ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

まるでトランプ復権を称賛するかのような映画「グラディエーターⅡ」

2024年11月27日 | 映画
土曜日に所沢駅前にできた商業施設エミテラスにあるシネコン「グランエミオ」で「グラディエーターⅡ」を観た。午後の時間帯で適当な映画がなかったのだが、ビートたけしが「面白い」とCMで宣伝していたので観てみたのだった。
監督は今や巨匠のリドリー・スコット。莫大な製作費と物量をかけたことは想像できるし、VFXを多用した古代ローマの街並みの再現や戦闘シーン、全編に流れる感情を高ぶらせるような音楽は、戦闘ものゲームなどが好きな方にはたまらないかもしれない。
ストーリーは奴隷に身をやつした前皇帝の息子が、グラディエーターとして戦いながら、暴君とその側近を倒しローマ帝国のかつての栄光を取り戻そうという、いわば復讐ものなのだが、そもそも美しい日本をとりもどすとか、強いアメリカを取り戻すといったノスタルジックな言説が、いかに今日の分断や差別を生んできたことか。
社会派と言われ権力批判的な視点で映画を作る監督と言われもしたリドリー・スコットだが、この映画の栄光のローマをとりもどす、という主調音は、まさに今日のトランプ復権のスローガンに重なるではないか。
そもそもリドリー・スコットは、弟ですでに亡くなった監督トニー・スコットに比べて映画的な主題には無頓着な監督だ。トニーが遺作の「アンストッパブル」で走る列車をいかに止めるかという、リュミエール以来の映画的主題に挑んで、アクション映画の傑作を、「グラディエーター」に比べれば遙かに低予算で軽々と撮ってしまったのに比べ、兄のリドリーは、コロッセオという円形の競技場を円環運動ではなく単に直線運動にだけで終わらせるというセンスのなさを露呈させた。同じ物量でも60年前の作品、アンソニー・マン監督「ローマ帝国の滅亡」のCGなどに頼らぬ本物の物量で描く、兵士の行進や入城、戦闘シーンに見られる奥行のある画面に比べ、宮殿や地形の高低を生かせない構図のため、奥行きを感じない平坦な画面にみえてしまうのだった。
そんなわけで、「グラディエーターⅡ」は、音楽がうるさいだけの印象しか残らない、残念な映画だった。

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小田香監督「Undergroundアンダーグラウンド」は暗闇と水のゆらぎの映画だった

2024年11月08日 | 映画
東京国際映画祭の正式作品として丸の内ピカデリーで上映された小田香監督のドキュメンタリー「Underground  アンダーグラウンド」を鑑賞。地下空間にこだわったドキュメンタリー映画を制作してきた小田監督が日本の地下空間に取材し16ミリで撮影した作品だ。

アンダーグラウンドというと私の世代は60年代のアングラという言葉が浮かぶ。映画、音楽、演劇、詩など新しい息吹はまさにアンダーグラウンドから生まれた時代があった。作品を観るために暗闇を必要とする映画は、アングラの記憶を今も残すメディアかもしれない。

さて、本作の地下とは主に札幌の地下街の地下世界で撮影したらしいが、冒頭その雨水トンネルに懐中電灯のような光をあてるショットから始まり、一転暗闇に蛍が湧き上がるような映像に変わる。それは、洞窟の貯水池のような暗闇で水面に映像を反射させていて、幻想的な映像がつぎつぎと映し出される。
ドキュメンタリーなのだが、地下世界への案内役としての影を演じる女性(吉開菜央)が登場する。その影とともに私たちは地下世界とそこに染み付いた歴史の記憶を辿ることになる。札幌地下鉄の線路脇の暗闇、巨木の下の防空壕のような地下、石仏が並ぶ洞窟など。戦争中防空壕代わりになった沖縄の鍾乳洞では語り部が戦時中の記憶を語り、土中から人骨を拾う。もちろんその展開は劇映画の語り口とは全く違うので、観客はむしろ提示される暗闇とそこに映し出される映像と強烈なウーファー音に身を浸すことになるだろう。

最後に影はダム湖に沈んだ街へ観客を導く。水が干上がって水中にあった住居の痕跡が現れ、ひび割れて苔がこびりついた地底が露出する。ここもかつては水底にあったという意味でアンダーグラウンドなのだ。

