ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

虹の彼方に何がある?

2005年11月29日 | 音楽
 チェット・ベイカーのRCA-italia盤「チェット・イズ・バック」は、1962年にイタリアのミラノで録音されたアルバムだが、ヤク中でブタバコにぶちこまれ17カ月ぶりにシャバに出た、そのご祝儀に地元のミュージシャンたちと「ヤクからは足を洗って出直そうや」てな調子で演奏した感じがなかなかよく、好きな1枚だ。(最近CDが復刻された)
 
とくに「虹の彼方に」は、久々にシャバの空気を吸って、塀のなかで見た空を思い出しつつ、そしていま少しつかみかけている小さな希望にむかってチェットが吹いているようで、「きっと明日になればいいことあるよ」といった気分のときに心に響く演奏だ。
 
テクニックもない、充実感あるプレイというわけではないのに、なぜかこのトランペットの音は心をとらえる。雨後の青空にかかる虹といより夕焼けみたいなんだけど。
 こういう下手くそなラッパの音がなぜ人の心をとらえるのか、きっとウィントン・マルサリスはわかんねーだろうな。だから、おいらマルサリスを聴かないよ。
 
で、この後ベイカーさんは、アメリカに帰るけどやっぱりヤクがやめられなくて、あげくにトランペッターにとって大切な前歯を暴漢に襲われて折ってしまうわ、それでも何度となく復帰して、ぼろぼろになっても演奏を続けたけれど、最後はアパートから転落して死んじゃったのでした。南無阿弥陀仏。
ベイカーさん虹の向こうは晴れていましたか?
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どっぷりつかっていたテレビの黄金時代

2005年11月28日 | 

 なぜか、ここんとこずっと三島に浸っていたので、一息入れたのが「三人噺」で、一緒に買ったのが小林信彦著「テレビの黄金時代」文春文庫)。

  「シャボン玉ホリデー」が始まった1961年から、「巨泉・前武ゲバゲバ90分」が終わった1971年までのほぼ10年間(冷戦真っ最中!)をテレビの黄金時代として位置づけ、著者自身がかかわったその舞台裏の変遷をつづった私的テレビ・ヴァラエティ史だ。
 
 この10年間を小中高生の視聴者として体験したぼくとしては、この時代のビデオがほとんど残されていなくて(ビデオテープが高くて使い回ししていたんだって)、もはやこの黄金時代を語るには人々の記憶を頼るしかないということの悔しさと、それゆえこの黄金時代を同時代で体験できた幸福感、優越感を改めてこの本で確認したのだった。どっぷり私はテレビの黄金時代につかっていたのだ。

 いまや、あの有名な植木等およびギャグも、いかに面白かったかを、知らない人に言葉で伝えるのはむずかしい。この本の中で著者も、あえて記録の記述のように再現を試みている。けれど、それは、あれを見て、笑い転げたことのあるものにしか分からない。それでも、あのおもしろさを伝えていくには、ひたすらいかにおもしろかったかを語っていくしかないとは!

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名人のDNAはどこへいく

2005年11月25日 | 
 子供の頃、僕にとって粋といえば志ん朝さんだった。田舎だったのでなまで聴くことはできなかったけれど、NHKのバラエティや寄席番組、週刊誌などでみる姿に粋な兄さんを感じて憧れだった。
 おもしろい噺家は三平さんで、毎度同じねたでも笑い転げてしまう。東京オリンピックねたで、ソ連の女子砲丸投げ選手でタマラ・プレスという巨漢選手がいて、三平さんが「なんてったって名前がタマラ・プレスなんですからー」とただ、名前を言っただけなのに腹がよじれるほどおかしかった。
 志ん生の娘にして馬生、志ん朝の姉というすごい一家に生まれ育った美濃部美津子さんの「三人噺」(文春文庫)は、すでに父母弟妹みな他界して、ひとり志ん生のDNAを受け継ぐ人(他にいらっしゃるのか心配)が語った名人一家の人情噺だ。
 語りっぷりが粋。そして、こんな一家に生まれたのだものその人生がおもしろくないわけがない。約200頁、活字が大きいので一気に読んでしまうのがもったいない。とかげを飼い育てて財布を作るといった志ん生に、そんなに大きくなったら財布作る前にお父さんが食われちゃんよと応えると志ん生が怖がって飼うのをやめたとか、おかしい話が満載だが、志ん朝さんの臨終の際に「お父さん、お母さんのとこへまっすぐいくんだよ」と言って送り出した話は泣ける。おかしくって、涙腺もゆるみっぱなしだが、あいつとかあいつとかお前とかにこの本読ませていってやりたい「まっすぐ生きろ」って。
 余談だが、今週の週刊文春のタイトル「髪型も偽造」は笑った。だってほんとにあの姉歯さん「髪型も偽造」なんだもの。
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人の声のサウダーデ

