(97) 歌枕 なりし柳を 訪ねけり
歌枕に歌われた柳と言えば
そう あれである、
あれ、あれ、、、、、
実はこの柳のことを私は知らなかった、
作者と知人のK氏が訪れたと聞いて初めて知った、
だがこの場所を記事にしようとしてその名を思い出せない、
そこでK氏にメールで問い合わせた、
白河の関近くにある❝遊行柳(ゆぎょうやなぎ)❞
だと言うことを再認識した、
平安の昔には西行も訪れて歌を詠んでいる、
近年では芭蕉が訪ねて名句を残している、
❝田一枚 植えて立ち去る 柳かな❞
昔の道しるべである一里塚に植えられた古木の柳のことだ、
さて肝心の句を見てみよう、
ここを訪れたと言うだけで物足りなさを感じる、
何を感じたのか?
その感想こそが句なんだと私は思う、
K氏からの返信に彼の句が添えられてあった、
❝訪ね来し 遊行柳や 下涼し❞
❝青田背に 遊行柳の 句箱かな❞
感想は控えよう、
不躾を承知で添えられた句を参考にさせてもらい
こんな句を作ってみた、
❝日盛りの 遊行柳の 木陰かな❞
ところがこれでは季語がない、
そこで
❝夏至の日の 遊行柳の 木陰かな❞
❝早苗田の 遊行柳に 句箱あり❞
Kさん
断わりなく公表してゴメン、
私にはこれ以上ない参考句が作れたと思って
引用させてもらった。
(98) 暑き日に 簗場で獲りし 鮎食らう
2週間で150句ほど作った句となれば
現実をそのまま5,7,5の言葉に置き換えた句になるのは
致し方ない事なのかもしれない、
いわば句の素材となる言葉を揃えただけと言う感じだ、
前の句もそうだが
さあ 言葉を揃えた、
( 暑き日に は余分だが)
それでは次に自分の思いをいかに句の中に
歌い込むかそれが句づくりである、
この句の場合
作者は今では簗場で獲ったアユなど食べる機会は滅多にない、
その貴重な経験を句にしたかったのが読み取れる、
❝那珂川の 簗場のアユに 舌鼓❞
作者が避暑の帰りに走ったと言う那珂川沿いの道、
あまり知られていない固有名詞に地方色と
簗場と言う抒情性を加味してみたが如何であろう?
(100) 機窓から 見下ろす雲海 綿の波
飛行機に乗ればこんな光景は珍しくはない、
だから句にならないかと言うとそうでもない、
作者の視点次第である、
❝綿の海 飛び跳ねてみたき 窓の外❞
やはり平凡すぎて変わり映えがしない、
しかも季語が見当たらない、
私の場合季語がすっ飛んでしまうことが多い、
短歌作りの癖なのかもしれない、
取りあえずは無季俳句として理解願いたい。