地下水を吸って樹木が育ち汲み上げた水を利用して生活をする私たち。映画は地下と地上を往来しながら、地下世界に堆積する歴史の記憶へ見るものを誘っているように思える。来年2月から全国公開される予定だが、小劇場での上映になるだろう。そうした意味で丸の内の大スクリーンで鑑賞できたことは、特別な映画体験となったが、公開時にはぜひ観ていただきたい作品だ。



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風太郎先生が泣いているぞ! 「八犬伝」の退屈な2時間半

2024年11月01日 | 映画
「八犬伝」は山田風太郎晩年の傑作小説で、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」誕生秘話を馬琴と葛飾北斎の交流を通じて、物語の虚と現世の実の世界を往来しながら、人生の虚実を絡ませて軽妙な風太郎節が展開される。それが映画化されたと聞けば見ないわけにはいかない。

馬琴に役所広司、北斎に内野聖陽、馬琴の妻に寺島しのぶと実の部分を担うキャストは実力者揃い。一方、虚の八犬伝の役者は若手揃いだが、伏姫の土屋太鳳、浜路には、いま引っ張りだこの河合優美、悪役玉梓が栗山千明と女優人もなかなかのもの(なんでも河合優美を使えばいいってもんじゃなかろうよ)。とはいえ八犬士の若手俳優は誰がどれだか分からぬ始末。監督は曽利文彦。小説と同じく実の馬琴、北斎のやりとりと虚の八犬伝の物語が交互に展開する構成だが、2時間半という上映時間はいかにも長すぎる。むしろ馬琴と北斎の交流の実の部分に絞って構成したほうがおもしろいものができたんじゃないだろうか。

八犬伝のパートはVFX多用のアクションシーンが中心で演技も含めいかにも作り物めいている。剣術ものなのだからダイナミックな殺陣が見られるのかと思いきや、細かいカットのつなぎでスピード感を演出する最近の手法は、アクションなきアクションで、殺陣の醍醐味を台無しにする。

一方、馬琴と北斎の実生活のパートは密室の語りが中心で、もっぱら退屈な切り返しショットの連続でおよそ工夫は感じられない。おそらく演技巧者二人の演技を見せたいのだろうが、お粗末なセットでカメラワークは限定されるためメリハリのないものになった。北斎が馬琴の背中を借りて絵を描くシーンは、唯一アクションが生かされたが、何より、折角馬琴の仕事場が二階なのに、予算をケチって二階建てのセットを組まないから階段が出てこない。例えば階段から誰かが転げ落ちるとか、トントントンと駆け上がるとか、最も映画的な上下運動のアクションががあれば、実の部分のシーンはもっと魅力的になっただろう。

レビューでは結構評価は高く、面白いという人には反感を買うだろうが、豪華俳優陣の出演料とVFXに金を使っただけの残念な映画と言ってよく、これが現在の邦画大作の標準形だとすると暗澹たる気持ちになってくるのだった。風太郎先生が泣いている。


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ミッレミリアのレースシーンがすごいフェラーリ

2024年09月19日 | 映画
フェラーリ社が倒産の危機にあった1957年、起死回生の大博打としてイタリア縦断レースミッレミリアに参戦し、見事に優勝した時の実話を元に、フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリ(アダム・ドライバー)の経営者、技術者、夫、愛人を持つ男としての多面性を、マイケル・マン監督「フェラーリ」は、マン監督お得意の複数ドラマの同時進行という手法で描く。とりわけ愛人の存在が発覚し、妻ラウラ(ペネロぺ・クルス)に詰問されるシーンは、手前にエンツォ、奥にラウラの2人の顔をとらえ、それぞれ話をする方へピントを合わせることで、2人の断絶の深さを表現し、その後ミッレミリア参戦を決め経営の挽回を図ることに共同経営者の妻が同意したときは、2人が向かい合って話すショットで表すなど粋な演出をする。フェラーリやマセラティ、フォード、ベンツなど当時のレース車を再現し、実際にイタリアの街中を走らせるレースシーンは圧巻で、スピード感とホンモノ感がすごい。さすがマン監督である。車好きは必見。間違いなく今年の洋画ベスト5に入ると断言しておこう。
それにしてもアダム・ドライバーは、ジム・ジャームシュ、デビッド・ロウリーといったインデペンデント系からもマイケル・マンやコッポラといった巨匠にまで寵愛されるのがすごい。グッチもフェラーリも演じているし変幻自在な俳優である。
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予め観ることの不自由さを強いられる映画「関心領域」

