西京極 紫の館

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戦国武将のお宅訪問 54 - 佐竹義宣 / 久保田城 -

2021年04月01日 20時33分26秒 | お城探訪
昨年J2昇格を果たしたブラウブリッツ秋田と対戦するサンガの応援の為、800km超の距離を大遠征。そのついで、と言っては何ですが、秋田のホーム・ソユースタジアムからほど近くにある久保田城を見学しました。地図だけで見ると歩いてすぐという印象だったのですが、実際スタジアムの駐車場からお城のある千秋公園までは歩くと結構遠かった…(苦笑)

久保田城は佐竹氏が慶長9(1604)年に築いた城です。この秋田藩の初代藩主となった佐竹義宣は、関ケ原の合戦に際し敗れた西軍側に味方したせいで常陸水戸54万石を徳川家康に召し上げられ、戦後この出羽秋田20万石へ大減封された誠にツイてないお殿様(奇しくも佐竹の旧領だった常陸水戸が今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の舞台)。お金が足りないのか?それとも徳川への遠慮からか?この城には築城当初から天守はありません。代わりに本丸を囲むように8つの隅櫓が築かれていたようです。今はその内の1つ北西部の御隅櫓が復元されています。またこの城には石垣がないというのが大きな特徴です。

まず千秋公園南西部にある池。綺麗に整備されてはいますが、ここから二の丸へ通じる道は工事中で通行不可。やむを得ず池を迂回する細い階段を上って鐘楼台まで移動します。この階段、結構傾斜があってキツい。ちょっと息上がる。
鐘楼
上った先にあるこの鐘楼。鐘自体は太平洋戦争で供出され、今架かっているのは戦後新たに鋳造されたもの。楼台もコンクリ製なので特に趣がある訳ではありません。ちょっと残念。

ここからも先ほど上って来たのと同じ細い階段で城山の頂上へ行けるのですが、折角なので城山の北側へ回り込んでみます。
案内板
途中に案内板があったけど、日に焼けて色が薄くなっちゃってて読み難い!新しくしてっ!とかなんとか言ってる内に掻き上げた土塁の上に復元された御隅櫓が見えてきます。






さて、櫓の所まで上ってみましょう。
御隅櫓北面
この復元された御隅櫓、もちろんこれもコンクリ製ではありますが、望楼まであって小さな天守と言っても良いくらい立派な造りです。この辺は名門・佐竹の意地…なのでしょうか?
御隅櫓東面
御隅櫓の内部は歴史資料が展示されていて観覧可能(観覧料100円)なのですが、この3月末まで休館していて入れませんでした。ものすご~く残念!!ですが千秋公園で最も高所にあるこの御隅櫓から見下ろした庭園は中々見事でした。池と同様、かなりしっかりと整備されています。

この庭園は本丸跡で、そこには幕末秋田藩最後の12代藩主・佐竹義堯(よしたか)公の銅像が建っています。
本丸跡

幕末戊辰戦争の時、佐竹藩は薩長側に味方したので、旧幕府に味方する周辺の奥羽諸藩連合軍に攻め立てられています。ですがこの維新戦に薩長方が勝利した事により、義堯は初代秋田県知事の地位を得ます。関ケ原でご先祖様が受けた徳川への恨みを晴らしたと言えるでしょう。しかしこの銅像も前述した鐘と同様、太平洋戦争で供出されたそうで、今の銅像は戦後再建したものです。戦争はイヤですね~。ここには八幡秋田神社が祀られているのですが、「どうかサンガに勝ち点3を!」とお願いしたにもかかわらず、その結果はムニャムニャムニャ…

この本丸跡から二の丸跡へつながる所にあるのが久保田城の表門。こちらも戦後に復元したものです。
久保田城表門
この門もかなり立派な門で佐竹家の家紋である“日の丸扇”があしらわれています。この門を下ると二の丸広場になりますが、その手前に久保田城内で唯一残っている藩政時代の建築物・御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)があります。今で言うところの“守衛所”でしょうか。
御物頭御番所
残念ながらこの日は戸が閉め切られていて内部を見る事は出来ませんでした。ですが、ここまで見て回っての個人的な感想は、天守も石垣もないけれど土塁は高く、道は複雑。見た目よりも攻め難い城だなという印象を受けました。

そして最後に二の丸跡。この広場の周囲には数多くのソメイヨシノが植わっていました。僕らが訪れた3月末では秋田の桜はまったく咲いていませんでしたが、あと半月もして満開になったらさぞや美しい光景になるだろうな…そんな事を思いました。


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