ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

回文俳句14 狩野か金甍

2009年01月22日 | 回文俳句
 ひさびさの回文俳句。今年中に100句の回文俳句を作ることを宣言します。でもできるかな。できたら句集をだすぞ。

 狩野派の障屏画は金箔多用で絢爛豪華。まがい物には気をつけようとの警告の意味で。

  狩野絵画また下手紛い買うのか

  かのうかいがまたへたまがいかうのか

 さらに、

  狩野か金甍空インキ買うのか

  かのうかきんいらかからいんきかうのか

 こんなのも、

  黄泉から陰気夜よ金甍見よ

  よみからいんきよるよきんいらかみよ

 黄泉の国から風が吹いてくるような陰気な夜は、せめて月光に輝く金甍でも見たいものだなー。という気持ちをよんだもの。
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アンドーのシブヤ

2009年01月22日 | 新☆東京物語
地下鉄副都心線の渋谷駅は、安藤忠雄のデザインにより別世界のアンダーワールドへ誘われるようで心地よい。渋谷から郊外のわが最寄り駅までも一本で帰れる。休みの日は結構空いている。去年撮った写真だけれど残しておこう。
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アール・ヌーヴォな女の腰つきにとんかつ屋をネズミは走るOZUの戦争は彼岸花

2009年01月16日 | 
 新年初めての美術鑑賞は、日本橋高島屋で開催の「ガレ・ドーム・ラリック展」。アール・ヌーヴォからアール・デコに至るフランス工芸作家のポーラ財団コレクションの展示。アール・ヌーヴォからアール・デコへの変化がとてもよく分かる美術展ではありました。美術展会場とは別室で、同じ年代のガレやラリックの工房で製作された工芸品が展示販売されていた。いとも簡単に600万とか1000万というプライスカードが付いていて、こちらのほうが数字で価値が見えるので面白かった。

 新宿サブナードの地下街、よくあるとんかつ屋で夕飯を食っていたら、テーブルの下を丸々太ったネズミが通った。新宿の地下だからネズミが出ても驚かないが、気分はよくない。場末のいっぱい飲み屋じゃないないのだから。レジで店員に話すと「出ちゃいましたー」だと。「別に新宿だから驚かないけど」とふると、「そーですよねー」。さらに「営業中に出たのは初めて」とか「ここは地下だからしかたがない」とかヘラヘラしながらの受け答え。やっちまったねー。まあ、怒る気にもならなかったけれど、もう行かない。

 小津安二郎監督「彼岸花」を昔の録画ビデオで観る。小津監督に関する本を何冊か読んだので、カラー第1作を観たくなったのだ。監督自らが小津映画の4番打者という杉村春子が出ていないが、その役割を浪花千栄子がみごとにこなしている。山本富士子も明るいキャラクターを発揮しているが、やはり田中絹代は小津映画のテンポに合わないのではないかという気がした。娘の結婚がテーマなのに花嫁姿も結婚式も映らない映画。赤いホーローの薬缶と黄色の湯飲みの色彩がすばらしい。

 小津監督が1937年から応召し中国戦線で従軍した時の記録「従軍日記」が面白い。それとともに「禁公開」になっている「陣中日記」もあるのだが、こちらは中身がわからない。「従軍日記」は暢気な軍隊暮らしといった趣だが、1937年から1939年という時代の上海、南京を考えれば、恐らく小津監督の戦争体験はかなり凄惨なものがあったはずだ。小津監督は戦争を描かなかった人といわれるが、戦争未亡人は出てくる。「東京暮色」のような映画には、小津監督の心の奥の暗さのようなものが不意に出てきてしまうことがある。
 
 小津安二郎は中国戦線で何を経験してきたのだろうか。
 
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溝口健二「浪華悲歌」で山田五十鈴は「セントルイス・ブルース」をハミングする。

2009年01月08日 | 
 1936年(昭和11年)といえば、2.26事件、阿部定事件、ヒトラーのベルリンオリンピックで「前畑がんばれ」が有名になった年。昭和史のターニングポイントなどともいわれる。この年のヒット曲には藤山一郎の「東京ラプソディ」などがあるが、年末にBSの録画で観た溝口健二の「浪華悲歌」(1936年の作品。なにわエレジーと読むのでしょうね)を観ていたら、山田五十鈴扮するヒロイン・アヤ子が、「セントルイス・ブルース」を鼻歌で歌うシーンがあるのにはちょっと驚いた。社長の愛人宅のマンションのモダンなたたずまいやラストシーンの山田五十鈴のモガぶりなど舞台装置もモダンだが、タイトルバックの音楽も洗練されたオーケストレーションのスイングジャズなのだった。

