豊臣政権最年少で五大老の重責を担った宇喜多秀家。
関ヶ原の合戦後、秀家がこの地を追われるまで居城としていたのが岡山城である。
お隣りの姫路城が親徳川の象徴である白壁を特徴とし、白鷺城と呼ばれるのに対し、
岡山城は豊臣臣下の証とも言える黒漆塗りで、金烏城と呼ばれる。
またこの岡山城の東岸を流れる旭川を挟んだ向こう岸には
日本三大名園の一つ、岡山後楽園がある。
岡山に来たなら一度は訪れたい場所だ。
11/20朝7時半。サンガのアウェイ応援の為、Kankoスタジアムへやって来た。
秋らしくなりやや肌寒いものの、前日までの雨も上がり天気は上々。
スタジアムのある県総合運動公演から徒歩で約3km移動。
日曜の早朝なのでさすがに人通りは少ない。
まずは鶴見橋から後楽園へ。
鶴見橋
入場券売り場で入場券(400円)を購入。
正門から庭内に入る。
後楽園正門
開園して間無しだったこともあり、正門入ってすぐの砂利道には
美しい波紋が作られてあり、足を踏み入れるのが躊躇されたほど。
美しい砂の波紋
ここホントに歩いちゃってイイんでしょうか?
後楽園と云えば頭に浮かぶ映像は美しい池に戯れる鶴。
当然の様にタンチョウヅルが2、3組のつがいで飼われていました。
鶴舎
さすがに放し飼いにはされてませんでしたが
鶴舎を離れ、庭園の中央に位置する沢ノ池へ向かう。
遥か彼方に岡山城の天守が見える
日本に広く自生する野芝と云う芝を大量に敷き詰められているのも後楽園の特徴。
延養亭(左)と鶴鳴館(右)
岡山後楽園は、宇喜多、小早川の後に入国した池田綱政が貞享4年(1687)に着工、
完成したのはその13年後の元禄13年。
藩主の静養、賓客接待の場として使われたそうです。
太平洋戦争で戦禍を受けたが、戦後復旧されたとの事。
沢ノ池から岡山城天守を望む
中ノ島と木船
後楽園を一通り観て回り、いよいよ岡山城へ。
南門から旭川対岸の岡山城を観る。
このアングルからの岡山城が一番絵になるのです。
でも、岡山城のある対岸へは鉄骨製の月見橋から渡らないといけない。
ちょっと後戻りします。
月見橋
月見橋を渡り左折し、廊下門へ。
廊下門
敢えて廊下門はスルーして天守の裏側を回って移動。
岡山城の天守は後楽園同様戦火により焼失、戦後復元されたものだが、
天守台の石積み自体は築城時のもの。
使われている石が部分的に赤くなっているのは、天守が燃えた時の名残りらしい。
岡山城の石積みは大小、丸みのある石を組み合わせている。そこが特徴。
左側が宇喜多時代、右側が小早川時代の石積み
他に宇喜多、小早川、池田と三家が次々と別の工法で改修した為、
石積みがきっちりしている所と(わざと)粗雑に積んでいる所が混在しているのも特徴。
上の写真の如くガウディの建築を思わせる有機的な曲線を描いている箇所もある。
こんな石垣はあまりお目にかかったことがありません。
面白い石垣をながめつつ不明門へ。
不明門
不明門をくぐると復元天守のある本丸広場へ出る。
黒い…黒いです、この天守。
そして金ピカの鯱鉾等の装飾が朝日を浴びて…なるほど金烏城だ。
やっぱりこの正面側より裏面の方がデザイン的に特徴があって良いな。
二の丸側へ至る石階段
鉄砲狭間の銃眼
二の丸には戦火を免れた重要文化財・月見櫓が現存する。
重文・月見櫓
戦後復元された天守に比べ、歴史を感じさせるな…やっぱり。
他に地下から発掘された石垣もありました。
なぜ地下から?
