またアーチ型の石門をくぐると、次のエリアは二の廓です。
二の廓へ続く石門
二の廓
二の廓も広い草原になっていてその一画には戦没者を慰霊する石碑が立っていました。南無…
二の廓から順路に沿って左に行くと北の廓。そこにはウフガーと呼ばれる井戸があります。
写真左:北の廓 写真右:大井戸(ウフガー)
ウフガーに続く石段を下りていくとそこにはまだ水が溜まっていました。どことなく神秘的な雰囲気もあり、怖くて写真を撮れませんでした。何か霊的なモノが写ってたりしたら怖いじゃないですか!(^^;)ソレくらい神聖な感じがしたってコトです。ハイ。
その北の廓を抜けると広大な芝生の広場が広がるエリアに出ます。ここが中城城の最後のビューポイントである裏門です。冒頭の写真もここから見た三の廓の石垣です。その壮大さ、勇壮さと、緩やかで優美なカーブを描く沖縄の城(グスク)独特の石垣は圧巻。
裏門側から見た三の廓の新城(ミーグスク)
同じく三の廓の新城
この三の廓の新城(ミーグスク)は最も進んだ石積み技法である“あいかた積み(亀甲乱れ積み)”で築かれているのだそう。このカーブ…表現力がすごい。すご過ぎる!
中城城の城主・護佐丸盛春は琉球王国の忠臣で、その中心であった首里城を守る為にこの城を築いたと言われています。つまり中城城と首里城は一心同体、セットのようなものなのです。なのでこの後は当然首里城を見学します。(首里城の見学レポートはまた明日以降に!)
中城城跡を堪能した後、歩いて数分の所にある国指定重要文化財の中村家住宅も見学してきました。
ここは約280年前の沖縄住居建築の特色をすべて備えた建物で、沖縄本島でこれだけ当時のまま残っているのは極めて珍しく、貴重なのだそう。
中村家住宅 母屋
見学するには中城城跡より高い500円が必要ですが、見学し終わった後、冷たいお茶と黒糖ゼリーのサービスがありました。美味しゅうございました。最後の締め写真は中村家住宅母屋の屋根に鎮座していた守り神シーサーです♪
沖縄へは以前仕事で訪れたことはありますが観光する時間的余裕はなかったので、お城を見学するのは初めて。宿泊していたホテルからタクシーで20分ほどで付設の駐車場へ到着。この中城(なかぐすく)城は屋宜(やぎ)港から2kmほど離れた標高160mの丘陵にある。タクシーがこの丘陵を登って行く途中で運転手さんが「あそこに見えるのが中城城ですよ」と示したところに巨大な石垣が見えました。「こりゃすごい!」というのが僕の正直な感想。本土のお城とはスケールというか迫力が違う。
城というより“要塞”。
タクシーを降りると、入場料400円を支払い無料の専用カート(上記写真)に乗って城の正門前まで送ってもらう。標高160mというと大した高さではなさそうに思われるかもしれませんが、実際登ってみると四方を展望出来て山の頂上に来たって感じます。
正門前
カートを降り、徒歩で岩がゴロゴロしている道を進むと、右手に順路を示す看板があります。鍛冶屋跡(カンジャーガマ)です。
カンジャーガマの前の広場
広場から太平洋を望む
カンジャーガマは中城城を築いた按司・護佐丸盛春(ごさまる もりはる)が武具を製造する釜があった場所と言われています。デカい竈の様な石組みが残されています。
カンジャーガマ
カンジャーガマから左に行くと階段があり、そこが正門。
中城城正門
左右に聳える石の壁の先へ来訪者を誘います。その先のエリアが西の廓(くるわ)。
西の廓
中城城は14世紀後半頃に築かれたといわれていますから、本土の城より200年ほど古いという事になります。それなのに、こんなにしっかりと石垣が遺っているなんて本当に凄い。感動です。
南の廓にあった雨乞いの御嶽(うたき)
南の廓からアーチ型の石門をくぐり、正殿(本土の城の本丸にあたる場所)のある一の廓へ。
一の廓に続く石の門
現在一の廓の石垣は分解され組み直しの作業中で、石のひとつひとつにナンバリングされ整然と並べられていました。世界遺産の改修作業って大変ですね。
改修作業中の一の廓
一の廓から見た絶景
一の廓 正殿跡
当然、建物としての正殿は残っていません。沖縄の城跡はすべて太平洋戦争の際、空襲で焼失しています。それでもこれだけ立派な石垣が遺っているという奇跡。もう二度と戦争はゴメンだ。この城跡を見て、心からそう思いました。
またアーチ型の石門をくぐると、次のエリアは二の廓です。
二の廓へ続く石門
二の廓
二の廓も広い草原になっていてその一画には戦没者を慰霊する石碑が立っていました。南無…
二の廓から順路に沿って左に行くと北の廓。そこにはウフガーと呼ばれる井戸があります。
写真左:北の廓 写真右:大井戸(ウフガー)
ウフガーに続く石段を下りていくとそこにはまだ水が溜まっていました。どことなく神秘的な雰囲気もあり、怖くて写真を撮れませんでした。何か霊的なモノが写ってたりしたら怖いじゃないですか!(^^;)ソレくらい神聖な感じがしたってコトです。ハイ。
その北の廓を抜けると広大な芝生の広場が広がるエリアに出ます。ここが中城城の最後のビューポイントである裏門です。冒頭の写真もここから見た三の廓の石垣です。その壮大さ、勇壮さと、緩やかで優美なカーブを描く沖縄の城(グスク)独特の石垣は圧巻。
裏門側から見た三の廓の新城(ミーグスク)
同じく三の廓の新城
この三の廓の新城(ミーグスク)は最も進んだ石積み技法である“あいかた積み(亀甲乱れ積み)”で築かれているのだそう。このカーブ…表現力がすごい。すご過ぎる!
中城城の城主・護佐丸盛春は琉球王国の忠臣で、その中心であった首里城を守る為にこの城を築いたと言われています。つまり中城城と首里城は一心同体、セットのようなものなのです。なのでこの後は当然首里城を見学します。(首里城の見学レポートはまた明日以降に!)
中城城跡を堪能した後、歩いて数分の所にある国指定重要文化財の中村家住宅も見学してきました。
ここは約280年前の沖縄住居建築の特色をすべて備えた建物で、沖縄本島でこれだけ当時のまま残っているのは極めて珍しく、貴重なのだそう。
中村家住宅 母屋
見学するには中城城跡より高い500円が必要ですが、見学し終わった後、冷たいお茶と黒糖ゼリーのサービスがありました。美味しゅうございました。最後の締め写真は中村家住宅母屋の屋根に鎮座していた守り神シーサーです♪
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