「東京大学のアルバート・アイラー・東大ジャズ講義録・歴史編」(菊地成孔+大谷能生著/メディア総合研究所刊)を読むと、改めてジャズ史をおさらいするように昔のアルバムを聴いてみたくなる。
さっそくオーネット・コールマンの「The shape of Jazz to come」のCDを買って、昔のレコードと聴き比べてみた。レコードの勝ち。というか僕はこのアルバムはレコードの傷の音とかどこか温かみのある音が合っていると思った。スカジャズというか、オーネットの独特のタイム感覚が、いまでいうゆるい緊張感をかもしだし、ブリキのラッパが鳴っているようなドン・チェリーのポケットトランペット、ぺらぺらしたオーネットのプラスチック製アルトサックスの音(とてもいい音で鳴っている)がチンドン屋的アナーキーさで、12音平均律で武装された西欧楽器の呪縛からフリーになろうとするかのごとくノイジーに響き感動する。美しい曲だ。「Lonely Woman」のアルトは「なによ、なんなのよ!」と酒におぼれた苛立ちから開放されない寂しい女の叫びのようにも聞こえるではないか。
マイルスの「カインド・オブ・ブルー」と同じ年に発表されたことを考えると、方やモード、かたやフリーへとその後のジャズの一つの方向性を示した1枚だし、昔聴いたときよりはるかに今のほうが新鮮に感じる音なのだ。すばらしい。
さて、「東京大学のアルバート・アイラー」は、西欧の12音平均律とアフリカをルーツとする黒人たちの音階とリズムがであったときジャズが生まれ、そのいわばブルース衝動と12音平均律との調和と造反がジャズを発展させてきたというふうに読むと、ジャズははじめからジャズ的でないものとの共存によってジャズ足りえていたといえる。さらにMIDIの出現によって、即興の一回性、オリジナル性もいとも簡単に記号化・複製化される時代にジャズとは何かということになる。現在演奏されているジャズといわれる音楽は、ジャズ約100年の歴史の中である一つの形に止揚された形式として演奏されているのではなく、バップありモードあり、ボッサあり、ファンクあり、フリーありとさまざまに変化してきたスタイルが、そのまま幕の内弁当状態で共存し、それら総体をジャズと呼んでいるわけである。基本は即興演奏であることと、即興しなければならない衝動、仮にブルース衝動としておこう、この二つによってジャズは存在しているのだと思う。それだけに、ジャズというスタイルをなぞるだけの演奏より、すでに時代の改革者になり得ないジャズを再度壊そうとするジャズの試みのほうに共感する。だからこのオーネットのアルバムが大切なのだ。
さっそくオーネット・コールマンの「The shape of Jazz to come」のCDを買って、昔のレコードと聴き比べてみた。レコードの勝ち。というか僕はこのアルバムはレコードの傷の音とかどこか温かみのある音が合っていると思った。スカジャズというか、オーネットの独特のタイム感覚が、いまでいうゆるい緊張感をかもしだし、ブリキのラッパが鳴っているようなドン・チェリーのポケットトランペット、ぺらぺらしたオーネットのプラスチック製アルトサックスの音(とてもいい音で鳴っている)がチンドン屋的アナーキーさで、12音平均律で武装された西欧楽器の呪縛からフリーになろうとするかのごとくノイジーに響き感動する。美しい曲だ。「Lonely Woman」のアルトは「なによ、なんなのよ!」と酒におぼれた苛立ちから開放されない寂しい女の叫びのようにも聞こえるではないか。
マイルスの「カインド・オブ・ブルー」と同じ年に発表されたことを考えると、方やモード、かたやフリーへとその後のジャズの一つの方向性を示した1枚だし、昔聴いたときよりはるかに今のほうが新鮮に感じる音なのだ。すばらしい。
さて、「東京大学のアルバート・アイラー」は、西欧の12音平均律とアフリカをルーツとする黒人たちの音階とリズムがであったときジャズが生まれ、そのいわばブルース衝動と12音平均律との調和と造反がジャズを発展させてきたというふうに読むと、ジャズははじめからジャズ的でないものとの共存によってジャズ足りえていたといえる。さらにMIDIの出現によって、即興の一回性、オリジナル性もいとも簡単に記号化・複製化される時代にジャズとは何かということになる。現在演奏されているジャズといわれる音楽は、ジャズ約100年の歴史の中である一つの形に止揚された形式として演奏されているのではなく、バップありモードあり、ボッサあり、ファンクあり、フリーありとさまざまに変化してきたスタイルが、そのまま幕の内弁当状態で共存し、それら総体をジャズと呼んでいるわけである。基本は即興演奏であることと、即興しなければならない衝動、仮にブルース衝動としておこう、この二つによってジャズは存在しているのだと思う。それだけに、ジャズというスタイルをなぞるだけの演奏より、すでに時代の改革者になり得ないジャズを再度壊そうとするジャズの試みのほうに共感する。だからこのオーネットのアルバムが大切なのだ。