2005年11月24日 | 音楽
 ときどき人の声をずっと聴いていたくなることがある。歌でも落語でも朗読でもいいのだけれど、美しい人の声は癒しであり官能的でもある。昨日は、日本語の声が聴きたくなったので、まず、ちあきなおみ「2003ヴァーチャルコンサート」を聴き、石川セリ「翼」、美空ひばり「ひばりJAZZを歌う」と続き、実はあんまり日本語の歌のCDがないので、これは日本語じゃないけれどポルトガルのファディスタ、ミージアの「FADO」を訳詞読みつつじっくり聴き、最後は志ん朝の「羽織の遊び」を聴いて、それぞれの声の艶みたいなものを堪能したのだった。
 歌手の命は声だと断言したい。ファドのキーワードに郷愁とか憧れみたいな意味をもつサウダーデということばがある。サンバカンソンでいえばサウダージ。そのサウダーデ、郷愁の声をもった歌手がすばらしい歌い手となりえるのだ。で、声に色気がある落語家といえばやはり志ん朝さんだったのだが。
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100%正義、100%賛成は信じない

2005年11月21日 | アフター・アワーズ
100%正義、100%賛成なんてものには必ず裏がある、しかけがあるから信じてはいけません。これがマイルールです。そういうときは、1%の悪となるか、あるいは1%の反対の声をあげよう。それから、パンツ(下着のほう)はボクサータイプのピッタリブリーフ。下半身が引き締まる。ジャケットやズボンも窮屈だからといってだぶだぶしたものにするとだらしなくなるので、ちゅうねん太りが目立っても、チョイピタなもののほうが気持ちがいいので、最近のマイルールです。
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熊本でよかよか

2005年11月16日 | アフター・アワーズ
今日は熊本です。ちょっとあてがはずれて、一人で下通りうろついて、飲み屋で生ビー、芋焼酎のみつつ、馬煮込み、たちぽん、生牡蠣、そんなに精つけてどーすんねん、で、がらかぶの煮付けをいただいたが、がらかぶって赤魚だけれど、一体なんなのでしょうかね、なかなかおいしかった。しめは、ケイカらーめんでしたが、同じラーメンでも熊本でくうとなぜかうまい。
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すごいぞ!画狂人北斎

2005年11月15日 | 絵画

 北斎のじじいときたら、ほんとすごいじじいだ。
 画狂人は伊達じゃない。しゃべるように、飯を食うように描きまくる。70年の画狂人人生でいったいどのくらいの数の絵を描いたのだろうか。はやい、うまい。しかも遠近法も写生もしっかりやりながら、そんな近代的な手法からも自由に大胆に繊細に絵筆が走っている。春画以外の北斎500点を展示した東京国立博物館「北斎展」は、必見だよ、ほんとに。

 図録も約1000ページ、重量2キログラム。図録販売のにいちゃんが購入したばあちゃんをいたわりつつ「重いですよ。2キロありますから注意してください」といいながら渡していた。ばあさん図録で腰痛め(あるある探検隊風に)、そんな図録があるだけですごいじゃない。

 ただ、春画が展示されなかったことは不満だ。18歳未満お断りの部屋をつくってでも展示してほしかった。北斎の春画たるや画狂人の真髄がスペルマの如くほとばしっているのだった。

