狩野派の障屏画は金箔多用で絢爛豪華。まがい物には気をつけようとの警告の意味で。
狩野絵画また下手紛い買うのか
かのうかいがまたへたまがいかうのか
さらに、
狩野か金甍空インキ買うのか
かのうかきんいらかからいんきかうのか
こんなのも、
黄泉から陰気夜よ金甍見よ
よみからいんきよるよきんいらかみよ
黄泉の国から風が吹いてくるような陰気な夜は、せめて月光に輝く金甍でも見たいものだなー。という気持ちをよんだもの。
晩夏になると道端に蝉の亡骸が落ちています。短いいのちに一句。
夜半の蝉 空しく死なむ 店の端よ
よはのせみ むなしくしなむ みせのはよ
明日も暑うなるぞ。
夏祭りももう終わり。蝉の声がうるさくなると晩夏を感じます。往く夏を惜しみつつ一句。
祭り舟 神輿で仕込み 舐り妻
まつりぶね みこしでしこみ ねぶりつま
こんな句でどんな情景が浮かびますかね。
帆掛け舟なんていう技はあるようですが、祭り舟というのはありませんよね。
まあ、いずれにしろ夏祭りの熱気は身も心も開放的にさせてくれます。
夏の飲み物といえば冷やしたラムネだった。近所の駄菓子屋が夏になるとかき氷を始める。ぶっかいた氷を入れた桶やバケツに緑色のラムネの瓶が入っている。1本5円。栓抜きでビー玉を突いて、泡がこぼれないようにすぐ口をつけてすすると、ひんやりしたガラス瓶の感触と炭酸のはじける清涼感が口に広がる。
ビー球が穴を塞がないよう瓶の窪みにうまく落として飲むのがコツだ。一息入れて縁台に瓶を立てるとカラカラとビー球が音をたてる。西の空は夕焼け。「明日もあつーなるぞ」と店の爺さんが、腰の手ぬぐいで首すじをぬぐう。走って家に帰る後ろに、またカラカラとビー球が鳴った。毎日がこんな夏だった。
冷やしラムネ
飲んで都電の 眠らしゃい(ひ)。
ひやしらむね のんでとでんの ねむらしやひ
ちょいと無理があるけど、「眠らっしゃい」と読んでね。
8月はやっぱり戦争について考える。
こんな句ができた。
薔薇いま咲くいのち 血の戦 my lover(マイラバー)
ばらいま さくいのちちのいくさ まいらば
「花はどこへ行った」なんていう昔のフォークソングを思い出していただくといいかもしれない。
えー、ひさびさの回文俳句です。
西瓜食う 簾暮れだす 浮く返す。
すいかくう すだれくれだす うくかいす
簾ごしの夏の庭が夕焼け色に染まると蝉の声も大きくなる。盥に冷水を流して浮かべた西瓜が涼を呼ぶ。縁側には蚊取り線香。あー夏休み。
しばらくお休みした回文俳句。
よく舐めよ珍味君ん家嫁泣く夜。
よくなめよちんみきみんちよめなくよ。
あー、またしても裏回文俳句だな、と思いきや、 貧窮問答句のつもりなんですけど。沢庵の尻尾ばっかりなめて暮らさねばならぬほどの貧乏に毎夜嫁が泣く君んちはなんと哀れなことよ。
昨日、株をやる方からコメントをいただきましたので、それに応えて一句。
株価も下落さかさ海月も歌舞か。
かぶかもげらくさかさくらげもかぶか
「歌舞か」は「傾く」の意味、「くらげも歌舞かあー」と芝居の口上のように読んでくださいな。
なぜか玉すだれという言葉が浮かぶ。そこで一句。
玉簾紅葉にじみ漏れ出す股。
たますだれもみじにじみもれだすまた
玉すだれはかわいい白い花なのに、なぜかこんな裏俳句みたいなものしかできない。
玉すだれのように可愛いきみを秋の紅葉の紅が包む、その姿を見ているといつのまにか何か漏れ出していた。
ついでに、
玉簾だ!見てみて!乱れだす股。
たますだれだみてみてみだれだすまた
玉簾はヒガンバナ科の多年草でゼフィンランサス、雨のあと咲くのでレインリリーともいわれる。レインリリーなんてとてもいい名前だ。夏から秋にかけて6弁の白い花をつけ、細い葉の密生した姿がすだれのようなので、玉簾といわれる。早野凡平さんで思い出す南京玉簾は江戸時代から伝わる大道芸で当時は「唐人阿蘭陀南京無双玉簾」。いつしか省略されて南京玉簾となった。遠く南蛮より伝わりし玉のように可愛らしくも珍なる簾との意味らしい。
とても愛らしい花だが回文の世界では「また」を有しているので、どうしてもまたのお世話をしなくちゃならないのでした。
昨日道半ばの方からのコメントにヒントを得て一句。
道半ば椿も奇抜馬鹿な君。
みちなかばつばきもきばつばかなちみ
「君」を、古典的な3流会社のシャチョーさんみたいに「ちみ」と読ませるところに無理があるかな。
で、本日の一句。
遠き大陸の荒野にて満蒙の民と酒酌み交わして捻り出す。
白髪濃い民汽笛みたい木枯し。
しらがこいたみきてきみたいこがらし
今朝は雪でしたね。