2024年06月05日 | 映画

ナチスのアウシュビッツ強制収容所に塀一枚隔てた隣接地に、百花咲き乱れる庭園をもつ邸宅。収容所長のルドルフ・ヘスの一家が住むいわば豪華な官舎だ。カメラは庭全体或いは邸宅全体が見渡せる視線よりやや高い位置に固定され、ヘス一家の日常生活を平坦に映し出す。塀のすぐそこに収容所施設の屋根が見え、さらに奥には焼却炉の煙突が見え灰色の煙を上げ、時には赤々とした炎を伴った煙が立ち昇る。さらに、部屋の中にいても昼夜問わず銃声や人間の悲鳴が聞こえ、ボイラーを炊く低いうなりのような音が通奏低音のように聞こえてくる。



「アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた」
ジョナサン・グレーザー監督「関心領域」のプロモーションの惹句である。興味深い設定だけれど、これでは観る前にネタバレしていることになる。この映画は、予め流通する情報によって私たちに強制収容所隣で暮らす家族の物語として観ることを強いる。映像には映らない(映さない)が観客は強制収容所内で行われている行為を知っている、ということが前提だ。だから、草花に溢れた平和な庭に違和感を覚え、あんな残酷なことが行われている隣でよく平気で暮らせているなと思うはずだ。

映画を観ることの不自由さは、例えば画面の細部やショットのすべてを観客は観ることができないというだけでも不自由だが、この映画ではスクリーンに映る物が、それはアウシュビッツ強制収容所の屋根や煙突ですと予め知らされてしまうことの不自由さを味わうことになる。

私たち観客は、庭や家の全景をとらえる固定カメラのこちら側にいることで否応なく傍観者の位置に置かれることになる。しかし、徹底して傍観者の位置にいることができるかというと、そうではない。ヘス所長は効率よく囚人を焼却する新しい焼却炉を構想し、やがてハンガリーのユダヤ人70万人を収容する計画へつながる場面に立ち会い、ヘスの妻は収容されたユダヤ人から没収した毛皮やアクセサリーを身に付け、子供は人の入れ歯をおもちゃにして遊び、庭師は花壇の土に収容所の焼却炉灰を撒いて花を育てていることを知る。ヘスは所長室にユダヤ人の女を呼びまぐわい、その後、収容所と直結する地下通路で自宅に戻り、地下の作業場の流しで下腹部を洗って寝室に戻ることさえ覗き見てしまう。こうしたエピソードが、家族の日常として次々と挿入されることで、観客は傍観者から共犯者としてこの家族に加担してしまうのである。つまり塀の外を見せない手法を使いながら塀のこちら側で起きていることが塀の外=収容所で起きていることを全て説明しているのである。



塀の向こうの屋根や煙突は本当に収容所なのだろうか、庭に巻かれる灰は焼却炉の灰なのだろうか、ヘスがテーブルに広げて見ているのはユダヤ人を焼却する炉釜の設計図なのだろうか、妻が羽織る毛皮コートは没収したユダヤ人のものなのだろうか。あるいは川遊びをするヘスと子供が人骨のようなものを拾い、慌てて子供たちを川から引き揚げる場面。あれは人骨と灰なのだろうか。いずれのエピソードも「そうだ」とは説明されないが、実は「見せない」ことの説明になっている。「そうだ」と観客に思わせるのは、予めこれがアウシュビッツ強制収容所の隣に住む家族の映画だということを前提にしているからに他ならない。そういう意味でこの映画は観客の視線を予め奪ってしまう極めて不自由な映画なのである。あの煙突は風呂屋の煙突ではなく人間を焼く焼却炉の煙突とほぼ強制的に帰着させられるのである。だから驚きも意外性もサスペンスもない。冒頭の暗闇の画面から一転、明るい川べりのピクニックのシーンにチェンジした時のまぶしさが唯一の驚きだった。



この映画の後味の悪さは、全て観ることの不自由さの強要に起因しているだろう。100分ちょっとの映画の中で、ずっと鳴り続けているように感じるブオーンというボイラーが燃えているような音響に気持ち悪さを感じるのは私だけではないだろう。
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フライシャー監督「ソイレント・グリーン」は人間がいっぱい。

2024年06月04日 | 映画
リチャード・フライシャー監督「ソイレント・グリーン」をシネマート新宿で。1973年の作品で、温暖化と砂漠化、人口爆発で食糧危機の2022年のニューヨークが舞台。ソイレントグリーンとは政府が配給する究極の合成食品。50年後を予測したSFだが、その50年をリアルに生きてきた身としては、これをディストピアと笑えないぞと思いつつも、こんなある意味大テーマをいともB級風味で90分余りにまとめてしまうフライシャー監督の手腕に脱帽してしまう。

