今,原発反対の機運が盛り上がっているが、それに輪をかけるように浜岡原発の停止要請が
あのバカ菅元総理から出されてしまった。
私はその原発反対!即時停止!と叫んでいる方々に聴きたい。
日本の各地に原発が散らばっているが、54機とも言われる原発を一斉に止めた時の日本の産業や、国民の交通手段や、家庭での生活をどのようにしようと考えているのだろうか。
私の幼時期は、戦争ですべてを失い、ようやっと戦後が始まったばかりで、物資も無い時代だった。
川から流木を拾ってきたり、葦を刈って来て、風呂を沸かし、かまどに薪をくべて炊飯をした。
寒い冬は、炭を入れた炬燵が暖房の手段だった。
囲炉裏で煙い思いをしながら暖をとったこともあった。
部屋全体を暖めるという発想はまったく無かったのだ。
しかし現代の文明を生活を知ってしまった日本人は、スイッチを入れると部屋全体が温まる。
ガスをひねると火がつき、炊事もあっという間に出来てしまう。
これだけ進んでしまった人間のライフワークが昔の生活を許さない。
マンションで薪をくべて、火を起こすなど出来るはずもなく、ボットン便所など考えようのない。
原発が無くなってもそこまでの時代が逆戻りするとは思いませんが
電力の消費を縮小するには、高級マンションや高層マンションが出来過ぎてしまった今は、少なくとも生活は出来なくなるはづです。
そんな事情を考えて、発電の代替をどうすのか、生活をどうするのか、原発反対の方々に問いたいのです。
原発があったから、放射性物質がばら撒かれているのは事実ですが、
福島原発が放射性物質を撒き散らしているのは、
原発自体の破損ではなく、本来、密閉した建屋に備えて置かなければならないはずの、緊急発電装置が野ざらしにされて設計されていたことや、電気配電関係の建屋に水が侵入したことの設計の甘さにあり、設計段階からすでに人災が始まっていたのです。
言いかえれば、東京電力上層部や保安院や原子力安全委員会の属している者たち、いわゆる「原子力ムラ」の連中が引き起こしたものであり、3.11後の総理大臣の判断の未熟さが重なった人災なのです。
もう一度言います。
二次電源の鉄塔が倒れたのは許せるとしても、予備発電装置が津波を被って非常電源が使えなかったのは、決して自然災害のせいではありません。
政官財3者の癒着によって出来上がってしまった「原子力ムラ」の夜完全な人災なのです。
原発反対と叫ぶ方々に、私はどうしても言いたい。
原子力発電によって既得権益を得て、大量の税金や電気料金から搾り取られた、国民の血の一滴の貴重な税金を湯水のごとく飲み込んできた「原子力ムラ」の制裁はしないのですかと。
ただやみくもに原発反対と唱えるのは、日本の経済を衰退に追い込み、
強いては国民の生活を苦しくすることになると思うのですが如何でしょうか。
原子力という魔物を扱う原子力発電所を、民間の営利会社に任せている現状から構造改革をしなければ、幾ら原発反対を唱えても何も変わらないのではないのではないでしょうか。
原発は「ムラ」に属していた人間を排除した新しい人材で、国営にするべきです。
政治に決断を求めるのが筋論ではないかと思います。