二の丸の門
最後は本来こっちから入ってくるのが正しそうな大手門から出ました。
ここには他の石垣にはなかったような巨石が使われています。
岡山城の城割りのほとんどはもう岡山の街中に取り込まれてしまっているので
城公園としてはそれほど広くはなかったけど、城や石垣のデザインは特徴的で面白かったな。
関ヶ原の合戦後、秀家がこの地を追われるまで居城としていたのが岡山城である。
お隣りの姫路城が親徳川の象徴である白壁を特徴とし、白鷺城と呼ばれるのに対し、
岡山城は豊臣臣下の証とも言える黒漆塗りで、金烏城と呼ばれる。
またこの岡山城の東岸を流れる旭川を挟んだ向こう岸には
日本三大名園の一つ、岡山後楽園がある。
岡山に来たなら一度は訪れたい場所だ。
11/20朝7時半。サンガのアウェイ応援の為、Kankoスタジアムへやって来た。
秋らしくなりやや肌寒いものの、前日までの雨も上がり天気は上々。
スタジアムのある県総合運動公演から徒歩で約3km移動。
日曜の早朝なのでさすがに人通りは少ない。
まずは鶴見橋から後楽園へ。
鶴見橋
入場券売り場で入場券(400円)を購入。
正門から庭内に入る。
後楽園正門
開園して間無しだったこともあり、正門入ってすぐの砂利道には
美しい波紋が作られてあり、足を踏み入れるのが躊躇されたほど。
美しい砂の波紋
ここホントに歩いちゃってイイんでしょうか?
後楽園と云えば頭に浮かぶ映像は美しい池に戯れる鶴。
当然の様にタンチョウヅルが2、3組のつがいで飼われていました。
鶴舎
さすがに放し飼いにはされてませんでしたが
鶴舎を離れ、庭園の中央に位置する沢ノ池へ向かう。
遥か彼方に岡山城の天守が見える
日本に広く自生する野芝と云う芝を大量に敷き詰められているのも後楽園の特徴。
延養亭(左)と鶴鳴館(右)
岡山後楽園は、宇喜多、小早川の後に入国した池田綱政が貞享4年(1687)に着工、
完成したのはその13年後の元禄13年。
藩主の静養、賓客接待の場として使われたそうです。
太平洋戦争で戦禍を受けたが、戦後復旧されたとの事。
沢ノ池から岡山城天守を望む
中ノ島と木船
後楽園を一通り観て回り、いよいよ岡山城へ。
南門から旭川対岸の岡山城を観る。
このアングルからの岡山城が一番絵になるのです。
でも、岡山城のある対岸へは鉄骨製の月見橋から渡らないといけない。
ちょっと後戻りします。
月見橋
月見橋を渡り左折し、廊下門へ。
廊下門
敢えて廊下門はスルーして天守の裏側を回って移動。
岡山城の天守は後楽園同様戦火により焼失、戦後復元されたものだが、
天守台の石積み自体は築城時のもの。
使われている石が部分的に赤くなっているのは、天守が燃えた時の名残りらしい。
岡山城の石積みは大小、丸みのある石を組み合わせている。そこが特徴。
左側が宇喜多時代、右側が小早川時代の石積み
他に宇喜多、小早川、池田と三家が次々と別の工法で改修した為、
石積みがきっちりしている所と(わざと)粗雑に積んでいる所が混在しているのも特徴。
上の写真の如くガウディの建築を思わせる有機的な曲線を描いている箇所もある。
こんな石垣はあまりお目にかかったことがありません。
面白い石垣をながめつつ不明門へ。
不明門
不明門をくぐると復元天守のある本丸広場へ出る。
黒い…黒いです、この天守。
そして金ピカの鯱鉾等の装飾が朝日を浴びて…なるほど金烏城だ。
やっぱりこの正面側より裏面の方がデザイン的に特徴があって良いな。
二の丸側へ至る石階段
鉄砲狭間の銃眼
二の丸には戦火を免れた重要文化財・月見櫓が現存する。
重文・月見櫓
戦後復元された天守に比べ、歴史を感じさせるな…やっぱり。
他に地下から発掘された石垣もありました。
なぜ地下から?
二の丸の門
最後は本来こっちから入ってくるのが正しそうな大手門から出ました。
ここには他の石垣にはなかったような巨石が使われています。
岡山城の城割りのほとんどはもう岡山の街中に取り込まれてしまっているので
城公園としてはそれほど広くはなかったけど、城や石垣のデザインは特徴的で面白かったな。
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