もちろんCGなどなかった時代に画面に溢れんばかりの群衆を人力で配し、ブルトーザーですくい上げてみたり、アパートの階段や教会に本当に足の踏み場もないほど人を寝かせてみたり、低予算で最大限効果を発揮できるよう画面に収めてしまう職人技は称賛するほかはない。もちろんセットなど組めないから、ソイレントグリーンの製造工場も既存の複数の工場の内部をつなぎ合わせてSFめいた世界に仕立て上げるあたりは痛快でさえある。

この映画完成の2週間後に亡くなるエドワード・Gロビンソン、名優ジョセフ・コットン、そしてライフルマンのチャック・コナーズが殺し屋で登場して脇を固める。主演のチャールトン・ヘストンも含めこれだけのキャストの誰もが特別な存在に見えないところが、この映画のすごいところかもしれない。
映画館でソイレントグリーンのレプリカ、持ってきちゃって良かったのかは不明。食べられません。


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昨年末に観た「枯れ葉」と「ファーストカウ」はどちらも傑作である。

2024年03月08日 | 映画

もうだいぶ前の話になるが、昨年末にテアトル新宿(だったかな)でアキ・カウリスマキの映画復帰作「枯れ葉」を観た。あまり大きなスクリーンではない上に、スタンダードサイズだったので、座る位置を間違えたと思ったのだが、さえない男女のほっこりするラブストーリーと、カウリスマキ節の健在ぶりに大いに気をよくした。ラジオから「竹田の子守歌」が日本語で流れてきたり、ハッピーエンドなラストがトリュフォーの「夜霧の恋人たち」を思わせる82分、至福の時間だった。

昨年の映画鑑賞の締めになったのがTOHOシネマ新宿で観たケリー・ライカート監督「ファースト・カウ」。西部開拓時代のオレゴンの先住民居住区が舞台。冒頭、画面の右から左へコロンビア川をゆっくりと航行する貨物船のショットできっと良い映画であると妙に確信を持った通り、少ない会話の物語を無駄のない適切なショットで組み立てていく監督の手腕に脱帽した。

中国からの移民の男ルーと、栗鼠の毛皮猟師グループの料理人だった男クッキーの二人が偶然知り合い、二人で地主が飼う、土地唯一の牛の乳を搾り盗んでドーナツを作って販売し、一儲けするという展開なのだが、二人が次第に心を通わすきっかけになるシーンがある。ルーの小屋に同居するようになったクッキーが、庭で薪割りをしているルーを窓越しに眺めているところを、カメラはクッキーの背中を手前にして納める。クッキーはしばらく薪割りを眺めているのだが、思い立って箒を取り出し家の中を掃き出すのである。これがワンショットで納められていて、ここから二人の距離がぐっと接近していくのだが、言葉や説明でなく、箒で掃くという日常的なアクションでそれを示したところが、実に映画的なのだった。この映画もスタンダードサイズだった。

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気は早いが「夜明けのすべて」と「瞳をとじて」は今年の映画ベスト3に入ると断言しておこう。

2024年03月07日 | 映画

気は早いが、三宅唱監督「夜明けのすべて」、ビクトル・エリセ監督「瞳をとじては」それぞれ邦画、洋画の2024年映画ベスト3に入ると断言しておく。

邦画は黒沢清監督のフランスで撮った新作が期待されるし、洋画は今後何が公開されるか分からない。それでもエリセが31年ぶりに撮った映画を無視できるわけもない。また、今日本映画界で三宅監督ほど「映画」を撮れる監督がいるだろうか。

「夜明けのすべて」も「瞳をとじて」もどちらもまなざしとみつめあうことの映画と言ってよい。みつめあう瞳と瞳をカメラは同時に写すことはできないという映画の宿命に挑んでいるのがこの2作だといえる。

「夜明けのすべて」で、いつも視線の交わらぬ横並びで画面に収まる山添君と藤沢さんが、山添君のアパートの入り口で初めて瞳を交わすショットがある。これをきっかけに二人の距離が近づいていくという重要な場面なのだが、二人を横からとらえたカメラは、一旦帰りかけた藤沢さんが振り向いて山添君に近寄りみつめあうというアクションとして映像化したみせる。生きづらさを抱える二人がお互いの支えを認め合う場面を、これほどさりげなく描ける監督はそうはいない。「カムカム」のコンビが素晴らしい。

