ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

中・低音だけで聴かせるチェット・ベイカーのトランペット

2008年02月28日 | 音楽
 オランダの女性ジャズシンガー、レイチェル・グールドとチェット・ベイカーの1979年のコラボアルバム「all blues」がなかなかいい。両者とも結構下手くそな演奏なのに、なぜかいい。かなりレアなアルバムらしいが、実際このオランダの女性シンガーは知らなかった。音程ははずれるし、のりは悪い。素人っぽい初々しさくらいしかこれといった魅力はないのだが、それでもチェットがバックアップしていると、クールなジャズアルバムになってしまうから不思議だ。

 もちろんチェットも曲によって演奏のクオリティはばらばら。「ラウンド・ミッドナイト」は、テーマをトランペットでは吹かず、スキャットで演奏し、いい味を出しているのだが、むしろラッパでは、テーマを吹くほど音が出なかったのではないかと思う。アルバムのレヴューによるとアンニュイでデカダンなチェットのトランペットなどと書かれているけれど、むしろこのアルバムのチェットは、音は出ないけれど、ラッパを吹くことに喜びを感じている風な、明るく快活な印象ではないか。「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「ラウンド・ミッドナイト」とか沈む曲があるからかもしれないが、これらも決して暗くしずんでいるわけではない。中・低音だけでもトランペットのアドリブを聴かせることができる稀有な例かもしれない。ここで、もっと高い音を出してくれたらという場面は何度もあるけれど、よれよれのチェット・ベイカーを味わおう。

 そういえば、近々WOWWOWで1979年のチェットのライブを放映するらしい。1979年は、チェットがヨーロッパに移って間もない頃で、再出発でやる気になっていたのかもしれない。 

 このアルバムと一緒に購入したヤエル・ナイムのアルバム、例のマックのCFで使われている「New Soul」がよかったので買ったが、ネットでこの1曲だけダウンロードが正解なのだった。
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視界を横切るエトランジエ、小沼丹の短編小説が面白い

2008年02月26日 | 
 小沼丹の小説がお面白い。島村利正の全集を出すというアクロバチックな出版社「未知谷」が、全4巻+補巻の「小沼丹全集」も出すという離れ業をやっていて、いま、小沼丹を読むには講談社文芸文庫「懐中時計」「椋鳥日記」、創元推理文庫「黒いハンカチ」くらいしか簡単には手に入らないので、初期の傑作「村のエトランジエ」などを読もうと思えば、この未知谷の全集にあたるしかない。とりあえず、ほとんど読まれていない第1巻を図書館で借りたのだが、一巻12,600円、それでもこれはほしい一冊だ。

 「村のエトランジエ」は昭和29年、その翌年「白孔雀のゐるホテル」で芥川賞候補になり、その後も多くの作品を発表しているにもかかわらず、「政治と文学」「性と文学」が論議され、政治性や過激な性を身にまとった文学が支持された時代のぼくの文学体験の中には、不幸にも小沼丹の名前が登場することはなかった。小沼丹の小説はどちらにも無縁に見えるからだが、実は、男女の性と戦争は作品の通奏低音ではある。10代の頃、小沼丹を読んで面白いと思ったかどうかは分からないが、こうして齢を重ね、偶然書店で手にしたことで出会ったことに感謝だ。

 「村のエトランジエ」などの初期作品は、後期の「大寺さんもの」に倣うなら、「エトランジエもの」と呼べるのではないか。それは、静かな避暑地や郊外の町に、不意に視界に現れるエトランジエ(赤いダリアの花を胸に飾った女、美人姉妹、サングラスの女など、少年や思春期の男が関心をもつ女であることが多いが、語り手の「僕」は相手にされない)が、その出現によって村や町の日常に揺らぎを起こし、「僕」やその周辺の人たちは、遠巻きにその小さな出来事に好奇な目を注いでいくのだが、たいがい急な展開(それは、縊死や落下という垂直運動であることが多い)で、ひと夏の事件は幕を閉じる。実は、エトランジエを気にかける語り手である「僕」も、よそ者のエトランジエで、不意の訪問者への共感は、事件の収束とともに、僕の中の「虚無」を露出させることになるのだった。それは、事件後も何もなかったように横たわる風景であり、あるいは数年後に、戦後の開発で変わった風景と、それを眺める「僕」として表されるのだが、その情景がすばらしい。

 とりあえず、講談社文芸文庫「懐中時計」を読まれよ。
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餃子こわい

2008年02月07日 | アフター・アワーズ
 落語に「饅頭こわい」という有名な噺がある。「世の中で一番こわいものは何?」と聞かれた男が「饅頭こわい」といって、ならばと饅頭を大量に持ち込む仲間のいたずらを逆手にとって、たらふく饅頭を食べてしまう。「じゃあ、本当に恐いのは何?」と聞かれると、今度は「渋茶がこわい」。

 そんなわけなので、今なら「餃子こわい」なんて口が裂けても言えない。「餃子大好き、とくに冷凍の中国製なんかおつだねー。だから、じゃんじゃんもってきとくれ!」とでもいっておこうか。

 それにしてもスーパーの冷凍食品は回収できるけれど、安い居酒屋チェーンなどに大量に出回っている中国産冷凍食材はこわい。店の良心に頼るしかないが、これは防ぎようがない。まあ、そういうとこには行かないことだけどね。でも、一時期ちょっと利用した時期があった。400円以上のつまみはないようなところ。店員も彼の国の人と思しき怪しげな日本語。一緒に行ったアレルギー反応に敏感な人が、ときどき赤い斑点ができたのは、体調のせいばかりではなかったのかもしれない。

 ある小体な飲み屋で、禿げた頭を赤くしたオヤジが、頼んだ料理が出てくるたびに、ジョークのつもりで「これは中国製じゃないの」というので、「洗ってあるから大丈夫ですよ」なんて女将に反されていたっけ。トホホ。
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