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愛の渇きは癖になる

2005年11月14日 | 

 三島は癖になる。あのくどいデコラティブな文体が、また誘うのである。で、今度は「愛の渇き」。そういいながら、本編より新潮文庫の吉田健一の解説が名文でいい。「名文」に出会えるのは最近少ないだけに、この文庫は“買い”だ。

 後半、終幕の殺人に向かって堕ちていく、その虚無の疾走感に主人公の悦子は悦びを感じている。だから、名前が悦子。「美徳のよろめき」は、貞節を捨てるから節子。名前は平凡だけど、みんな凡庸と退屈が嫌いな女たちなんだよね。でも、なぜ、女主人公なのか。ボディビルでマッチョになった三島が、女のこころと身体を借りて愛だとか罪だとか幸福だとか虚無だとかを語っているというのは、気持ちわりーっていえばキモイ。それは別にして、遺作の「豊饒の海」4部作みたいなくどさや、破綻はないし、三島作品の中ではまとまりがよくて比較的あっさり味(これでも)だと思うけどなー「愛の渇き」は。 

 映画にもなった。浅丘ルリ子で。(助監督が藤田敏八だったはず)この頃から、ルリ子は魔性の女っぽい役をやるようになったんじゃないかな。横尾のポスターにヌードで描かれたり、「愛の化石」なんて歌をうたってヒットしていたぞ。
 そんなわけで、あの頃のルリ子の大きな瞳とめくれた唇とストレートの長い髪をときどき思い出しながら(この小説にはじゃまだけど)読んだ「愛の渇き」なのだった。

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今、ほしいものは燕子花屏風

2005年11月11日 | アフター・アワーズ
いまほしいのは、屏風。できれば、先日見たOGATAの「燕子花屏風」、あるいはTOUHAKU「松林図屏風」。ホンモノがほしい。さもなきゃ、ドラえもんのポケットかな。(先週のテーマににもどる)
コメント (2)
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ジャズ喫茶に行こう

2005年11月10日 | 

 かつてジャズはジャズ喫茶で聴くものだった。
 ブラックコーヒーに煙草(パッケージデザインは和田誠のハイライト)を友に、ひたすらジャズに耳を傾ける。読む本はレーザーラモンHGじゃないロートレアモンの「マルドロールの詩」か「アンドレ・ブルトン集成・ナジャ」。雑談などもってのほかだ。アルティックA7とかJBLパラゴンとかの再生装置を知ったのもジャズ喫茶だったが、新譜に限らずとりあえずジャズ喫茶で聴いて、気に入ればLPを買った。東京に限らず、ちょっとした街ならどの地方にもジャズ喫茶があって、旅行に行くと義務のようにジャズ喫茶を探して行ったものだ。京都の「しあんくれーる」、一関「ベイシー」などの有名店があったっけ。
 
 平岡正明著「昭和ジャズ喫茶伝説」は60年代のジャズ喫茶を舞台にした革命と青春のバラード(艶歌)といったところだろうか。「ジャズ宣言」に始まって、平岡本はずいぶん読み、ユパンキからイ・ソンエ、エルゼッチ・カルドーソまでジャズ以外の歌い手たちをたくさん教えてもらった。この人にとってジャズ喫茶はアジトだったわけだが、僕らの世代は、もはや馬鹿かスノッブの溜まり場だったかもしれない。

 よく行ったのは通っていた大学前の黄色い扉の「フリーポート」(R大学の人しか知らないでしょう)だが、90分に一回くらいはヨーロッパ系のフリージャズがかかり、そのたびに客が入れ替わったのはご愛嬌だ。授業時間に合わせていたのか知らん。

 春にお茶の水に行ったとき「響」をたずねたらもうなかった。この本には閉店して、どこか海の近くで「響庵」として再開したと書かれていた。いまやジャズは、こじゃれたラーメン屋でもBGMにコルトレーンの「バラード」がかかっているくらいで、演出の小物と化している。ジャズレコードをちゃんと聴かせてくれるところを探して、ぜひ今度行ってみよう。

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