先週、京都サンガF.C.の新スタジアムが亀岡駅北口に完成、その見学に行ったついでに丹波亀山城址も見学してきました。
亀山城は天正5 年(1577)、明智光秀が丹波攻略の拠点とするために築いた城。保津川とその流域の湿地帯を北の天然の堀とした丘陵(荒塚山)に築かれたが、そのわずか5 年後に光秀が主君・織田信長を討つ「本能寺の変」が起こった。その後、光秀が天王山の戦いに敗れ討ち死に。その後は秀吉の甥である羽柴秀勝に譲られ、小早川秀秋や前田玄以らの手を経て、徳川政権下の岡部長盛が治め、形原松平氏の時に維新を迎えた。維新を迎えた時には藤堂高虎が築いた五層天守があったようだが、御多分に漏れず廃城令が発布された時に完全に破却された。あ~もったいない。
なぜ「亀岡」なのに「亀山城」なの?と思っていたが、徳川期に伊勢の亀山城と区別する為にこちらを「亀岡城」と呼ばせたらしい。叛臣・光秀の城だからお前の方が名前変えろって事だろうが、考えてみれば酷い話。現在は呼称を「亀山城」に戻されてるけど、地名自体は「亀岡」のままなんだね。
そのJR亀岡駅南口を出て、バスターミナルをそのまま南進すると東西に長い池がある南郷公園に行き着く。その入口には亀山城の鯱のレプリカと明智光秀の銅像がお出迎えしてくれる。
南郷公園入口に立つ明智光秀像
大河ドラマ『麒麟がくる』で光秀を演じる長谷川博己とはかな~りイメージの違う大人しい印象の光秀像である。こっちの方が実像に近いんだろうな。
その南郷池。水鳥があちこちで羽を休めていたり、近所の人が釣り糸をたらしていたりと、長閑な雰囲気。この池がひょっとしたら亀山城の内堀なのかもしれません。
南郷池
南郷池に沿って東方向へ迂回し、橋を渡ると城址の入口らしき門があります。門柱には「おほもと」と書かれた表札が掛けられている。実はこの亀山城址、宗教法人「大本」の本山施設になっている。
城の大手門?“大本”入口
「大本」は明治末期に作られた神道系宗教で、その教主輔である出口王仁三郎氏が城址を買い取って破却され荒れ放題だった石垣をたった一人で組み直し、整備したという。なので光秀時代の遺構どころか、江戸期の遺構もほぼ残っていないと考えていいだろう。それにしてもこの広大な土地を独りで整備したなんて、それだけでも凄い。
社務所っぽいところで“お祓い”を受けると天守址の見学もさせてもらえるらしいけど、そこまでしたくなかったので見学しても良い所だけを見て回る事にした。
「大本」の万祥殿
「大本」の万祥殿。周囲は綺麗に掃き清められていて足を踏み入れるのが躊躇われる。お参りの説明を読むと「三礼三拍二礼」で、一般的な神社の「二礼二拍一礼」より一回づつ多い。
万祥殿の石垣
万祥殿に行く時に渡る橋の下をくぐると立派な石垣が組まれている。
この石垣も出口王仁三郎氏が一つ一つ積み上げていったのだと思うと、感動する。当時の軍部からかなりの弾圧を受けたという話なので、尚更すごい。
城址の案内板
敷地内には立派な梅林もあって、ホーム開幕戦の3/1には綺麗な梅の花が咲いている事でしょう。
木立ちの向こうに見えるのが天守址か?
