漱石の「三四郎」を読み始めた。
熊本から上京する汽車の中で乗り合わせた女性と名古屋で同宿するも背中合わせに寝ただけの三四郎、翌朝別れ際に「度胸がない人ね」なんていわれてしまう。三四郎は据膳をくわなかったのだ。
大学時代、九州の友人をたずねた折の新幹線で、新宿のデパートに勤める巨乳のお姉さんと隣り合わせになって親しくなった。横浜あたりで、「食べない?」ってバナナをもらったのがきっかけで、博多につく頃には身体を密着するくらいに親密になっていた。鹿児島の女性だった。予定がありますのでと博多で別れたが、鹿児島にきたら連絡してねと電話番号をもらった。結局電話もせずそのままになった。学生の旅なんだから予定なんてどうにでもなったのに。まったく度胸のないやつだ。
「三四郎」は、日露戦争が終わったあとの話で、戦争で息子を失い戦争なんてまっぴらだというじいさんが出てきたり、汽車の窓から弁当のごみだのをばんばん捨てる場面があったり、大学の授業がいいかげんだったり、と明治末の世情が見えておもしろい。日露戦争は日本中が戦勝にわいていたようなイメージがあるけれど、こうした厭戦を口にする老人が出てくるところが漱石のリアリズムなのだと思う。
今年も仕事納め。まだ年賀状もつくっていないや。
熊本から上京する汽車の中で乗り合わせた女性と名古屋で同宿するも背中合わせに寝ただけの三四郎、翌朝別れ際に「度胸がない人ね」なんていわれてしまう。三四郎は据膳をくわなかったのだ。
大学時代、九州の友人をたずねた折の新幹線で、新宿のデパートに勤める巨乳のお姉さんと隣り合わせになって親しくなった。横浜あたりで、「食べない?」ってバナナをもらったのがきっかけで、博多につく頃には身体を密着するくらいに親密になっていた。鹿児島の女性だった。予定がありますのでと博多で別れたが、鹿児島にきたら連絡してねと電話番号をもらった。結局電話もせずそのままになった。学生の旅なんだから予定なんてどうにでもなったのに。まったく度胸のないやつだ。
「三四郎」は、日露戦争が終わったあとの話で、戦争で息子を失い戦争なんてまっぴらだというじいさんが出てきたり、汽車の窓から弁当のごみだのをばんばん捨てる場面があったり、大学の授業がいいかげんだったり、と明治末の世情が見えておもしろい。日露戦争は日本中が戦勝にわいていたようなイメージがあるけれど、こうした厭戦を口にする老人が出てくるところが漱石のリアリズムなのだと思う。
今年も仕事納め。まだ年賀状もつくっていないや。