 溝口とジャズ、戦後の作品からは想像できないが、愛人や美人局をしても家族のために献身し、女一人で生きていくという孤独だが自立した女を描く現代劇ならば、溝口の中でも先端的な文化としての映画とジャズは当然のごとく融合したのだろう。そして、昭和11年あたりは、都会ではまだまだアメリカの音楽や映画に大衆が熱狂できた時代だったのだ。

 実は、昭和10年前後というこの時代こそ日本のジャズが大きく発展した時期であったことが、最近読んだ「日本ジャズの誕生」(瀬川昌久・大谷能生 著)でも書かれてあった。瀬川さんは草創期の日本のジャズを語らせたら右に出るものはいない。そしていまこの人の話を収録しておかなかったら日本におけるジャズ誕生の真実が分からなくなる、そんな使命感から大谷氏もこのインタビューに臨んだのだろう。しかも「赤アイラー」「青アイラー」同様、音源を聴きながら、というところがこの本の肝で、このスタイルで日本ジャズ史が掘り下げられることを期待しないわけにはいかない。

 この本でも日本最初の黒い歌手として紹介されるディック・ミネ。34年に「ダイナ」を、「浪華悲歌」の年1936年には「セントルイス・ブルース」(アレンジも歌い方もかっこいい。菊翁が下品に「あなたいやーん、そこはオシリなの」と歌う歌をイメージしてはならない)をヒットさせている。だから、ヒロインの鼻歌にもこの曲が出てきたのだろう。ダンス音楽としてのジャズがダンスホールを中心に最もモダンな音楽、文化として都会の若者の心をとらえていた時代なのだった。ミネさんは母校の先輩(卒業後逓信省に勤めたというのも驚きだった)、瀬川さんは私が所属していた母校のビッグバンドをいつも評価してくれた一人で、コンサートの打ち上げにも顔をだしていただいたことがあったはず。そんなわけで、この本は内容もさることながら個人的にもうれしい1冊なのだった。
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長谷川きよしが今年ブレイクの予感。末吉な年始、今年は「待てば海路」で。

2009年01月08日 | 音楽
 初詣でおみくじを引いたら、神社も不動尊も「末吉」。動かず、騒がずじっと待てば運気が変わるというのがだいたいの今年の運勢。四柱推命では夏に運気が上がるが、干支占いでは金運は最低とのこと。そんなわけで、今年は「待てば海路の日和あり」の精神でいきましょうかね。

 ところで暮れの有馬は惨敗。グラスワンダーとエルコンドルパサーの子供の馬連とこれにダイワスカーレットを加えた3連複であったのだが。

 ひょんなことから暮れに、そういえば長谷川きよしはいまどうしているのだろうかとYouTubeで検索したら、なんと椎名林檎のライブで名曲「別れのサンバ」を歌っているではないか。19歳のとき今で言えばこの曲でメジャーデビューしたわけだが、あの頃の19歳はこんな詩を書いたのだなと感心しながら、その歌声、ギターテクニックに聴きほれてしまった。デビュー当時は、同じ盲目のホセ・フェルシアーノと比較もされたが、高校時代、習い始めのギターではボサノヴァのリズムがうまく弾けなくて、ギターを弾きながら「別れのサンバ」を歌ってみたいと思ったものだ。

昨年デビュー40周年とかで、その記念ライブアルバム「40年。まだこれがベストではない。長谷川きよしライヴ・レコーディング。」が出ていたので早速購入。久々に歌に力のある歌手を聴いたと思った。もちろん「別れのサンバ」あり、さらに「愛の讃歌」「コムダビチュード~いつも通り(マイウエイ)」といったシャンソンを、原曲に近い訳詞で歌い、椎名林檎の「化粧直し」までカヴァーするこのアルバムは、歌詞がしっかり聴き手に伝わるすばらしいアルバムなのだ。プチマイブームの長谷川きよしだが、今年はブレイクするのではないかと勝手に予感している次第。
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