ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

横たわる女と白い肌の誘惑

2006年04月25日 | 絵画
 仕事で東京都美術館に「プラド美術館展」を観にいく。平日の午後3時、それでもかなり混雑していた。17、18世紀の西洋絵画にこれほど多くの老人たちが興味を持っていたかどうかは定かでないが、新宿コマ劇場と似た風景だった。1時間ほどで素通りしただけだったが、展示点数もそう多くないわりに総花的で、最後に申し訳程度にゴヤが3、4枚。ポスターになっていたティツィアーノ、ルーベンスなど見るべきものもないではないが、「プラド美術館展」というには寂しい内容だった。

 竹橋の国立近代美術館は、金土曜なら夜の8時まで開館している。上階の常設展示場には窓側に休憩室が設けられていてお堀が見渡せるのでなかなかよろしい。
 
 土曜の夜に「藤田嗣治展」を観にいった。こちらは意外に空いていたので観やすかった。国内に所蔵されている作品が中心で100点くらいだったろうか。カンバスに石膏を溶いて塗った乳白色の下地に淡い陰影と面相筆の細い輪郭で描かれた人物画、とりわけ数々の裸婦像は美しい。日本画的手法との融合がよく言われるが、キュビズムなど20世紀初頭の先進的な芸術運動を消化しながら、日本人であることをみつめた結果であり、通俗的な言い方になるけれど日本人にはない白磁のような西洋女の白い肌に魅せられて、これをどうしたら表現できるかと考えての技法なのだと思う。

 金箔や日本画的なスーパーフラットな背景が乳白色の肉感的な白い肌を際立たせている。渡仏後初期の暗くとんがって険しい表情をした女性像に比べ、20年代になってからの乳白色の技法による裸婦像は官能的で、当時のヨーロッパ人たちに絶賛されたというのもよく分かる。誰も女の肌をこんなふうには描いたことがなかったからだ。

 戦争画の大作は絵画としての迫力に圧倒される。よくこれらの絵画を当時の軍部が認めたなと思った。戦争賛歌でも大日本帝国賛美でも鬼畜米英のプロパガンダでもなく、ただそこには人間同士の殺し合い、虐殺としての戦争がむしろ地獄絵のように描かれているだけなのだった。ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」の構図を髣髴させるサイパン島の玉砕を描いた作品も当時の軍国日本はこれをもって一体何をプロパガンダしたかったのだろうか。これを観たら誰もが戦争には行きたくないと思うはずだ。

 晩年の子供をモチーフにした絵や生活具のデザインなどは、居場所を見つけた安堵感のようなものがありながらどこか孤独の影がつきまとっているのだった。
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漱石の雨の日の女

2006年04月24日 | 
 漱石の「こころ」「道草」を読む。
「こころ」は有名な先生からのながーい手紙による告白で先生の過去が明かされるのだが、どうも、この手紙の形式で事実を明かすというスタイルには感心しない。死にそうな実家の父を放り出して、上京する列車に飛び乗る主人公と思しき青年のそれからはどうなるのだろうか。

「道草」は久々の3人称で完結される作品で、もちろんここでも何も解決も発展も物語には存在しないのだが、妻が主人公の話を無視するように赤ん坊に頬ずりするシーンで終わるラストはそれでも、終わりのない終わりが演じられてはいる。「道草」は自伝的小説、私小説などといわれるが、抽象化が進み、人の出入りがひたすら繰り返されるという奇妙な世界が描かれていると思う。もちろんかつての養父から金をせびられる話ではあるのだが、非常に簡素な舞台装置を人が出たり入ったりする、それだけの運動に終始する話であり、その人と人との間をさえぎるのが雨なのだった。

「彼岸過迄」「行人」「こころ」を海の三部作と評した本があったが、いずれも「実は・・・」という告白によっていきさつが語られ、読み手は欲求不満のまま終わる三部作でもあった。

 こうして漱石を読んでくると、海に限らず、雨、湖、川、水溜り、鉢の水などなど、水が極めて重要な役割を演じていることが分かる。漱石の小説の世界が水の主題と変奏によって成り立っていることを含め、横臥の運動、縦の構図、漱石による漱石の反復など、漱石の世界の表層的な特徴を抽出しながらまったく新しい漱石の読み方を提示してみせる蓮実重彦著「夏目漱石論」は、実に刺激的だ。だが、この本は絶版になっているらしくなかなかみつからない。図書館で借りた青土社版は、こんなにこの本を読んだ人がいたのかと思うほどぼろぼろで、書架ではなく書庫から出されてきたのだった。
 
 そういえば、漱石の女たちは、たいがいが「雨の日の女」、RAINY DAY WOMENではなかったか。
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春の嵐と春の風邪

2006年04月07日 | アフター・アワーズ
早春の山の色はパステルカラーで美しい。淡く色がついているかいないかくらいの茶、紫、緑のなかに時折山桜の淡いピンクが見えて、自然の幸福感と一体となれるような心持がする。

そんななか4月早々田舎で友人の娘の結婚式があった。新郎は婿入りなので新婦の父である友人がやけに目立った結婚式であった。友人夫婦は同級生なので、思わぬところで同級会になり新郎新婦そっちのけで大騒ぎ。熟年というには早いが、チョイ熟年離婚した友人もいて、うさをはらしていたっけ。これは春の椿事か。

父の山兄の川にも春嵐

そのせいか先週静岡でもらったらしい風邪がじわじわと悪化、火曜日はとうとうダウンしてしまった。熱にうなされておかしな夢も見た。ずっと借りていた聖書を今日帰すという日になって起きてみたら枕元にないという夢。夢から覚めてしばらく真剣にどうしようと悩む自分がいた。ようやく週末になって回復の兆し。風邪薬を飲んでいたので酒飲まずとも休肝とならず残念だが、そろそろ補給もしておきたい。ありがたいことに今年は桜の時期が長い。まだ、お花見ができるのがうれしい。
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