
今日から夏休み。
家族を長岡京へ送る用があったので、
その帰路付近のお城にちょっと寄ってみました。
長岡京市の住宅街の真っ只中にある勝竜寺城です。
勝竜寺城は西国街道の押さえとして細川藤孝(幽斎)が大幅改修した城。
元幕臣であった藤孝にとって山城国はホームタウン。
安心して任せられるはずと、元亀2年(1571年)主君信長が与えたという。
細川藤孝は明智光秀と盟友の間柄。
その縁で光秀の三女・お玉(のちのガラシャ)は嫡男・忠興の正室となります。
ここ勝竜寺城は天正6年(1578年)に二人が結婚式を挙げた場所なのです。
お隣の公園駐車場(数台駐車可、無料)に車を停め、お城へ向かいます。
お城の周囲にはこじんまりしたお堀が作られてあり、鯉やカメが泳いでます。
門の奥には立派な櫓が見えるけど、コレじつは…
勝竜寺城には天守はなく、土塁や堀も元あった場所にそれらしく造り直したもので
本物の遺構である空濠や土塁はここから北東に位置する神足神社内にあるそうです。
では、正門から入ってみます。
正門
正門をくぐると櫓っぽい造りの管理棟(味気ないネーミングやな~
)があります。
櫓っぽい管理棟
中に入ると1階部分の庭園側は総ガラス張り。

一応休憩施設みたいですが、現在冷房システム故障中で暑い!(この日の外気温35度)
2階が資料展示室になっていて、細川ガラシャに関する企画展示がされていました。
展示品はほとんどがカラーコピーで、目を引くものはありませんでしたが…
その一角に福知山城でも観た城の石垣に使われたとおぼしき石仏が。

幽斎も盟友・光秀の“もったいない精神”を真似たのでしょうか?
クソ暑い管理棟を出て庭園(というほど整備はされてませんが…)へ。
50m四方程度でさして広くはない庭園
庭園には忠興とガラシャの仲睦まじい像が展示してあります。
忠興とガラシャの像
ガラシャの父・光秀が本能寺の変の際、幽斎・忠興親子に助力を頼むもこれを拒否。
ガラシャは忠興と別居生活を余儀なくなれ、光秀敗死後復縁するも、
関ヶ原の合戦で石田三成率いる西軍の人質にされそうになり自害する。
この頃はまさかこんな悲劇的な最期を迎えようとは夢にも思わなかっただろうなぁ…
庭の一角に祀られた石地蔵群
この地蔵たちがガラシャの魂を慰める存在の様にも見える。
お城の敷地を出て、堀を回りつつ駐車場に向かう。

隅櫓のあるお堀の角っこには細川家の家紋『九曜』を模した腰かけが設置されています。
駐車場に戻ってきたら、そばの水飲み場にひっきりなしに人がやってきて
持参のペットボトルやポリタンクに水を汲んでいく。
「なにか特別な名水だったりするんやろか?」とか思って見てみると…

“ガラシャおもかげの水”と書かれた立札が。
忠興とガラシャがここ長岡京の地で新婚時代を過ごしていた頃、
井戸の水を汲み、自分たちの姿をその水に映していた…はずと。
後ほど調べて解ったのですが、国土交通省の『蘇る水百選』に選ばれたとの事。 なるほど。
ためしに飲んでみましたが…う~ん、ようわからん(苦笑)
でも地下水100%の水道水ってなんやねん!?
家族を長岡京へ送る用があったので、
その帰路付近のお城にちょっと寄ってみました。
長岡京市の住宅街の真っ只中にある勝竜寺城です。
勝竜寺城は西国街道の押さえとして細川藤孝(幽斎)が大幅改修した城。
元幕臣であった藤孝にとって山城国はホームタウン。
安心して任せられるはずと、元亀2年(1571年)主君信長が与えたという。
細川藤孝は明智光秀と盟友の間柄。
その縁で光秀の三女・お玉(のちのガラシャ)は嫡男・忠興の正室となります。
ここ勝竜寺城は天正6年(1578年)に二人が結婚式を挙げた場所なのです。
お隣の公園駐車場(数台駐車可、無料)に車を停め、お城へ向かいます。
お城の周囲にはこじんまりしたお堀が作られてあり、鯉やカメが泳いでます。

勝竜寺城には天守はなく、土塁や堀も元あった場所にそれらしく造り直したもので
本物の遺構である空濠や土塁はここから北東に位置する神足神社内にあるそうです。
では、正門から入ってみます。

正門をくぐると櫓っぽい造りの管理棟(味気ないネーミングやな~


中に入ると1階部分の庭園側は総ガラス張り。

一応休憩施設みたいですが、現在冷房システム故障中で暑い!(この日の外気温35度)
2階が資料展示室になっていて、細川ガラシャに関する企画展示がされていました。
展示品はほとんどがカラーコピーで、目を引くものはありませんでしたが…
その一角に福知山城でも観た城の石垣に使われたとおぼしき石仏が。

幽斎も盟友・光秀の“もったいない精神”を真似たのでしょうか?
クソ暑い管理棟を出て庭園(というほど整備はされてませんが…)へ。

庭園には忠興とガラシャの仲睦まじい像が展示してあります。

ガラシャの父・光秀が本能寺の変の際、幽斎・忠興親子に助力を頼むもこれを拒否。
ガラシャは忠興と別居生活を余儀なくなれ、光秀敗死後復縁するも、
関ヶ原の合戦で石田三成率いる西軍の人質にされそうになり自害する。
この頃はまさかこんな悲劇的な最期を迎えようとは夢にも思わなかっただろうなぁ…

この地蔵たちがガラシャの魂を慰める存在の様にも見える。
お城の敷地を出て、堀を回りつつ駐車場に向かう。

隅櫓のあるお堀の角っこには細川家の家紋『九曜』を模した腰かけが設置されています。
駐車場に戻ってきたら、そばの水飲み場にひっきりなしに人がやってきて
持参のペットボトルやポリタンクに水を汲んでいく。
「なにか特別な名水だったりするんやろか?」とか思って見てみると…

“ガラシャおもかげの水”と書かれた立札が。
忠興とガラシャがここ長岡京の地で新婚時代を過ごしていた頃、
井戸の水を汲み、自分たちの姿をその水に映していた…はずと。
後ほど調べて解ったのですが、国土交通省の『蘇る水百選』に選ばれたとの事。 なるほど。
ためしに飲んでみましたが…う~ん、ようわからん(苦笑)
でも地下水100%の水道水ってなんやねん!?
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