我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

松柏100句選より(7)

2022-09-02 14:55:31 | 俳句、短歌、及び文芸

(97) 歌枕 なりし柳を 訪ねけり

歌枕に歌われた柳と言えば

そう あれである、

あれ、あれ、、、、、

実はこの柳のことを私は知らなかった、

作者と知人のK氏が訪れたと聞いて初めて知った、

だがこの場所を記事にしようとしてその名を思い出せない、

そこでK氏にメールで問い合わせた、

白河の関近くにある❝遊行柳(ゆぎょうやなぎ)❞

だと言うことを再認識した、

平安の昔には西行も訪れて歌を詠んでいる、

❝道のべに清水流るる柳かげ
 
  しばしとてこそ
 
    立ちどまりつれ❞ 「新古今和歌集」

近年では芭蕉が訪ねて名句を残している、

❝田一枚 植えて立ち去る 柳かな❞

昔の道しるべである一里塚に植えられた古木の柳のことだ、

さて肝心の句を見てみよう、

ここを訪れたと言うだけで物足りなさを感じる、

何を感じたのか?

その感想こそが句なんだと私は思う、

K氏からの返信に彼の句が添えられてあった、

❝訪ね来し 遊行柳や 下涼し❞

❝青田背に 遊行柳の 句箱かな❞

感想は控えよう、

不躾を承知で添えられた句を参考にさせてもらい

こんな句を作ってみた、

❝日盛りの 遊行柳の 木陰かな❞

ところがこれでは季語がない、

そこで

❝夏至の日の 遊行柳の 木陰かな❞

❝早苗田の 遊行柳に 句箱あり❞

 

Kさん

断わりなく公表してゴメン、

私にはこれ以上ない参考句が作れたと思って

引用させてもらった。

 

(98) 暑き日に 簗場で獲りし 鮎食らう

2週間で150句ほど作った句となれば

現実をそのまま5,7,5の言葉に置き換えた句になるのは

致し方ない事なのかもしれない、

いわば句の素材となる言葉を揃えただけと言う感じだ、

前の句もそうだが

さあ 言葉を揃えた、

( 暑き日に は余分だが)

それでは次に自分の思いをいかに句の中に

歌い込むかそれが句づくりである、

この句の場合

作者は今では簗場で獲ったアユなど食べる機会は滅多にない、

その貴重な経験を句にしたかったのが読み取れる、

❝那珂川の 簗場のアユに 舌鼓❞

作者が避暑の帰りに走ったと言う那珂川沿いの道、

あまり知られていない固有名詞に地方色と

簗場と言う抒情性を加味してみたが如何であろう?

 

(100) 機窓から 見下ろす雲海 綿の波 

飛行機に乗ればこんな光景は珍しくはない、

だから句にならないかと言うとそうでもない、

作者の視点次第である、

❝綿の海 飛び跳ねてみたき 窓の外❞

やはり平凡すぎて変わり映えがしない、

しかも季語が見当たらない、

私の場合季語がすっ飛んでしまうことが多い、

短歌作りの癖なのかもしれない、

取りあえずは無季俳句として理解願いたい。