我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

松柏100句選より(1)

2022-07-30 10:48:17 | 俳句、短歌、及び文芸

100もの作品を取り上げるには

番号が必要と思いつけてみた、

100作どころではない

川柳を含めれば145もの作品があるので

取り上げた作品は番号をつけて表示した。


句集 第一作目には「思い出の風景」

と言う見出しがついている、

(1)“声明も伽藍も覆う蝉しぐれ”

私はこの句を見て“お~ なかなかやるじゃん”

という印象を持った、

5,7,5の形式を踏まえ“蝉しぐれ”という

俳句に必須の季語も備わっている、

句の背景となった走り書きを読むと

昼時の増上寺とある、

作者は永年大手企業の都内の支店に

勤務していたのでたまたま立ち寄った

のであろうか?


(5)“青空をキャンパスにする雲画才あり”

作品の意図は十分理解できる、

だがこれでは抽象的すぎる、

読んで何のイメージも湧いてこない

作品では意味がない、

読み手の想像力を誘うところに

文芸としての役割がある、

作品には入道雲の写真が添えてある、

写真に「大皿で愛犬を抱く」と題をつけた

と書いてある、

ならばいっそのこと

“大空に愛犬を抱く入道雲”

とでもしたらどうだろうか?

雲だけで季語になるかどうか疑問なので

入道雲にしてみたが?


(19)“驟雨来て子等散りぢりに走り去る”

状況そのままで面白みがない、

俳句にするからには多少なりとも

読み手に満足感を与えたい、

つまり結果は兎も角

作者は俳句にするための

努力をしたんだと言う姿勢を

見せるべきなんだ、

折角読んでくれるのだから

その労を惜しんではならない、

(と言ってはみたが作者はこれらを俳句として

纏めたものかどうか疑問だ、

むしろ俳句にするための材料を

拾い集めてみたと言う感がなくもない、)

私ならこうする、

“公園の子等蹴散らしてにわか雨”

状況は全く同じであるが

“蹴散らす”など表現の妙を

加えてみるのも一案であろう。


今回はここまでにする、

的を射た感想になったかどうか

気になる所だが感想の感想など

やり取りできれば望外の幸せである。


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