搦手門にあたる裏門につながる道を往く途中で木立ちの彼方に石垣が見えます。どうやらアレが天守址っぽい。もちろん天守なんてなくて、「大本」の施設が築かれているようです。
という事で丹波亀山城の城址をスルっと通り抜けてきました。もしサンガスタジアムへ試合観戦に来られて、時間に余裕がある時は覗いてみてはどうでしょう?まぁ、遺構と言えるものはほとんどないので雰囲気だけですが…僕もいつかお祓い受けて天守址観に行くかもしれませんw
亀山城は天正5 年(1577)、明智光秀が丹波攻略の拠点とするために築いた城。保津川とその流域の湿地帯を北の天然の堀とした丘陵(荒塚山)に築かれたが、そのわずか5 年後に光秀が主君・織田信長を討つ「本能寺の変」が起こった。その後、光秀が天王山の戦いに敗れ討ち死に。その後は秀吉の甥である羽柴秀勝に譲られ、小早川秀秋や前田玄以らの手を経て、徳川政権下の岡部長盛が治め、形原松平氏の時に維新を迎えた。維新を迎えた時には藤堂高虎が築いた五層天守があったようだが、御多分に漏れず廃城令が発布された時に完全に破却された。あ~もったいない。
なぜ「亀岡」なのに「亀山城」なの?と思っていたが、徳川期に伊勢の亀山城と区別する為にこちらを「亀岡城」と呼ばせたらしい。叛臣・光秀の城だからお前の方が名前変えろって事だろうが、考えてみれば酷い話。現在は呼称を「亀山城」に戻されてるけど、地名自体は「亀岡」のままなんだね。
そのJR亀岡駅南口を出て、バスターミナルをそのまま南進すると東西に長い池がある南郷公園に行き着く。その入口には亀山城の鯱のレプリカと明智光秀の銅像がお出迎えしてくれる。
南郷公園入口に立つ明智光秀像
大河ドラマ『麒麟がくる』で光秀を演じる長谷川博己とはかな~りイメージの違う大人しい印象の光秀像である。こっちの方が実像に近いんだろうな。
その南郷池。水鳥があちこちで羽を休めていたり、近所の人が釣り糸をたらしていたりと、長閑な雰囲気。この池がひょっとしたら亀山城の内堀なのかもしれません。
南郷池
南郷池に沿って東方向へ迂回し、橋を渡ると城址の入口らしき門があります。門柱には「おほもと」と書かれた表札が掛けられている。実はこの亀山城址、宗教法人「大本」の本山施設になっている。
城の大手門?“大本”入口
「大本」は明治末期に作られた神道系宗教で、その教主輔である出口王仁三郎氏が城址を買い取って破却され荒れ放題だった石垣をたった一人で組み直し、整備したという。なので光秀時代の遺構どころか、江戸期の遺構もほぼ残っていないと考えていいだろう。それにしてもこの広大な土地を独りで整備したなんて、それだけでも凄い。
社務所っぽいところで“お祓い”を受けると天守址の見学もさせてもらえるらしいけど、そこまでしたくなかったので見学しても良い所だけを見て回る事にした。
「大本」の万祥殿
「大本」の万祥殿。周囲は綺麗に掃き清められていて足を踏み入れるのが躊躇われる。お参りの説明を読むと「三礼三拍二礼」で、一般的な神社の「二礼二拍一礼」より一回づつ多い。
万祥殿の石垣
万祥殿に行く時に渡る橋の下をくぐると立派な石垣が組まれている。
この石垣も出口王仁三郎氏が一つ一つ積み上げていったのだと思うと、感動する。当時の軍部からかなりの弾圧を受けたという話なので、尚更すごい。
城址の案内板
敷地内には立派な梅林もあって、ホーム開幕戦の3/1には綺麗な梅の花が咲いている事でしょう。
木立ちの向こうに見えるのが天守址か?
搦手門にあたる裏門につながる道を往く途中で木立ちの彼方に石垣が見えます。どうやらアレが天守址っぽい。もちろん天守なんてなくて、「大本」の施設が築かれているようです。
という事で丹波亀山城の城址をスルっと通り抜けてきました。もしサンガスタジアムへ試合観戦に来られて、時間に余裕がある時は覗いてみてはどうでしょう?まぁ、遺構と言えるものはほとんどないので雰囲気だけですが…僕もいつかお祓い受けて天守址観に行くかもしれませんw