「瞳をとじて」は文字通りまなざしの映画である。その意味は、いささか複雑な構造をもっているが、この映画では、元映画監督ミゲルが21年前に撮った映画「別れのまなざし」の映像、ミゲルの妄想シーン、「別れのまなざし」の主役で失踪したフリオを探す本編の映像というように三つの映像から成り立っている。それぞれが主題や物語の背景を補完し合うような関係にあるのだが、本編は徹底したバストアップの切替しショットによる会話シーンを中心に構成されている。後半、物語が一気に動き出すと、画面が躍動する。白いシーツがなびく中を移動カメラがくぐり塔の白壁を塗る二人の男をとらえるショットやミゲルと並んで男が海をみつめるショットが美しい。

そして「別れのまなざし」のラストシーンが古い映画館で上映されると、「別れのまなざし」の登場人物の瞳とそれをみつめるミゲルたちの瞳と、さらに私たち観客の瞳が交差しみつめ合う感動的なラストで映画は閉じる。映画の冒頭は、「別れのまなざし」の冒頭シーンで始まり、庭園のヤヌス像が映し出される。瞳を交わさないこの像は、物語の始まりと終わりの象徴として、私たちを「まなざし」の物語へと導く。しかし、私たちは最後にエリセの仕掛けた罠に、まなざしの共犯者として心地よく参加することになるだろう。

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ヴェンダース「PERFECT DAYS」を聴く

2024年01月20日 | 映画

映画のテーマはこもれび。komorebi。光と影のゆらぎ。名作と言ってよかろうヴェンダース監督「パーフェクト・デイズ」で役所広司演じる主人公平山が聴くカセットの音楽をYouTubeで集めてみた。

最後の朝日楼は、スナックのママ石川さゆりが客の求めに応じて、あがた森魚のギター伴奏で歌う浅川マキ作詞の朝日のあたる家。アニマルズ版は映画の冒頭で平山が車中で最初にかけるのがこの曲。朝日楼は浅川マキもよいが、ちあきなおみも絶品。亡くなった八代亜紀にはぜひ歌ってほしかった。映画のタイトルはルー・リードの曲から引用されているわけだが、とりわけラストでかかるニーナ・シモンには泣ける。ぜひ劇場の素晴らしい音響で。 

THE HOUSE OF THE RISING SUN  The Animals

「朝日のあたる家 The House of the Rising Sun」アニマルズ、The Animals (youtube.com)

PALE BLUE EYES  The Velvet Underground

Pale Blue Eyes (youtube.com)

THE DOCK OF THE BAY   Otis Redding

Otis Redding - (Sittin' On) The Dock Of The Bay (Official Music Video) (youtube.com)

REDONDO BEACH   Patti Smith

Redondo Beach (youtube.com)

(WALKIN’ THRU THE) SLEEPY CITY  The Rolling Stones
(35) [Walkin' Thru The] Sleepy City - YouTube

青い魚  Sachiko Kanenobu

Sanchiko Kanenobu - Aoi Sakana (Blue Fish) (youtube.com)

PERFECT DAY  Lou Reed

Lou Reed - Perfect Day (Official Audio) (youtube.com)

SUNNY AFTERNOON  The Kinks

The Kinks - Sunny Afternoon (1966) 4K (youtube.com)

BROWN EYED GIRL   Van Morrison

Van Morrison - Brown Eyed Girl (Official Audio) (youtube.com)

FEELING GOOD  Nina Simone

Nina Simone - Feeling Good (Official Video) (youtube.com)

朝日楼

Maki Asakawa 浅川マキ 「 朝日楼 (歌詞付) 」 (youtube.com)

ちあきなおみ 朝日のあたる家 Naomi Chiaki - House of The Rising Sun [Live] 1989 (youtube.com)

 

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年末のどさくさに紛れて

2023年12月08日 | 映画

年末のどさくさに紛れて「ゴジラ―1.0」「首」を観た。

ゴジラは戦争で死ねなかった男たちによる戦没者の霊鎮めかね。

「首」、合戦シーンは風雲たけし城でお手の物。

秀吉、官兵衛、秀長のトリオ漫才が楽しいが、秀吉はほかの役者に

してほしかったな。たけしだけが化けられないのだよな~。

 

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